牽制の刃その1
―――翌日、正午付近。王都アンバルシア中央区、マクミラン商会付近カフェテラス
「正気ですかっ!?」
「……声を抑えろ。関係職員の耳に止まれば事だ。ただでさえ、君の制服はよく目立つからな」
落ち着いた様子で紅茶を
マテウスが指摘した通り、シンディーは
「わかりました。しかし、今からというのは正気ですか? マクミラン商会に私達2人だけで乗り込むなんて」
「俺はいつだって正気だよ。足で調べて回るのには、そろそろ限界が来ていた所だ。こういう
「……本当に先ほどの打ち合わせ通りに、上手くいくのでしょうか?」
「どうかな。細かい所は君がアドリブでなんとかするしかない。これに関して俺は本来、口を出せる立場じゃないからな……まぁ同席するんだから、どうしてもやばそうならフォローに回るつもりだ」
マテウスがそこまで言っても、シンディーの反応は鈍い。異端審問官といえども、相手が一般市民とは掛け離れた存在となれば、当然の反応か。国営を担う存在に異端の嫌疑をかけておいて、本当はなにもなかったであれば、彼女が責任に問われるのは避けられないだろう。それを独断で行う事を、マテウスは強いている。
「そう深刻になるなよ。これは確かに半分ハッタリのような物だ。それも商会の上層部からすれば、歯牙にかける必要もないハッタリだ。それを使って情報提供の協力をお願いするだけ……いつも君がやっている事だろう?」
「た……確かに。まだ事情聴取段階の話なら、嫌疑をかけた訳ではないし、私としても言い逃れは出来ます……よね?」
「そういう事だ。君の調査も行き詰っていた。君の上司達も、この程度の調査結果では動いてくれない。このまま異端を見逃すのか? そういう訳にはいかんよなぁ? 俺の提案以上があるのであれば、聞いてもいいが?」
「ぐっ……今の所、思い浮かびません」
「なら覚悟は出来たよな。行こう、シンディー」
勝手に清算を終えて先にマクミラン商会へと向かおうとするマテウスの背中を、慌てて立ち上がって後から追いかけながら、眼鏡の下の瞳を腐らせて小声で毒吐き始めるシンディー。
「はぁー、この人絶対攻めだわ。俺様、クールでオヤジの完攻めとかハイブリット過ぎて、ダグさん休ましてあげて~。壊れちゃう壊れちゃう。ネチネチ時間かけて責め抜いて、ダグさんが他の男と話そうものなら、俺様発動して独占欲丸出しとか、オヤジの癖にギャップ狙ってるとしか……うわ~っ、て事はダグさんあの顔でマッチョ健気?
「……君はさっきからなにをブツブツと呟いているんだ?」
「ハイッ!? 私がなにか言いましたか? 適当な事言ってると、貴方から捕まえますよっ!!」
「お、おう。その意気で行こう。その前に鼻血、拭こうな」
そんなやり取りの後、カフェテラスからマクミラン商会へと移動した2人。マクミラン商会程の大手となれば、その本社の敷地面積は宮殿のそれと大差ない。天井の高い広々としたエントランスでは、全ての受付が人で埋まっていた。
そんな人の列を抜け、事前にアポイントがある事を確認して貰い、従業員に先導に従いながら2人並んで歩く。階段を登り、幾つもの事務所を横切るたびに、勢力的に働く人の姿を見かけ、その誰もがギョッとした顔で2人を振り返った。
2人というか、シンディーの姿に
そして案内されたのは場所は会長室。そこは他の部屋とは特別に離れた、静かな一室だった。部屋には勝者の証である高級調度品の数々。壁には代々の会長であろう豪華な額縁で飾られた肖像画、そして商会として表彰された賞の数々。そのどれもが部屋の
しかし部屋の主がそうであるかは別だ。下に白いベストを着た、派手な赤いスーツ姿の男。顔が大きく、その
初対面であれば誰もが不愉快な感情を抱きそうな彼の名前は、ガストン・マクミラン商会長。マクミラン商会の頂点に立つ男。だが、マテウスは彼に対して、そういう感情を抱かなかった。その容姿はともかくとして、自身もよく闘う前には、ああいう値踏みをする視線を、相手に送っている自覚があったからだ。
それは口に出すまでもなく、ガストンにとっての戦場がこの場所である事を示していた。
「ご苦労。下がれ」
ガストンがそれだけ告げると、案内をしていた女は後ろ足で部屋の外まで出て深く一礼した後、退席した。部屋に3人になると、再びガストンから口を開く。
「自由に掛けたまえ。話があるようだから聞くが、私も忙しい身でね。紅茶をお出しする時間もない事を許してくれ」
「いえ。このままで結構です」
「わ、私も結構です。こちらこそ、お時間を頂き感謝いたします」
会長席から動こうとしないガストンの前にマテウスが移動すると、シンディーもそれに
始めの自己紹介を終えた時、ガストンは
ガストンの視線は真っ直ぐにマテウスを観察していたが、マテウスが見返すと先にガストンの方から興味を失ったように視線を下へと落とした。
「それで話はなんだったかな? そうそう、我が商会が異端を働いているとか……」
「正確にはマクミラン商会傘下の会社が、です。クロップカンパニーといいますが、ご存知でしょうか?」
「ふむ……我が商会傘下の会社の数だが、個人農家や小規模な企業まで合わせれば、15万を越えている。君は、その1つ1つまで名前を覚えろ、と言うのかね?」
「し、失礼いたしました」
(おぉ、
流石にガストンのような立場の者になれば、教会……ましてや末端であるシンディーなどには手の出しようがない存在なので、これぐらい強く出る事もマテウスは予想できていた。
しかし、シンディーは心構えが足りなかったようで、少し萎縮してしまっている。彼女の立場では余り経験がない出来事だろうし、仕方があるまい。
「では、こちらをご確認ください」
そういってシンディーがガストンに手渡したのは、クロップカンパニーが行った犯罪に対する嫌疑と、その証拠を資料化したものだ。治安局のダグを通してマテウスが手に入れたものを、そのままシンディーに使わせている。
ここで重要なのは、クロップカンパニーが行った様々な悪行の数々ではなく、カール夫妻の娘エミーが、カナーンという異端者認定された宗教団体に誘拐された事、そのエミーをカナーンからクロップカンパニーが買い取った事。その2つの事実だ。つまり……
「つまりこれら資料が示すのは、マクミラン商会傘下である所のクロップカンパニーが、異端者達に資金提供した揺るぎない事実であります」
「成る程……よく分かった。このクロップカンパニーという会社が異端者達に手を貸していたのは、事実なのだろう。だが、それを何故私に提出してきたのだ? 彼等は確かに我が商会傘下の会社ではあるが、傘下の末端がどんな犯罪に手を染めようとも、我が商会までが責任を問われる理由にはならんね。彼等を捕縛したいのなら、勝手にしたまえ。商会としてはその後に、速やかな対処をするまでだよ」
「……確かに仰る通りです。しかしそれは、話がここで終わればの話です」
まるで資料をデスクの上に捨て置くようにして手放すガストンを前にして、居住まいを正しながら告げるシンディー。マテウスには、緊張から解れてきた彼女の体に、開き直りに似た気合が入っていくのが分かる。
ここで尻込みしてはダメだ。マテウスは心の内でそうシンディーを
「誘拐された被害者の発言の中に、異端認定教団カナーンと
今まで聞き流すような態度だったガストンが、始めてシンディーの顔を射殺すような眼差しで見据える。纏う空気まで変わったのも一瞬、再び穏やかな口調でシンディーの発言の先を進めた。
「先ほどからその被害者と呼ばれている者の名前は、なんというのかね? そもそも、被害者の発言に信憑性があるとは思えないんだが、そこはどう説明してくれるんだね?」
「被害者の名前は明かせません。彼女は重要参考人です。近日、教会の監視下に保護する予定です。2つ目の質問に関してはお答えします。これは私と
そう言って手渡したのは彼女自身がマテウスと最初に話した日から調べていた、N&P社の業績を子細に集めたものだ。勿論初めからN&P社に的を絞って調べていた訳ではなく、マテウスの言葉をヒントにして、軍用の
異端審問官には異教徒狩りの他に、
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