悔恨は重く深くその1

  ―――同時刻、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所アンバルシア支部、3階仮眠室前


「リア……おいっ……しっか……ロザ……」


 ロザリアにとってそれは、もう聞き慣れた声。すぐ傍から聞こえてくるような。それでいて遥か遠くからでもあるような……朦朧もうろうとしていた意識を次第に取り戻すにつれて、その呼びかけの内容が、鮮明になっていく。


「ロザリア。大丈夫か?」


 気付けばロザリアは片膝を着いたマテウスの右腕に抱えられていた。視界に広がるのはマテウスのホッとした表情と、未だに心配そうに表情を曇らせるナンシーの顔だった。ロザリアは直前になにをしていたか思考がまとまらずに、たちまち思いついた疑問を口にする。


「マテ……ウス、さん? ここは……一体?」


「覚えていないのか? ここは研究所で、ヴァ―ミリオン社のナンシーさんと赤鳳騎士団の制服の合わせをしている最中に、俺達は襲撃を受けたんだ」


「えっ……あぁ……そうでした、ね」


 そうだ。そこからの流れを自分は知っている筈……そうして、ロザリアは思い出していく。マテウスと別れて4階に戻る筈が、襲撃者達に行く手を塞がれていた為に戻れなくて、彼等から身を隠すついでに、医療キットを探そうとこの仮眠室に戻って、その後に確か誰かが室内に入って来て……


「おい、本当に大丈夫か? 何かされたのか?」


「えぇ……その、私。なんだか身体が熱くて……駄目。上手く思い出せない。大切な事の筈なのに……」


「無理をするな。ゆっくりでいい」


「あの……今、なにか落としましたよ?」


 今まで静かに2人のやり取りを眺めていたナンシーが、恐る恐るといった感じで口を開いて膝を落とす。そうして、ロザリアの右手から零れ落ちた、長細い針へと手を伸ばそうとした。その光景をボンヤリと眺めていたロザリアだったが、ハッと目を見開いてナンシーの手をせいする。


「駄目ですっ、ナンシーさんっ。それは毒針ですっ」


 しかし、急に体を動そうとした結果、ロザリアは再び意識が飛んでいきそうな程の眩暈めまいを覚えて床に倒れ込みそうになる。そんな彼女の身体に素早く両腕を伸ばして受け止めると、再び抱え直しすマテウス。そうしてロザリアの額や首筋に手を添えてみた。


「本当に酷い熱があるようだな。その毒針とやらの影響なのか? ナンシーさん。念の為に、その針には触れないでください」


「は、はい。分かりました」


「私はその毒針でさされて……それで。そう、どうして私……生きて……?」


「なんの毒か分かるか? いや、分かった所で血清なんてこんな場所には……待てよ。4階にはサンクチュアリがあったな。あれなら、治療が出来る筈。毒性は低いようだし、急げばまだ間に合うだろう」


「あの、私は大丈夫ですから……それよりも先に、聞いてください。全てではありませんが、そう。思い出したんです」


「なにを言い出すかと思えば……まずは君の治療の方が重要だろう。もういいから、大人しくしていろ」


「本当に大丈夫なんです。確かに、身体がすごく熱くて、気怠けだるくて……でも、本当にその程度ですから。話している方が、むしろ楽なぐらいで……」


 そう語るロザリアの顔を、マテウスは観察するように見下ろす。話している方が楽という発言は、多少の方便も混じっているのだろうが、確かにロザリアの言葉通り、彼女の血色は良好で、脈拍も安定してるようだ。それに、語り口調も次第にしっかりとしたモノへと変化している。この姿だけを見ると……


「少し重い、風邪でも引いたような症状。という事か?」


「風邪? そうですか……これが風邪。私、風邪になった事がなかったので……」


 どこか感慨深そうに自らの胸に手を当てるロザリア。黙っていると瞳が次第に虚ろになっていく彼女を見て、マテウスは確かに話していた方が彼女の体調の変化が自身に伝わりやすいと、考え直した。


「分かった、話を聞こう。ただし、歩きながらだ。ナンシーさん、彼女に肩を貸してあげてください。俺が担いでもいいんですが、もし襲撃者と遭遇した場合に2人を守れないんです」


「分かりました。さっ、ロザリアさん。どうぞ」


 マテウスの指示に従って、ナンシーはロザリアに手を伸ばす。たちまちはマテウスも補助しながら、2人がかりでロザリアを立ち上がらせる。しかし、彼女の足元は覚束おぼつかないようで、ナンシーに寄りかかるようにしないと、立ち続ける事すら困難な様子だった。


 人1人を支えながら動くのは、素人には難しい。ナンシーとロザリアは、2人一緒になって崩れ落ちそうになるが、ナンシーが気合を入れ直して、なんとか踏み止まる。


 その間に、マテウスはロザリアの手から零れ落ちた、毒針を拾った。間違っても刺さらないように、ハンカチで全体を包んで、制服の懐へとそれをしまう。そうして、2人へと視線を配ると、少し視線を離した隙にロザリアは、マテウスの手の治療に使った医療キットを拾い上げていた。


「ナンシーさん。大丈夫ですか? 行けそうですか?」


「な、なんとか……ただ、その……走るのは無理なんで、ゆっくりでしたら……」


「それで充分です。ロザリア。それは歩くのに邪魔になるだろう? 置いていったらどうだ?」


「いえ。もしかしたら、あの娘達の誰かが怪我をしているかもしれませんから」


 マテウスは医療キットを置いていくように進言したが、ロザリアはキッパリとそれを断る。マテウスはその回答に少しだけ溜め息を零した後に、無言でロザリアから医療キットを奪い取った。多少戦いにくくなるが、仕方がない。


 他にもマテウスは、フラフラと揺れ動く2人を見ながら、自分がロザリアを抱えて4階まで駆け抜ける場合と、今の状況を天秤にかけるが、やはり襲撃者との遭遇を考えると、後者を選ばざるを得ないと判断した。


 マテウスの中では4階で、今も襲撃者達と赤鳳騎士団の面々が対峙している可能性が高く、戦闘は避けられないと予想するのは、無理のない事だった。


「では行きましょう。足元には気を付けてください」


「ところで、なんで御2人はご一緒に? ナンシーさんは、4階に戻った筈では?」


「それも説明するか……とりあえず、移動するぞ」


 マテウスは周囲を警戒しながらゆっくりと廊下を歩く最中、その後ろからナンシーに寄りかかりながら歩くロザリアの質問に答える為に、2人が合流した経緯をつまんで話し始めた。


 4階に戻っていた筈のナンシーは、道中に襲撃者達に他の職員達が襲われているところを目撃して、その足で1階の警備室へと駆けこもうとしたらしい。しかし、彼女が警備室に辿り着いた時、すでにそこは襲撃者達に抑えられていた。


 だからといって、全てを捨てて1人逃げ出す訳にもいかず、ナンシーなりになにか方策を練ろうと、マテウスを頼りに4階へと向かう途中、くだんの襲撃者達と遭遇してしまう。あわや彼等に捕らえられる寸前で、偶然にも他の襲撃者と戦闘中だったマテウスと合流して、そのまま彼がナンシーを助ける流れとなったのだ。


「そんな事が……」


「それで、そっちはなにが起こったんだ?」


 結局、ナンシー1人でロザリアを支えながら歩くのでは、歩行が遅すぎるので、マテウスも腕だけをロザリアに貸して、ロザリアの左側にナンシー。右側にマテウスと、2人でロザリアを支えながら歩いていた。これなら、咄嗟の時でもロザリアをナンシーに預けて、すぐに戦闘に入れるからだ。


「彼等のリーダーに遭遇したんです。名前はオイゲン……そして、あのマテウスさんと戦った着物の少女の名前は、おそらくツバキというそうです」


 そして襲撃者達の要求は、異端の罪に問われて囚われた、N&Pノーランパーソンズ社で働いていた仲間達と、ニュートン博士の解放である事。その名前を暁の血盟団という事。ここ最近の連続殺人事件にも関与している可能性がある事。


 そして、襲撃とは別の作業をしているという事……そんな情報の中で、ニュートンという名に懐かしさを覚えながらも、マテウスはそれ以上の引っ掛かりを1つ覚える。


「待ってくれ。暁の血盟団のオイゲン……だと? 確かその男は死んだ筈だぞ?」


「ですが確かに……ジャックという人と言い争っていて、彼を私の前で……」


 ロザリアは、ジャックとオイゲンの会話を子細に再現していく最中、その時の光景を思い出したのだろう。彼女は少しだけ顔を歪める。やはり人が人を殺す光景は、一般的な感覚を持つ者からすれば、気分のいいものではない。そんな様子に気付いたマテウスは、この場でのそれ以上の追及を止めて、もう1度記憶を洗い直す。


 あれは女王ゼノヴィアと、夜に書庫で会った帰り道。王宮に続く地下通路でオースティン・リネカーに殺された男。その遺品にオイゲンという名があった事を、マテウスは鮮明に思い出していた。


(リネカーであるオースティンが殺し損なう筈がない。それに俺だってあの男が確かに息を引き取ったのは確認した。で、あるならば……)


「そうだ。彼は変装? を、していたんです」


 それはロザリアが毒針を刺される直前の記憶。彼女は、自らが発した変装という言葉に違和感を覚えつつも、オイゲンと呼ばれた男が、彼女の前でみるみるとその姿を変えていった事を、新たに思い出したのだ。

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