プロローグその2

「……すまない。声を荒げるつもりはなかったんだ。だが、これは大切な事だから聞いてくれるか?」


「う、うんっ。分かったわ」


「身に纏う装具は全て装着する前に理力解放インゲージさせて、理力付与エンチャントが正しくなされてるかどうかを確認するのが肝心だ。これらは、人体に直接影響を及ぼす理力解放が多いからな。誤作動を起こしたりすれば、そのまま使用者の身を危険に晒す事になる。例えば想定以上の高さまで飛ばされたり、想定外の方向に身体が飛ばされたり……そういったケースで大怪我する事は珍しくない」


「……うん」


「それにこういった移動補助系装具の練習は、まず着地の仕方から始めるんだ。これをしないと、先程の君みたいに空中に打ち上げられて、姿勢制御も出来ずに頭から地面に叩き付けられる。そんな事になれば最悪死に至るぐらい、君にも分かるだろう?」


「うん。そうね」


「だからそれらが全て分かるまでは、装具を使う前にまず俺に相談してくれ。分かってくれたか?」


「分かったわ。次は気を付ける。だから、その……そんなに怒らないでよ。少し怖いよ」


 マテウスがアイリーンの肩から両手を離すと、それを追うようにして伸ばされた彼女の掌がマテウスの胸板に触れる。


「怒ってはいない。ただ少し、驚いてしまってな。それに、相談してくれとは言ったが、君のそういう大胆で積極的な所を、俺は評価してるよ。命に関わる事でもない限りは、好きにすればいい」


「褒めてくれて……るんだよね?」


「まぁ、悪く言えば単なる無鉄砲なんだが……」


「やっぱり、褒めてないっ!」


「冗談だ。それと、俺を怒っていると君は言ったが、本当に怒っているっていうのは……君の後ろに立っている彼女のような事を言うんだ」


 そうマテウスに告げられて、アイリーンは後ろに立つパメラの顔を見た。感情の起伏に乏しいパメラの表情には変化はなかったが、身に纏う雰囲気は剣呑けんのんで、彼女と付き合いの長いアイリーンは勿論、殺気に敏感なマテウスにも十分にその怒りが伝わった。


「別に怒ってなどいません。ただ、殺したい人間が目の前に1人立っているだけです」


「駄目。駄目だからね。マテウスは私の騎士なんだから。殺したりしたら、パメラの事嫌いになっちゃうんだからねっ」


 アイリーンはパメラの進行を阻むように彼女の前からすがりついて両腕を回し、抱きしめる。彼女が浮かべる満面の笑顔に浄化されるようにしてパメラの殺気が搔き消えていくのを確認して、マテウスは屈んでいた姿勢を正して皆を見渡した。


「今日はこのぐらいにしてそろそろ行こうか」


「本当っ!? いよいよね……あぁ~、どうしよう。私ドキドキしてきちゃった。そうだっ。汗掻いちゃったし、流さなくちゃっ。パメラっ、行こう?」


 その言葉を待っていましたとばかりに、一人ではしゃぎ始めるアイリーン。無表情のパメラを引き連れて、途中で座り込んで練習していたレスリーまでも引き連れて、寮内へと戻っていく。レスリーは最後まで残って片付けのお手伝いを……などと、しどろもどろに主張していたが、アイリーンの強引さの前には無意味だ。マテウスにしても早めに準備してくれた方が都合が良かったので止めはしなかった。


「エステルちゃん、起こしてあげなあかんね」


「普段通りだともう少し時間がかかるんじゃない? それよりも、装備外して抱えてった方が早いよ」


 背後から近づいて来たヴィヴィアナとフィオナの会話が聞こえて、マテウスは振り返った。白狼騎士団の女騎士ドリスが殺された事件を耳にして、暫く気を落としていたフィオナだったが、その時の相談相手がロザリアとヴィヴィアナの姉妹だった。それを切っ掛けにフィオナは2、3日で自然な笑顔を浮かべられる程度に回復した上に、彼女等2人となら自然とヴァルアーノなまりで談笑出来るようになっていた。


 どんな話をしたのか、どういう心境の変化があったのか、マテウスには知る由もないが、事態は好転したのだろうと勝手に判断している。


「そうしてくれると助かる。風呂にでも突っ込めば流石に目を覚ますだろう。片付けはこちらでしておくよ」


「えぇ~。そんなん可哀想やよ」


「でも確かに、そうでもしないとあの娘起きないかもね。フィオナ、ちょっと先にエステルの所に行っていてくれる? 私、オジサンに少し話す事があるから」


「ん? なに? なんか秘密の話なん?」


「……やめてよ。フィオナが考えてるようなのじゃないから。ほらっ、早く」


 ヴィヴィアナに背中を押されながらも、フィオナは後ろ髪を引かれるようで、はやし立てるような顔で、でも気になるぅ~……などと声を上げながら何度も振り返るが、ヴィヴィアナがその度に追い払うような仕草を繰り返すと、苦笑いを浮かべながらエステルの元へと歩いていく。


「珍しいな、君から俺になんの用だ?」


「別にアンタに用って訳じゃないんだけどさ……貸してもらった本。読んだから返してもらう時の話をしようと思って」


 フィオナの姿が完全に離れたのを確認してから振り返ったヴィヴィアナは、気恥ずかしさと苛立ちを抑え込むような表情で、マテウスからは視線を外しながらそう口にした。


「あぁ、もう読んだのか。結構な厚さだったと思ったが」


「まぁね。もうっていうか……読み直したりしてたら、ちょっと時間かかっちゃって」


「それは……どうやら、内容は気に入ってくれたようだな」


「別に、オジサンが選んだ訳じゃないでしょ? なんで偉そうに……いや、そうじゃなくて……えっと、その……でも、アンタが気を使ってくれて、こういう機会を与えてくれたのには感謝してる…………ありがと」


 マテウスは押し黙って、小さな驚きを表情には出さないように努めた。なんでもズバズバと歯に衣着せぬ物言いの多いヴィヴィアナが、ここまで何度も言い淀みながら告げられた言葉が感謝とは……などと、呆気に取られている時間が少し長すぎたようで、ヴィヴィアナは再び視線を鋭くしてマテウスを見上げる。


「なに?」


「いや、なんでもない。気に入ってくれたようでホッとしただけだ。本を貸してくれた彼女には、返すときに俺からそう伝えておくよ」


「それだけどさ。もう少し待ってよ。今、その人にてて手紙を書いてるからさ」


「手紙?」


「お礼とか、本の感想とか……私から直接伝えたい事を色々書いてるんだよ」


「なるほど。分かった。そうした方がきっと彼女も喜んでくれるだろうしな」


「話はそれだけ」


 そうして背中を向けて歩き去っていく筈のヴィヴィアナだったが、急にきびすを返して戻ってくるとマテウスを指差して宣言するような強い声音でこう言い放った。


「あと先に言っておくけど、手紙の内容は絶対にアンタに見せるつもりはないからっ。渡すからって勝手に見たりしないでよね?」


「元よりそのつもりだったんだが」


「っ!?……ならいいっ」


 ヴィヴィアナは気恥ずかしさからか、頬を少しだけ赤く染めながら再び背中を向けて、肩を怒らせながら足早に歩き去っていく。初めは読書に対して乗り気ではなかったのに、結果がこうなった事を恥じているのだろうか? と、マテウスは勝手に解釈しながら彼女の背中を見送った。


 ヴィヴィアナの弓の不調はまだ続いている。マテウスとて、あんな事がすぐに結果に繋がるなどと思っていない。むしろあの出来事が、様子を見るという理由で彼女と一緒に弓の練習をする切っ掛けになっただけでも、十分な成果だと考えていた。ハッキリと表に出さないまでも、今も悩みとして彼女はそれを抱えているのだろう。


 そんな彼女の気分転換に一役買ってくれたゼノヴィアの功績には、マテウスからも感謝したかった。


(しかし、手紙を送る相手が女王だとは思ってもいないだろうな)


 それを伝えた時にヴィヴィアナがどういう反応を見せるのか、マテウスは気にならないでもなかったが、そこから自分とゼノヴィアとの関係を詳しく説明する気にはなれなかったので、想像するだけに留めておいた。

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