牽制の刃その2
シンディーの手渡した資料から得られる情報は、1言で表してしまえば疑惑が多かった。
ノーランパーソンズ社の傾きかけていた業績は約2年前から持ち直し、横這いを示している。それは幾つもの生産工場を閉鎖し、支出を抑えた結果と言えなくもないが……その結果、生産数が減少しているにも関わらず、登録従業員数は順調に増加に推移しているのだ。
また
つまり、資料のままの数字を信じるならば、理力石を使わずに理力付与製品を生産していなければ説明が付かないのである。それは、現在の
これ等を代表に、その他にも整合の取れない疑惑を抱えた資料から、N&P社がなにかの不正を行っている事は明白で、それはクロップカンパニー社との時とは事情が違い、N&P社の収益管理をし、適正な徴税を行う筈のマクミラン商会が知ってしかるべきの内容であった。
「つまり、我が商会がN&P社と手を組んで不正を行っていると……そう言いたいのかね?」
「そこまでは申し上げません。商会内のどなたかの手によって、故意に見逃されている可能性があると申し上げたいのです。これは教会への献金不正。
ようやく緊張が解れてきたのか、シンディーの弁舌は軽やかだった。攻勢に回ることが出来て彼女らしさが出てきたようにマテウスは思った。対してガストンの表情は変わらない。険しく潜められた眉はそのまま、動揺1つ見せる様子はなかった。
「成る程。確かにこの事実が本当なら、由々しき事態だ。だが、事が事だけにすぐにとはいかん。今日の所はこの辺にして、また日を改めて……という事にして貰おうか」
「事実確認にも時間がかかるでしょうし、仕方がありません。分かりました。では、最後に1つだけ。我々教会と致しましても、この件を最重要案件に掲げて、総力を上げて異端の撲滅に取り組んでいく所存です。なにとぞ、御協力の程をよろしくお願いします」
シンディーは最後にそう締めくくると、深く頭を下げて一礼した。
「き、緊っ張しましたー! マテウスさん結局1言も喋ってくれないなんて、酷いじゃないですかっ!」
「そうは言ってもな。口を挟む必要がなかったんだ。むしろそういう場面にならなくて、良かっただろう」
商会から離れると、シンディーは緊張から解放されたからか、少しテンション高めに声を上げる。顔を揺らしながら話すから、ずり落ちた眼鏡を上げる仕草も多くなっていた。
「しかし、本当にこれで良かったんですか? 教会が総力を上げてだなんて……私、この案件を上司に上げても、商会の献金調査は私の管轄外だし、N&P社は現状カナーンとの関係性が薄いからって、相手にされなかったんですけど。神の使途としてこのような偽りが……」
「あぁー、いいんだよ。教義に背く異端者を捕らえる為なら、業火に身を投げ出すのも君らの役割だろ。よくやったよくやった」
「……軽く馬鹿にしてませんか? 不信心なマテウスさんから適当な慰めを受けても、誤魔化されてる気しかしないです」
シンディーから
「そう突っかかるなよ。それより、次の段階に入るぞ。親衛隊からは俺以外の戦力は期待できない。その上で、出来ればカナーンと彼等が接触する瞬間を捉えたいが……」
「誰がどのようにどの場所で接触するか分からない上に、監視の動員数も限られている現状では、難しいでしょうね。ですが、最悪のケースはなにも知らないエミーさんを巻き込む事態です。それに関しては始めに話したように、私の全権を持って尽くします。そもそも、本当に彼等はエミーさんを狙ってくるでしょうか?」
シンディーが今、口にした通り、カール夫妻の娘エミーは、カナーンとN&P社の繋がりなど証言していなかった。それどころか、事情聴取をした治安局の話では、自分の両親がどういった組織に殺されたかを含めて、自身が奴隷として売られた事実さえも理解していなかった。
これは彼女の年齢がまだ6歳を迎えたばかりの少女なので、仕方のない事だ。しかし、実際に誘拐され、解放された経緯を利用して、マテウスの発案でN&P社との繋がりを示唆したなどと、偽りの証言をでっち上げたのである。勿論、近日に重要参考人として保護される……などという下りも含めて、全てが
シンディーはこれに最初は猛反発を示したが、最終的にはマテウスに言いくるめられ、自身の権限で出来る最大の戦力(神威執行官という同局が所有する異端者討伐の為の特殊部隊)でもってエミーを護衛する事で、なんとか同意したのだ。
「もし、これだけの戦力を投入してなんも成果が得られなかったら、私は厳罰ものですよ……その責任、取ってくれるんでしょうね?」
「そうだな。クビにでもなったら親衛隊騎士としての就職口……紹介してやろうか?」
「そういう責任の取り方は望んでいませんっ!」
「……じゃあどうすれば満足するんだよ。まぁいいさ、安心しろ。そんなには待たせないだろうさ。その為に、近日中に教会の保護下に入るという、僅かな時間の猶予を持たんだからな」
ガストンは証言した被害者が、右も左も分からぬ少女だと知らない。だが、教会が重要参考人として召喚するという情報から、身元の確かな者だと勝手に想像する。その人物が、手の届かない教会の保護下に置かれる事がどれほど不都合か……そうなる前に決着を着ける隙があるのだから、彼等はそこに頼る他ない。
カナーンと連絡を密に取り合えば、それが疑わしい事実だと分かるだろう。だが、それをするには時間が迫りすぎている。シンディーの告げた近日とは、明日か明後日か……そういう焦燥が彼等の選択を急がせる。マテウスはそういった罠を張り巡らせたのだ。
「しかし、あのガストン氏が此方の思惑通りに動いてくれるでしょうか? 話を聞いている間中、何一つ動揺を見せませんでしたが……」
「まぁガストンは此方の話の全てを
不安を隠せないシンディーとは対照的に、マテウスは商会を振り返りながら顔に不敵な笑みを浮かべていた。
「失態だな」
「申し訳ありません」
ガストンの短い叱責を、マクミラン商会幹部兼任、N&P社社長、ハンク・パーソンズは、ただ頭を下げて受け止めるよりなかった。不毛化の広がり始めた額に
「私がこの商会を任されて20年近くなるが、その間1度たりともあのような不愉快な訪問はなかったよ。教会には手を回していたのではないのかね?」
「マクミラン商会担当の献金管理官には十分過ぎる程に。ただ、今回の件は末端の異端審問官が独断で動いた結果だとしか……」
そうハンクが告げてから暫く、頭を下げ続けていた彼には分からなかったが、ガストンは静かに肩を揺らしながら笑っていた。窓の外に視線を向けて、商会の外へ消えていくシンディーとマテウスの背中を眺めていたのだ。
「献金ね。理力と名の付く物なら、なんでも苗床にして繁殖するカビのような連中が、神の使途だというのだからな。金の亡者はどちらであるか、本当に神の怒りに触れるべきはど誰であるか、明白だと思わんかね?」
「その通りで御座います」
ガストンの声色に嘲笑めいたものが混じる。それを弾んだ声と捕らえたハンクは顔を上げ、教会関係者の耳に止まれば即異端認定されそうな発言に、笑顔を浮かべて持ち上げるように追従した。
しかし、振り返ったガストンの顔に1つも笑顔が浮かんでない事に気付き、ハンクは再び視線を合わせるのを避けるように深々と頭を下げた。
「末端の独断か。それをさせたのも貴様の努力不足……そうは思わんかね? ハンク」
「も、申し訳ございません」
「ハンク。貴様には、私が謝罪を欲しているように見えたのかね? 貴様の1銅貨にもならん謝罪を欲しているように」
「いえ、そのような事は決して……」
「私が知りたいのは、あの女の言葉が何処まで本当なのかだよ。教会が総力を上げて異端に乗り出すだと? ハンク、貴様の話では根回しは終えているのだろう? なら何故、あの金の亡者共に総力を上げて、たかられなければならんのだね?」
「事実確認はまだ取れてませんが、そのような事は決してない筈です」
「貴様の憶測ではなく事実が知りたいのだよ。急ぎたまえ。そしてもう1点、貴様の手駒であるカナーンが、誘拐したという被害者の証言。あれは本当なのか?」
「そっ、そんな筈はありませんっ。カナーンには我が社の存在が知られぬよう、最大限の注意を払って交渉に当たっております。ただ、その……被害者の存在につきましては、ジェローム卿がお亡くなりになって依頼、カナーンとの連絡が蜜に取れない状態でして……」
「そんな言い訳が通るかっ! 貴様の垂れ流しているそれは、時間の浪費だっ! 貴様はっ、私が知りたいと言った事実をっ、ここに並べればいいのだっ!!」
元々溜め込んでいたガストンの怒りが遂に頂点に達した時、噴火したような勢いで彼の怒号がハンクに放たれた。ハンクは頭を下げたままの姿勢で身体を恐怖に強張らせ、嵐に耐えるように強く瞳を閉じた。
やがてガストンの怒号が収まり、彼が肩を揺らしながら荒い呼吸を繰り返す音だけが室内を支配する。それも、ガストンが注目を求める教師のように、手を叩く音で掻き消えた。
「……顔を上げろ、ハンク。いいか、確認しておくぞ。よく聞け。ドレクアン現政権と西ドレクアンの内戦が始まりを発端にして、傾きかけていたN&P社の経営を立て直す為に、貴様が勝手に始めたのが今回の計画だ。このまま事が、貴様にとって最悪な方向に進み続ければ、無許可採掘、密造、密輸、密売、
「そ、その通りで御座います」
ガストンが正面に立つと、ハンクの方が背が高い所為で、ガストンは見上げるような形になる。しかし、ハンクからすればそれは、肉食獣に喉笛を下から睨み上げられているようで、とてもじゃないが穏やかではいられなかった。
「喜べハンク。それを前提に、無関係な私が冷静な助言を与えてやろう。まずは重要参考人を抑えろ。本当にそんな者がいるかどうかは置いておくとして、もしその証言に信頼性があるというのなら、それが教会の手に渡るまでがタイムリミットだ。手段は貴様で考えろ。献金管理官に根回しをしているなら、末端女の内部告発など、どうとでも握りつぶせるからな。金額分の働きをして貰え」
「は、はい。ではそのように」
「そのように、ではないだろう? 私は助言をしているだけだ。参考にさせてもらいます、だろう? なにをいつまでも笑ってるんだ? ハンク」
「失礼しましたっ。参考にさせてもらいます」
喜べと言ったそばから、笑っている事をガストンに叱責されたハンクは、どんな表情を浮かべていいか分からずに顔を歪めた。額に浮かぶ脂汗を拭く事も出来ずに、広がった額には幾重にもなって流れていた。
「では最後に、これは私の独り言なのだが……小さな望みがあってな。出来る事なら死んで欲しい相手がいるんだよ。名前をマテウス・ルーベンスといったな……先程ノコノコと私の前に顔を出した、あのクソ野郎の事だ。君が主導した王女誘拐事件をぶち壊し、ジェローム卿との決闘でも生き長らえ、君が差し向けた刺客を全滅させてくれた、あのクソ野郎の事だよっ!」
マテウスの話を始めると、これまで以上に顔から頭まで赤くして、全身で怒りを表しながらハンクの顔に吐き捨てた。対照的にハンクは青ざめていくしか出来ない。
「私は浪費が嫌いだ。時間の、金の、資源の……全ての浪費が大嫌いだ。その全てをあの男は私にっ……おっと、君だったな。その全てをあの男は、君に与えたんだ。死んでしかるべき、そうは思わないかね? ハンク」
「はい、その通りで御座います」
「もう1度、カナーンを使うといい。金に糸目を付けるな。教官役の女がいたな? 騎士鎧を使わせろ。第3世代までなら此方からも提供してやれ。全力で潰すんだ。リンデルマン候も君の働きには期待していた……これで顔を見るのが最後になるのは、追い詰められた君ではなく、マテウス・ルーベンス。ただ1人でいい。そう思わんかね?」
「はい、その通りで御座います」
背を向けて離れていくガストンに、ハンクは震える身体を堪えながら、もう1度深く頷いて見せた。
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