悔恨は重く深くその2

「変装……いえ、あれは変化へんげと呼んだ方がいいかもしれません。身長や声まで変わっていましたから……」


「君はその相手の顔を覚えているのか? 名前は?」


「それが、そのすぐ後に気を失ってしまったので、思い出そうとすると……痛っ」


「そうか。無理をする必要はないからな。それはまた、落ち着いてからでいい」


 マテウスはその変装相手の名前までには執着を見せなかった。なぜなら、ロザリアのここまでの話で、ある程度は敵の全容が見えていたからだ。


 ここまでのやり取りで分かる事は、襲撃者の正体の多くが、この研究所での職員を含めたN&Pノーランパーソンズ社の職員達であり、彼等の当初の目的は、ニュートン博士や仲間達を救う為であったという事だ。


 だが、具体的にどう動けばいいのか……その方針が見つからなかった彼等に近づいたのが、ドミニクや、ツバキと呼ばれる着物少女に、父と称される男なのだろう。


 彼はN&P社員の中でもリーダー格であったオイゲンを、言葉巧みにそそのかし、ある程度の戦闘訓練と、何処からか手に入れた王宮へと繋がる地下通路の存在を伝えた。


 リネカーの存在を理解していれば、決して実行しなかったであろう杜撰ずさんな女王陛下への直接交渉は、案の定オースティーン・リネカーの手によって皆殺しにされて終焉を迎える。ここで、父と称される男は、オイゲンと入れ代わったに違いない。あの薄暗い地下通路で、オイゲンが死ぬ事は計画の一部だったのだ。


 オイゲンという立場を手に入れた、父と称される男からすれば、N&P社の職員達をこのテロ行為へ導く事は容易であったろう。儀式と称して人殺しに加担させて、犯罪に対しての抵抗を小さくさせたのも、地下通路でオイゲンの他にも犠牲を出して、憎悪を焚き付けたのも、その為の布石だ。


 次は自分達が異端の罪で、収容所送りになるかもしれない。そんな不安で押し潰されそうな毎日を過ごし、精神が弱った人達に着け込んで、少しずつ堕落させて、気付けば取り返しのつかない場所まで引きずり込む……そんな悪魔のようなやり口。父と称される男は、人の本質というモノをよく理解しているのだ。


 そして、暁の血盟団からの要求が未だにない理由も、この父と称される男の為だ。暁の血盟団の目的はニュートン博士や仲間達の解放であり、今も変わらずそのつもりで闘っているだろうが、父と称される男の目的は、占拠したこの研究所にあり、それを成す為に、出来るだけ時間稼ぎがしたいのだろう。つまり、それまでの間、占拠した事実を明るみにする事を避けているのだ。


「詳細は思い出せないのですが……確か、男性でベルモスク人だった筈です」


「男のベルモスク人か。流石にそれだけではな……」


 ベルモスク人で自分の事を将軍と呼ぶ人間に、マテウスは何人か心当たりがあった。その上、彼がひきいていた部隊には、行き場のない奴隷兵のような立場のベルモスク人が何人もいたので、相手が一方的にマテウスの事を知っているだけの場合(治安局のダグのような事例)すらある。


 だから彼は、ロザリアのもたらした情報だけで、それを絞るのは難しいと考えて切り捨てた。今の段階では、それ以上に気にすべき内容があったからだ。


「その問題は後回しにするとして、気にすべきは奴等の目的の方だろう。それに、元N&P社員達に人質に危害を加えるつもりがなくても、オイゲンに成りすました男がそうとは限らないからな。他の者達と合流次第、君達は先にこの研究所から出た方が安全……」


 マテウスはそこまで言いかけた所で息を潜める。目的の4階まで目前にした所で、戦闘の気配に気づいたからだ。だが、彼が思っていたよりは静かで、人の気配も少ない。どうやらここにいた筈の襲撃者達は、どこか別の場所へと移動したようである。


(一体、誰と誰が戦っているんだ?)


 疑問がマテウスの脳裏をよぎったが、この場合は考えるよりも、とっとと加勢に入った方が早いと判断した彼は、階段を上り切る手前にロザリアとナンシーを待たせて、自らは壁際に身を隠しながら、4階の廊下を覗き込んだ。


 一部の壁と床が半壊して、マテウスが知っているよりも随分と見通しのよくなった4階廊下では、2人に分かれた着物少女ツバキとエステルとパメラがそれぞれ1対1で戦いを続けていた。


 そして床が抜けた向こう側には、自らが展開した高潔な薔薇ローゼンウォールで身を守りながら戦いを見守っているアイリーン。そしてその傍らには彼女を守るようにたたずむ、フィオナとヴィヴィアナの姿も確認できた。


 レスリーの姿が見えない事が少し気がかりではあったが、彼女はまだ戦うのに十分な実力を持っていないと、ヴィヴィアナ辺りが判断して、姿を隠しているのだろう。そう都合よく解釈して、ツバキに視線を向き直して、パメラとエステルに加勢するタイミングを伺う。


 だが、マテウスが加勢するまでもなく、勝負はなかば決しているといえた。エステルとツバキの実力は、ほぼ5分。しかしそれは、エステルが殲滅の蒼盾グラナシルト理力解放インゲージ躊躇ちゅうちょしているからだ。


 密着して纏わりつくように戦うツバキに手こずってはいるようだったが、相手が手にしている得物はマテウスから取った儀剣のみ。互いに致命的なダメージを負わせる手段を欠いているものの、ソードブレイカーを駆使して全ての攻撃をいなしているエステルが、徐々にツバキを押しつつあった。


 一方、パメラとツバキの戦いは、顕著けんちょに力の差が表れていた。ツバキが左手に持つ短刀では、近づかなければパメラに一太刀浴びせる事は出来ないのだが、嵐のように繰り出される、どれも即死級のパメラの攻撃を、短刀1本で捌ききる事は彼女の技量では到底不可能。かといって離れれば、死出の銀糸オディオスレッドに一方的に引き裂かれるのを待つだけという八方塞がりに陥っていた。


 そんなツバキが未だにパメラ相手に粘り続けていられたのは、時折りパメラを狙った狙撃が行われているからだ。あと一歩踏み込む事が出来れば仕留められる。そんな場面の度に、パメラに向けて音もなく発せられる風の弾丸を、彼女はその気配だけを頼りに何度も防いでいた。


 アイリーンがすぐ傍にいる為に、死出の銀糸オディオスレッドの使い方に慎重にならざるを得ないのも大きな理由の1つだろう。建造物の倒壊を気にしながら戦わなければならないのは、パメラもエステルと同様で、間合いを何度も入れ替えながら反撃の機会を伺うツバキに対して、表情1つ変えないものの、相当にストレスを覚える戦いを続けているに違いない。


 だが、時間の問題で崩れ落ちそうな危うい均衡も、マテウスが加勢すれば一瞬で崩れ落ちる。マテウスはエステルと対峙するツバキが自身に背を向けた瞬間、静かに廊下へと姿を現して、足音もなく駆け寄ってその背後から斬りつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る