牽制の刃その3

 ―――同日、夜。王都アンバルシア郊外、貧民街


 そこはヴィヴィアナが居を構えていた貧民街とは違う場所。貧民街は1区画として存在するのではなく、区画と区画の隙間、整備の終わっていない郊外。そういう社会の隙間に存在する。ここはその1つだ。


 ハンク・パーソンズは貧民街を護衛達を引き連れて歩きながら、苛立ちを抑えられずにいた。また、このように品のない社会から摘み出されたゴミの掃き溜めに、自らが直接に足を踏み入れるような時が訪れた事に。有能な自身の能力を認めようとせず、上からゴチャゴチャと命令し、あまつさえトカゲの尻尾のように扱う上司ガストンに。そして、高い装具まで与えてやったのに2度も失敗を重ねておいて、報酬を払うまでは動かないと、勝手な行動を取る無能な部下達カナーンに。


 自身以外の全てが消えてなくなればいい。そういう衝動に駆られるほどに苛立ち、憎悪していた。夜半から降り始めた小雨の為か、雨の臭いに乗って街路に放置された汚物の香りがマスク越しにでも鼻を付く。このような場所の空気が自身の体に入って来るのが我慢ならなかった。


 その上、ハンクの護衛がかざす傘の角度が悪く、彼のブランド物のスーツが雨に濡れた瞬間、いよいよ我慢の限界に達して声を発する。


「おい、肩が濡れてるんだよ。この馬鹿が」


「失礼しました」


 慌てて傘の角度を変える護衛に、当然の事が出来ない無能がここにも1人いたかと、ハンクは更なる苛立ちをつのらせた。そうして歩いた先に、道を塞ぐように雨合羽あまがっぱ姿の男が2人立っていた。


 その2人の影がハッキリと映し出された時には、護衛達はハンクを囲むようにして陣形を整える。彼等2人が歩いて近づいて来たので、更に緊張を高まらせた。


「ここから先は通行止めでーっす。オジサン達、なんの用?」


「カナーンだな。潜伏先へ案内しろ。ジョンが交渉に来たと言えば分かる」


 目深に被ったフードの為に口元しか見えない男が、頭の悪そうな軽い声音でハンクへと話しかける。ハンクの言葉を聞いた男は、1人を見張りに置いたまま姿を消すが、やがて戻ってきてハンク達を先導して歩き出した。


 ハンク達が案内された場所は、貧民街でも比較的造りの上等な家屋。そこは、屈強な男達が部屋中を取り囲むように待ち構えた彼等、カナーンの巣だった。護衛に守られているとはいえ、多勢に無勢。ハンクは胸中に不安を抱き、しかし不安を抱かされる事にまた、怒りを覚えていた。


「ようやっと払う気になったんかい?」


 薄暗い一室で、唯一吊るされた照明に煌々と照らされたテーブルの上で膝立ちになって腰掛けていた男が、耳障りなバルアーノ領訛りの言葉使いで尋ねてくる。それに対してハンクの護衛の1人が、無言で歩み寄ってテーブルの上に箱詰めにされた金を投げ置いた。


「約束通り、セグナム銀貨200枚だ。確認しろ、ヴィーノ」


「おぉー。金貨は両替が大変やからなぁ……前に言っとったんを覚えとったんか」


 そんなやり取りの後、ヴィーノと呼ばれた男は部下の1人に中身を確認させる。部下が無言で頷いた後、前髪を大袈裟に払いながら両手を広げて話し始めた。


「ご苦労さん。確かに受け取ったわ。でも、最初っからこーして貰えれば、話もはよー済んだし、無駄な犠牲も少なくて済んだんやけどなー」


「その口ぶりだと、やはりお前達がジェローム卿を殺したのかっ? おかげで話がこじれたんだろう? 余計な事を……」


「おいおい、アンタほんまに人の話聞かへん人やな。前も話したけど、俺達が殺したのはカールだけや。ジェロームさんは殺ってない」


「どうだかな。それ以外にも、お前達が売ったという奴隷が足を引っ張ってくれて、我が……」


 そこまで言いかけてハンクは慌てて口を閉じる。彼等と顔を合わせるのはジェロームを失ってから3度目になるが、その間も自らがN&Pノーランパーソンズ社の社長であると、身分を明かすような事はしなかった。彼等から情報が漏れるのを防ぐ為、そして、仕事が終わった後まで彼等に付き纏われるような事が、あってはならないからだ。


 だから、会うたびに帽子にサングラス、マスクとを着けて、偽名を使い交渉の場におもむいている。最初は手下を使っていたのだが、デリケートな会談になると融通が効かないので、不承不承こういう形を取る事にしたのだ。ハンクの立場も彼等カナーンの中では、ジェロームの部下……という事で収まっている筈である。


「なんや。捕まりそうになって切羽詰まっとんのか? それで慌てて俺達に媚び売りに来たっつー事かいな?」


「誰がお前達など媚びを売るかっ! この馬鹿がっ! お前達のいつまでもここを住処にしてられると思うなよっ!? 数日中には貧民街にも治安局の一斉捜査が入るからなっ」


 ハンクの苛烈な言葉の内容に、部屋の周りに立っていた部下の男達の空気が変わる。馬鹿だと言われた事に腹を立てたのか、ドスの効いた声を上げながら輪を縮める。


 しかし、ハンクは内心笑っていた。彼等の怒りが自分の言葉の重大さが伝わってない証拠だからだ。こんな学の無い馬鹿共の相手をしなければならないのかと思うと、逆に怒りすら湧いてきそうだった。その険悪な空気を切り裂いたのは、ヴィーノの伸ばされた両腕だった。近づこうとする男達を制するように手の平を広げて、左右に両腕を伸ばして制止させる。


「ちょー待てってお前等。どうやらジョンさんの話、結構オオゴトになっとるみたいやで?」


 そう告げてこちらに視線を向けるヴィーノに、流石に代理とはいえカナーンの交渉役に選ばれる男だと、礼儀知らず共の中ではマシな部類だと、少しだけ溜飲りゅういんを下げた。


「つまり、ジェロームさんの影響力がなくなったせいで、リンデルマン侯爵とやらとの協力体制が取れなくなったっちゅー事やな。そんで押さえ付けていた治安局がワラワラ俺達を探しにくるっちゅー事か」


「そういう事だ。すぐに治安局が王都全体に網を張り巡らせるぞ。そうなれば、お前達は残らず終わりだ」


 ハンクの通告に事態の深刻さを飲み込めたカナーンの男達は様々だ。戸惑う者、脅える者、逆に奮い立つ者……その中にあってヴィーノは長い前髪を両サイドに分けながら、高い鷲鼻を指で押さえながら静かに考え込んでいた。その姿はこの場にいるカナーンの誰よりも、感情をコントロール出来た様子だった。


「まぁ潮時っちゅー事かね。こうなったら本拠に撤収するしかないわな。教官に相談するまでもないやろ」


「それでは困るからこうして足を運んだんだ。貴様等がクロップカンパニーに売ったという奴隷。その中に、我等の繋がりを証言したという者がいるらしい……記憶にあるか?」


「うーん……そう言われてもなぁ? ここにいるのが俺達全員って訳やないしなぁ。何人売ったかどうかすら、確認のしようがあらへんわ」


「治安局が手を出せないからといって、無計画に動くからだ。馬鹿め。リストならこちらで用意している。確認しろ」


 そう言って用紙で手渡したのは、クロップカンパニーがカナーンから買い取った奴隷の名前が並べられていた。その数は4名。カールの娘エミーの名前もしっかりと明記されていた。


「へいへい。しかし確認した所でなぁー。大体、我等の繋がりて……ジェロームさんの事は、リンデルマン侯爵に伝手があるんやろうなぁーってのは分かるけど、本っ当ーにそれぐらいやで? それが問題なんか?」


 ヴィーノの言葉にハンクはどう答えるべきかを迷った。N&P社との関係を漏らしたのか? と、直接聞きたかったが、それをしてしまってもし彼等が知らなかった場合。それを理由に付け纏われる切欠を作るのは愚か過ぎる。


 ではリンデルマン侯爵とカナーンの繋がりが問題になるかというと、そうでもなかった。もし仮にリンデルマン侯爵にその嫌疑が掛かる時がくれば、彼は私兵を使ってカナーンを全力でもって討伐して見せればいいだけだ。彼にとってはトカゲの尻尾を切る程度の行為。世間の評価と、権力とが彼を味方する。


 本来ならハンクは、このリストに上げられた1人1人を、何時に何処で誰がどのようにして攫ったのかを、全てを調べあげて報告させたかった。何故ならこれは、マクミラン商会長ガストンも疑っていた事が、教会側が張った罠である可能性もあるからだ。慎重に動くべき事案なのを、ハンクも重々に承知していた。


 だが、それをするには時間が残されていなかった。治安局がいつ王都を封鎖するかも分からぬ状況で、教会に目当ての被害者を先んじて抑えられるかもしれないこの状況で、情報を収集している時間は残されていないのだ。


 だから、消去法としてこういう処置しか彼には思い浮かばなかった。


「問題があるかないかが確認出来ない以上、教会に先んじて捕らえるしかない。貴様等が原因なのだからな。やってもらうぞ」


「罠があるかもしれへんのにそんな危ない橋渡るわけ……」


 ヴィーノに最後まで言わせることなく、ハンクは護衛に指示を出してテーブルへ箱を2つ並べた。中身を確認しなくとも、そのズッシリと響く音が、中に金が敷き詰められている事を教えてくれる。


「前金にセグナム銀貨400枚だ。成功報酬にさらに800枚用意してやる」


「はっぴゃっ!?」


 治安局始動の情報にすら冷静さを失わなかったヴィーノが、その並べられた金の多さに思わず声を上げた。周囲も当然、箱へと視線を奪われる。


「依頼内容は3つだ。まずは奴隷4名を見つけ出し、殺せ。そしてマテウス・ルーベンスの殺害だ。その為の装具ももう1度こちらで用意してやるから、この2つは必ず達成して見せろ」


「まぁ受けるかどうかは置いといてや……最後の依頼はなんや?」


「第3王女の誘拐だ」


「まだ諦めとらんのかい。けどもう、それは無理やろ。王女様は警戒してお城に引きこもっとるんとちゃうか?」


「貴様が気にするような事はこちらで調査済みだ。王宮に放ったスパイから、時々少数の護衛で王宮外に出歩いているという情報を得ている。必ず隙はある。いいか、以前のように暴走はするなよ。彼女は必ず生かして捕らえるんだ」


「あれは俺の班やないからなぁー。まぁ奴隷の件は教会に渡る前ならチョロイやろうし、マテウスの件も仲間がぎょーさんやられとって、コッチも恨みはあるさかい、やりたい所やけど……今更、まだ王女を狙うのはなんでや? 前はもう狙ってないゆうてへんかったか?」


 確かにヴィーノの言葉通り、1度誘拐を失敗して以降、最初に誘拐を企てたリンデルマン侯爵からの依頼は来ていない。ハンスは誘拐を企てた理由を知らなかったが、失敗したにも関わらず次の依頼が来ない理由については、ガストンが見限られたからだと考えていた。


 リンデルマン侯爵からすれば、使える手駒であれば商会の頭はガストンでもハンクでも問題ない筈だ。つまり、ここで王女誘拐を成し遂げる事が出来れば……リンデルマン侯爵の指示は、ガストンから自分へ移る可能性があるという事もある。


 リンデルマン侯爵の指示さえあれば、これから先の異端の罪をガストンに擦り付けて、自らがマクミラン商会長の地位を狙う事すらも出来る筈。確かに今は窮地ピンチではあるが、同時に好機チャンスでもあると……ハンクはそう考えていた。


「事情が変わったんだよ。そんな事より、元をただせば貴様等の責任だ。受けないと破滅が待っているのは、俺も貴様等も変わらんぞ」


 この時、ハンクのマスクとサングラスの下に隠された表情を知る者はいない。しかしハンクだけは、自身がこの期に及んで笑みを浮かべているのだと、初めて自覚した瞬間だった。

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