月夜に瞬くは銀の閃きその1

 ―――同日、日没。王都アンバルシア南区郊外、旧住宅街


 マテウスとパメラは、リスクガード本社を出たその足でカールの自宅に向かったが、当初の予想通り、到着するまでには日が沈んでしまっていた。というのも、南区までの移動手段は馬車を拾ってスムーズに事が運んでいたのだが、旧住宅街に入る辺りから御者に、お約束通りここまでですと、2人は馬車から降ろされる事になったからだ。


 何故なら、旧住宅街に入る辺りからの道路は、舗装も終えておらず、動線の計画もされずに乱立された住宅地が増える為、馬車で走るには面倒な事が多いからである。


 そんな状況で、仕方なく徒歩で旧住宅街を歩くマテウスとパメラ。マテウスは日が暮れる前までに戻ると告げて兵舎に残してきたレスリーや、倒れたままのエステルの事を考えるが、連絡手段がない以上、仕方がない事だと諦めていた。


「ここで間違いなさそうだな」


 2人が足を止めた前にある家屋は、旧住宅街の中でも大きめの家屋だった。ザットはカールの事を家族住まいと語っていたが、その家族構成をマテウスは知らなかったので、その大きさについては、こんなものかと納得しておく。


 そしてマテウスは、玄関扉の前まで近づいてノックしようとしたが、その手を止めた。


「マテウス卿。これは手遅れのようですね」


「あまり考えたくはないが、どうやらそのようだな」


 マテウスはノックしようとした手で、そのままドアノブに触れる。ドアはなんの抵抗もせずに、2人を中へと招き入れてくれた。しかし、中には家族住まいの生活感はない。まるで地獄の門のような、薄暗い玄関が広がるだけだ。


 マテウスは腰から装具を抜き放った。レイナルド社製、ヒートエッジ。マテウスがジェロームとの決闘で使った時とは違って、理力倉カートリッジは充分。予備も懐に用意してある。


 マテウスは後ろを振り返ってパメラを一瞥いちべつしてから、カール邸へと踏み入っていく。パメラの装具を確認する為の行為だったのだが、彼女の装具は暗器だと思い出して、いらぬ世話だと判断した。


 カール邸の内部はこの時間帯にも関わらず、照明ひとつ点いていないようだった。主人が不在であるならば不思議な事ではないのだが、マテウスとパメラの鋭敏えいびんな感覚が、人の気配を察知していた。


 廊下には複数の足跡が残ったままになっていた。2人はその上を慎重に足音を殺しながら、カール邸の奥へと歩を進めていく。


 その部屋はリビングだろうか? とにかく、2人が廊下を進んだ先、突き当たりの部屋の扉が、半開きになっていた。先行するマテウスにも、部屋の中の様子までは確認出来なかったが、彼は扉の下に大きな水溜まりが出来ている事に気付く。


 耳が痛くなるような静寂の中でミシッと、マテウスの足音が響いた。水溜まりの前で立ち止まったマテウスが、足の先で水溜まりを擦る。彼の予想通り、水溜まりは伸びる事なくポロリと水飴ように剥がれた。


 なぜなら暗闇の中で水溜まりに見えたそれは、既に渇ききった血痕だったからだ。その円は人間1人の致死量に達しているであろう程に広がっていて、更に部屋の中へと続いている。


 マテウスはもう1度確認の為に後ろを振り返るが、パメラに臆した様子はなかった。彼女は後ろを警戒しながらピッタリとマテウスに着いて来ている。まだ15歳と聞いていたが、それなりの場数はこなしているようだ。


 パメラに背中を任せて、前方へと神経をとがらせるマテウス。彼が片手で扉を押し開いて、半分だけ顔を覗かせて部屋の中を確認すると、部屋中が血糊ちのりで彩られていた。


 そして部屋の中央に際立つ、並んで横たわる2つの人影。窓から差し込む月明かりがそれを照らし出す。死体だった。引き裂かれた衣服が、生前に受けた激しい暴行を髣髴ほうふつとさせる、女性の死体が1つ。無力さにか痛みにか、苦悶の表情を浮かべたまま事切れた、全身に傷を負った男性の死体が1つ。


 マテウスは他に人影がないかを確認する為に、十分に部屋の中を見渡した後、パメラを部屋の外に立たせたまま中へと入っていく。2つの死体に近づいてしゃがみこむが、脈や息を確認するまでもなく、死体は死体でしかなかった。


 その顔を確認して、男の方の死体がカールであった事に気付くマテウス。歳の頃から、女性の方は彼の妻だろうと推測できた。子供がいると聞いていたが、その影が部屋中見渡してもない事に、喜ぶべきかどうかをマテウスにはこの場で判断出来なかった。


 とにかくマテウスは、この凶行に及んだ敵性因子の姿がないのを確認してから、パメラを部屋の中へと手招きする。


「死後何日か分かりますか?」


「腐敗が始まっているが、臭いはしないな。5、6日といった所か……休日取得の時期と一緒と考えていいだろう」


 マテウスには、薄暗い室内でパメラの表情を見る事は出来なかったが、その抑揚よくようのない声からいつもの無表情なのだろうと察する事が出来た。周りを見渡すほどの余裕もあるようで、彼女は壁に大きく血糊で描かれた、それに気付く事が出来た。


「このシンボルに見覚えは?」


「分からん。カルトめいたものを感じはするがな」


 横長の楕円を、縦横に稲妻のようなジグザグとした線が2本貫いたシンプルなシンボルを2人で見上げる。その瞬間、空気が一変する。2人はその瞬間まで、玄関口まで届く血生臭い人の気配がした事を、忘れていた訳ではなかったので、それに対して俊敏しゅんびんな反応を見せる事が出来た。


 入ってきた扉を正面に、左右の壁際に分かれるようにして飛び込む2人。そして、2人が先程までいた場所へと、無数の火球が窓と壁を突き破って降り注いでくる。


 それは突然、横殴りの豪雨に襲われたような惨状さんじょうだった。狙い撃ちではない。大火力による飽和攻撃。次々と撃ち込まれる火球に、マテウスは抵抗も術もなく、物陰に身を伏せてやり過ごした。


 彼とは反対側の張り出した支柱の影には、身を伏せながら頭を両手で覆うパメラの姿がある。彼女もまた、反撃の糸口を見つけられずに、手をこまねいていた。


 2つの亡骸なきがらが転がるだけのリビングに、辛うじて生活感を演出していた家具やインテリアが次々と弾け飛ぶ。ガラス窓はサッシごと吹き飛ばされて舞い上がり、レンガ造りの壁は粉々に砕け散る。


 そしてカール夫妻も、その素性が確認出来ないほどに粉々に変貌へんぼうしていくが、それを気にかけるほど、マテウスにもパメラにも余裕はなかった。少しでもこの嵐に顔を晒した瞬間、次にああなるのは自分だと2人はよく理解していた。


 時間にしては1分も経過していなかったが、パメラとマテウスにとっては長すぎる火球の暴風雨が、ようやく終わりの時を迎える。見るも無惨ではあるが、静寂のみを取り戻したリビングの中で、2人はまず顔だけを上げて互いの姿を確認した。


 生きているし、怪我もない。マテウスはパメラのその姿を見て大したものだとホッとしたが、パメラは同じように無傷で潜り抜けたマテウスに向けて、軽く舌打ちしていた……本当に大したものだ。


 次にマテウスは吹きさらしになってしまったリビングから、まだ外にいるであろう武装も数も不確かな敵に対して、どう反撃したものかと考えていたが、かといって、迂闊うかつに動いて姿を晒す訳にもいかないのは確かで……そうして彼の思考がまとまらない間に、今度は玄関が開く音がする。


 マテウスは床に耳を貼り付けて足音を確認する。2人以上。このタイミングなら、音に驚いて駆けつけた地域住民の可能性もあったが、足音を殺そうとする挙動からそれはないと推測出来る。


 続けて、勝手口だろうか? とにかく、玄関口とは逆方向の扉が開く音がした。これも複数の足音。玄関とは別の入り口から声も掛けずに上がり込むようなやからが、無害な者だとマテウスは楽観出来なかった。


 足音を探っていたマテウスの耳に、コンコンと床を叩く音が響く。顔を上げた彼の視線の先には、パメラの姿があった。彼女が注意を引く為に、拳で音を鳴らしたのだ。マテウスと視線が合ったのを確認して、パメラは自らと外を交互に指差して見せる。


 マテウスは考えずとも、それが指す意味を理解出来た。パメラは外の敵は自分が排除すると言いたいのだ。確かに、またあの火球の嵐に晒される可能性がある以上、この場で複数人の侵入者相手に足止めされるのは不利だ。


 しかし、同時に危険な行為でもある。外の敵と相対すれば、間違いなく銃型装具の脅威きょういに晒されるのだから。マテウスは少し考えたが、結局パメラに任せる事にした。


 リネカーの家系である彼女の行為が、決して蛮勇ばんゆうな筈がない。現状を冷静に把握して、自分の判断で外を任せろと言ったのだろう。なにより、彼女の装具は狭い屋内よりも、広々とした屋外の方が力を発揮出来るという情報が、マテウスの決断を後押しする。


 マテウスが頷くのを確認すると、パメラは静かに身を起こす。片膝を着いて屈んだまま、外へ右腕を伸ばす。差し込む月明かりに照らされた彼女の口元が動くのが見えた。


 ご武運を……マテウスが読唇どくしん術でそう読み取った瞬間、パメラの腕の先の空間が反射してひらめく。そして右腕をなにかに引っ張られるような不自然な動きで、パメラの姿は掻き消えた。


(ハッ……冗談キツイぜ)


 直後に屋外で鳴り響く銃声と、けたたましい悲鳴。パメラが戦闘の口火を切ったのだ。パメラの最後の言葉には苦笑を禁じえなかったマテウスだったが、これ以上彼女に任せたまま、ここで潜んでいる訳にはいかない。彼は、頭を庇うのに使っていた片手剣ヒートエッジを構えて静かに立ち上がる。


 先にマテウスのもとへ近づいて来たのは、玄関口から入ってきた敵だった。外から聞こえる銃声と悲鳴に、標的(ここでいう標的とは、マテウスとパメラの事)が外へ移動したのだと思ったのだろう。彼等が不用意に部屋へと姿を現した所を、マテウスは袈裟けさ切りの一閃で切り捨てた。


 更にマテウスは、返す刃で2人目の敵の腹部を貫く。それと同時に、片手剣型装具の理力解放。刀身が燃え盛る炎を宿すと、内臓を内から焼かれる痛みに、敵は声を上げて失神する。そこでマテウスは、初めて敵の風貌ふうぼうを確認した。


 黒装束に、顔全体を覆う目鼻と口元だけが開いた覆面ふくめん姿。エイブラム劇場前で戦った誘拐犯達と同じ格好だ。この事実を頭の内で整理したいマテウスだったが、彼にはまだその時間が与えられない。


 2人目の敵の影に、もう1人。3人目の敵が現れて、小銃型装具をマテウスへ向ける。マテウスは2人目の体を肉の壁として使う事で、3人目の銃口から自らを隠した。


 マテウスごと味方を撃ち抜くかどうか。3人目がそうやって躊躇ちゅうちょを見せた事が、致命的だった。マテウスは片手剣型装具を手放して、2人目から小銃型装具を奪うと、微塵みじんも迷いなく、敵へ向けて理力解放する。


 小銃型装具から放たれた火球が、3人目の敵に風穴を開けた。3人目は自身の胸元を、信じられないものを見るような見開いた瞳孔どうこうで確認すると、声もなく前のめりに崩れ落ちる。


 マテウスは左手で片手剣装具を拾い直しながら、右手の小銃型装具を確認した。リデルカース社製、LFM5。もともと銃型装具は理力倉カートリッジのコストが高い反面、使用者の錬度れんどが少なくても、装具そのものの力で安定した火力を誇る利点のある装具だが、LFM5はその中でも特に連射力に優れた装具だ。


 だがそれは言い換えれば、射程と精度で劣る部分を、数撃ちゃ当たるで補っている大雑把な装具でもある。そんなエウレシアに余り出回る事のないLFM5という装具を、くだんの誘拐犯達も使っていた事をマテウスはこの目で確認している。


 風貌だけではなく、得物も同一。彼等の繋がりを否定する事の方が難しい。そう思案にくれるマテウスの周囲から、再び鋭い殺気が放たれる。勝手口から入ってきた敵が、リビングにおどり出てきたのだ。


 全ての事実確認は、後回し。マテウスはそれまでの思考を振り払って、戦闘に集中力を向けた。自身の身体が命じるままに、次の敵へと強襲きょうしゅうする。

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