因果な教理その3

「落ち着かないご様子ですね」


 マテウスが周囲に視線を運びながら歩いていると、先行していたナンシーが首だけで振り返りながら、声を掛けて来る。彼女が指摘する通り、今のマテウスはあちこちに気を取られる、都会に出たての田舎者のような反応だった。


「あぁ、これは初めての場所に来た時の癖みたいなもんで……目障りだったら申し訳ない」


「目障りという訳ではないですよ。ただ、手元にある制服よりもよっぽど気を取られているように見えたので。特に時計塔を何度も気にしています」


「時計塔は……少し、あそこから見られているような気がして」


「確かに、今の時間帯は中で作業している人がいる時間ですが……凄いですね。そんな事も分かるんですか?」


「いえ。作業中ならば、こちらを見ているなんて事があるわけもないし、ただの気のせいでしょう。それにしてもこの建物は複雑な構造ですね。下手に動いたら迷いそうだ」


 そう口にしながらも、マテウスの視線は一方に定まる事をせずに、チラチラと辺りを見渡すように動かしている。戦地を転々としていた時、地形はもちろん城や砦を把握する為や警戒の為に、自然と体に沁み込んでしまった癖なのだが、やがてナンシーの視線が少しだけ不審を帯びているのに気付いて、その動きを止めた。変な奴だと思われてしまったようだと、失敗を悟る。


 そうして改めてナンシーを見てみると、彼女の方こそが若干ソワソワしているのにマテウスは気付いた。今度は彼の方がナンシーを不審がる所ではあったが、考えても理由が分かる筈もなく、マテウスはその疑問を顔には出さないように努める。


「そうですね。階段は途中で途切れてるし、変な場所に壁はあるし……私も最初は戸惑いました。着きましたよ。部屋はここを使ってください」


「ありがとうございます」


「帰りは大丈夫ですか? 不安でしたら着替えを終えるまで外でお待ちしてますが」


「そんなに距離があった訳でもないですから、大丈夫です。先に戻っておいてください」


 マテウスが室内に姿を消すのを確認するとナンシーはサッと向き直って、スキップを始めた。先程までの落ち着いた様子とは正反対の浮かれ切った彼女を見る者の姿はない。


(うっひょ~~! 美少女達の生着替え~~っ!!)


「戻りました。失礼します」


 そんな煩悩ぼんのうに満たされまくった脳内を臆面にも出さない落ち着いた声を一言発しながら、女性陣が着替えをしている最中の部屋へと戻るナンシー。そこは彼女にとって桃源郷だった。下着姿でキャッキャウフフと互いに似合う制服を選んでいる彼女達を見てしまうと、顔面が緩むのを抑える事が出来ない。


(あぁ~素敵だわぁ~っ。なんて、なんて可愛い女の子達なのぉ~。アイリちゃんのデカぱいを、パメラ様のおみ足を、フィオナちゃんのお腹を、ヴィヴィアナちゃんの美尻を、エステルちゃんのちっぱいを、頬擦ほおずりしながら揉みしだきたいんじゃぁ~)


 実をいうと先日の理由の大半が作り上げた説明で……同じ女騎士団の中でも、既に名を馳せている白狼騎士団ではなく、ナンシーが鳳凰騎士団を選んだ理由の半分以上が彼女の女性の好みにあった。


 彼女は見目麗しい女性を眺めるのが大好きで、更に付け加えると、女同士で仲睦まじい様子などを眺めるの事をなによりも愛している、深い業を背負った女であった。


 この仕事を選んだのも、自分好みの美しい女性達に自分の選んだ服やアクセサリーを着けてもらいたいという欲望からであって、騎士団査定の時より一目惚れした彼女達に自社の制服を着てもらえる今の瞬間などは、生きてて良かった! と、生の喜びに打ち震えずにはいられなかった。


「……どうかされましたか?」


「はいっ!? どうもしませんがっ?」


 そんな想いに身を委ねていたナンシーであったが、突然に話し掛けられて、実際に飛び上がりながら声の方向に振り返る。いつの間にか垂れていた鼻血と涎を勢い良くハンカチで拭った。そんなナンシーを若干引き気味の表情で見つめるのはロザリアだ。


「そ、そうは見えませんでしたが……」


「だ、大丈夫です。そ、その……宜しければ、ロザリアさんも制服に着替えてみたりしませんか?」


「心惹かれてしまう提案ですが、止めておきます。それよりも、彼女達を手伝ってあげてくれませんか? どうも、制服を着た経験がないから戸惑ってい……」


「えっ!? 良いんですかっ!?」


 突然、食い入るように両目を見開いて血走らせながら、両手を虫の足ようにワキワキと動かすナンシーの様子に、流石のロザリアも彼女を単身であの中に放り込んでいいものか迷ってしまう。話している間中鼻息が荒い上に、ロザリアと異様に距離を詰めて、臭いを嗅ごうとしてくるのだから。


「では、行ってまいります」


「えっと、うーん……」


 ロザリアが迷っている間に一匹の狼が羊の群れに放たれた訳だったが、羊の方から無垢な満面の笑顔で歩み寄ってきたので、彼女の心は浄化されてその足を止めるに至る。


「ナンシーさん。戻っていたんだね。そうだ。レスリーの制服を選ぶの手伝ってくれる?」


「は、はい」


 そう口にするアイリーンは(非常に残念な事に)既に制服へと着替え終えていた。彼女は3つある女性用制服の内のプリーツスカートタイプの制服を選んだらしい。この選択はナンシーとしても、願望通りなので喜ばしかった。


 上半身は首元に大きな赤いリボンがあしらってある、着丈が腰より上の短めな細身に見えるように作られた少しタイトなブレザーだ。返りえりと袖口の部分だけが赤く、境界が白いラインで分けられていて、他は大人しめの黒。


 胸の大きなアイリーンが着ると腹部だけ下に着ている白いブラウスが除きっぱなしになるのだが、これが逆にナンシーの狙い通りにアイリーンの細いウエストをハッキリとさせていた。

 

 そう言えば、制服の下のブラウスのボタンは留められたのだろうか? アイリーンには、マテウスとの最初の商談の時に、胸周りが訓練の最中に苦しく、動いて痛いからどうにかしてくれと、コッソリ耳打ちされていたので、彼女の為に少し胸の緩いタイプをブラウスを特注したり、胸を締め付けない程度に動きを押さえつけるスポーツ用のブラまで用意したのだが……要望がないので、満足したとのだろうとナンシーは考えた。


 そして赤と灰色のチェック柄のプリーツスカートの丈は膝上20cm。激しく動けばすぐにチラリとしてしまう(まことにけしからん)デザインなので、下には黒いスパッツを履くようになっているが……そこは当人の好み次第だ。


 アイリーンは履く事を選んだようで、スパッツにピッタリと締め付けられた太股も、ショートブーツから覗く脹脛ふくらはぎのどちらも細くその上で柔らかそうで、ナンシー的に堪らない光景だった。


 だが、これだけの美少女を前にして余り気分が高揚してこないのは、アイリーンの隣に立つまだ女使用人メイド服のままでオロオロとしているレスリーの存在があったからだ。実のところ、彼女はベルモスク人が苦手だ。


 特にベルモスク人になにかをされた訳ではないのだが、妹が異端審問いたんしんもん官をしているような、敬虔けいけんなクレシオン教信者である事も相俟あいまって、得も言えぬ嫌悪感が拭えないのである。


 それでも言葉で例えるなら……ゴキブリを前にした時のような、生理的な嫌悪感。それが一番近かった。これは彼女が悪いのではなく、エウレシア王国の人間の一般的な感情がこうなのである。幼少の頃からクレシオン教会での教育を受ければ、こうなってしまうのがむしろ自然なのだ。


 レスリーとナンシーとの初対面では、レスリーが包帯を顔に巻いていたので、じっくりとレスリーの顔を見る機会はナンシーにとって今回が初めてだったが、子猫を思わせる大きくつぶらかな瞳や、形のいい小鼻など、パッと見ただけでときめいてしまいそうな程の美少女だと分かる。細身でスラリと伸びた手足。


 戦士として筋肉を少し付き始めた上で、ハッキリと女と分かる膨らみを帯びた彼女のスタイルは群を抜いていて、モデルとして最高の可能性ポテンシャルを秘めていた。


 だが、彼女がベルモスク人である限り、先のようにどんな賛辞を並べようとも、所詮はそういうたぐいのゴキブリなのである。


(これで、黒髪と黒い肌でなければなぁ~)


 ナンシーはそう思わずにはいられなかった。

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