晴天に響くは蒼の轟きその3

 ―――同日、昼下がり。王都アンバルシア東区リスクガード本社前

 

「元職場に、こんな形で帰る事になるとはな」


 王都アンバルシア東区。商業区として栄えたその場所にあるマテウスの元職場、リスクガード本社を見上げて、彼はそう独りごちる。造形は質素。周囲に溶け込んでいて、ともすれば見逃してしまいそうな、地味な建造物だった。


「アポイントは取り付けてあります。行きましょう」


「そうだな。ここに突っ立っていると、視線が痛いしな」


 マテウスが振り返った声の先に立つパメラは、王宮内と同じ女使用人メイド服を身に纏っていた。王宮内では景色に溶け込んでいたその衣装も、街中に入れば悪目立ちせずにはいられない。


 パメラと調査に乗り出すのはまだ数えるほどだが、その全てにおいて彼女は女使用人服で現れた。3度目の調査まではマテウスも、彼女に対して苦言をていしてはみたが効果はなく、4度目以降は諦めて相手にされない嫌味を零すだけだ。


 王女親衛隊の教官として、もう1度騎士の道を歩み始めた筈が、レスリー含めて入隊した2人が漏れなく女使用人メイドだ。道を迷うにしても、段階がすっ飛んでいないだろうか? このままでは自分の呼称が親衛隊教官ではなく、女使用人メイド長と呼ばれる日も近いかもしれないなどと、マテウスが心の内で嘆いている間に、2人は面会室へと案内された。


 案内した事務員は、やはりパメラに異様な物を見るような視線を送っていた。マテウスはそれを見て、自身の価値観が壊れてない事に安堵する。その後に出された紅茶をどうしたものかと悩んでいると、すぐに目的の相手は現れた。


 マテウスにとっては少し懐かしい顔。彼の着る紳士服は、張り出してきた腹の所為で、前を留めるボタンが弾けそうな程伸び切っていて、皺の寄りようもない。そんな身体同様に丸く大きな顔をした男の名前は、ザットといった。


 リスクガードの社長。マテウスの元雇用主である。


「なんだなんだ。急に辞めたと思ったら、今度は女使用人同伴で出勤か。いい身分だなぁ」


「久しぶりだな。まぁそう言われるのは仕方ないが、事情があるんだよ」


「あんたが急にいなくなるもんだから、どんだけ大変だったか」


「それなりに貰ったんだろう? 元々弛たるんだ顔が、ついでに緩んでるぜ?」


 マテウスの引き抜きに際して、王室はそれなりの見返りを用意していた。その額は、この会社で窓際を埋める程度の位置づけだったマテウスには、不釣り合いな程の金額だったらしい。


 それでもザットがマテウスに対して嫌味を言うのは、昔ながらの顔馴染みに対するやっかみのようなものだ。だからマテウスも、彼の発言を軽く聞き流してた。


 そんな談笑を終えて本題に入ると、ザットから笑顔が消える。誘拐未遂事件から、既に2週間以上経過している。その間に、治安局から何度も同じような事情聴取を受けた後に、思いもよらぬ相手から再び説明を求められれば、こういう顔をするのかもしれない。


「なんだ、マテウスさん。あの事件の事を調べてるのか? あんた、確か親衛隊の教官になったんじゃなかったのかい?」


「まぁ成り行きでな。その様子じゃ治安局に随分聞かれたよう……」


「悪いことは言わねぇ。手を引いた方がいいぜ」


 ザットはマテウスの言葉を遮って、強い声音で言い放つ。言葉の内容でこそ推奨すいしょうではあったが、その雰囲気は脅迫めいていた。しかし、それで怖気づいていては、調査もなにもあったものではない。


「そう出来るんならそうしたいんだがな。なにか知ってるのか?」


「知らねぇよ。なにもなっ……って、痛たたた、痛ぇ! 痛ぇっ!!」


 マテウスの質問に視線も合わせようとせず答えたザットが、葉巻を吸おうと胸元を探った瞬間、見えざる手に引き倒されたように顔を目の前のテーブルへと自ら押し付つけた。


 その激しさに来賓と同時にテーブルに並べられた紅茶が零れる。そしてザットが顔を再び上げる前に、パメラがそれを踏みつけにした。彼女の靴は黒いパンプスで、低めとはいえヒールがある。そのヒールが、ザットの丸顔の肉にめり込むほどに強く、踏みつけにされていた。彼がこのような情けない声が上げてしまうのも、仕方がなかろう。


 そしてザットがそれに抗おうにも、両手が共に顔と同様、テーブルに張り付いて動かせないらしく、結果としてパメラに成すがままに顔を踏みにじられているのだ。


「知ってる事をお教え頂きたい。全部、洗いざらいでお願いします」


「痛ぇー! お願いする態度じゃねぇっ、って、いてぇっ! マテウスさん、マテウスさん! なんとかしてくれっ」


「悪い事は言わねぇ。吐いた方がいいぜ……彼女は加減が下手だからな。本当に人を殺すぞ」


「言う言う言うっ! 言うからっ! 元々隠すような事でもないからっ、離してくれっ!」


 その言葉を聞いてパメラがザットの顔から足を引く。同時にザットに起こっていた、顔や両手がテーブルに張りつく現象も収まったようだ。ゆっくりと顔を上げて、半ば痺れた両手を使って自身の身体の各所を労わる。


「おー痛ぇ……あんた、女使用人にどんな教育をしてんだよ」


「彼女に関してはどんな教育もまだしていないな」


「うぇー。じゃあ天然物の女王様かよ。恐ろしいな。危うく目覚めるかと……ひいぃっ!」


 パメラの無表情な半眼を、正面から見たのだろう。睨まれたと感じたザットが、ヒール痕の陥没を残した顔を歪めて、再び情けない声を上げる。マテウスが素直に話せば大丈夫だと声を掛けてやると、ようやく重い口を開き始めた。


「さっき知らないって言ったが、実際の所本当に知らないんだよ……って、待て待て。最後まで聞いてくれ」


 パメラが少し腰を上げようとしただけで、ザットは両手を挙げて身を竦める。ヒール痕だけではなく、大きなトラウマまで擦り込まれたようだ。パメラが座り直すのを確認して、彼は再び喋り始めた。


「知ってるのは、今回の事件がやばそうな事ぐらいだ。マテウスさん。あんたさっき、治安局に聞かれたかって言ったよな?」


「あぁ、言ったな」


「答えはノーだよ。治安局は俺達に対して一切、事情聴取に来なかった」


 ザットの言葉が正しいとするのなら、治安局は2週間以上も、誘拐未遂事件当日に、現地にいた調査対象を放置していた事になる。マテウスはそんな事をする意味を考え込むが、結論は1つしか浮かばない。


「どうしてだって顔をしているな。勿論、俺にもそれは分からねぇが、1つ分かることがある。この事件を探られたくない奴は治安局に圧力を掛けられる奴って事さ。な? やばいんだって、この件は」


 治安局はエウレシアの警察みたいなものだ。自国の事件なら民事、刑事問わず介入出来るし、暴動の鎮圧ちんあつを成し得る武力も、エウレシア国内全てに目を配れる程の大規模な組織力をも有している。


 だが反面、設立と運営が議会に大きく依存しているので、その影響力は一般市民のみに限られる事が多く、行政事件に介入する事は殆どない。端的に言ってしまえば、貴族達など特権階級の蛮行を食い止める力が無いのだ。


 つまり今回のように、治安局かれらが動きを見せない事件には、背後に治安局にまで影響力のある、大物貴族が控えている可能性が高いという事だ。


「まぁ予想はしていたさ。じゃあ俺達の他には誰も聞き込みにこなかったのか?」


「いや、それがな。異端審問いたんしんもん局から1人来たんだよな。頭の固そうな眼鏡のねーちゃんだったよ。なんで誘拐事件なんかを追ってるんだ? って聞いても答えてくれなかった。本当、宗教屋は一方的な奴が多くて嫌になるぜ」


 クレシオン教。理力の光の教えを原初にもたらしたとして、世界に名立たる一大宗教だ。そのクレシオン教の目としての役割を担っているのが、異端審問局である。


 そこから派遣される異端審問官達は、クレシオン教に害を成す敵性因子を見定める、猟犬のような役割をしている。目を付けられれば最後。その者には神の裁き(物理的な)が振り下ろされるだろう。


「単純に考えれば、異端が絡んでいるんだろうが……それで、なんて聞かれたんだ?」


「特別な事は別に。警備依頼主の情報、警備の配置や、人員。それに警備主任との面接を段取ったりだなぁー」


「ならそれを俺達にも、同じ事をしてもらおうか」


「いや、そりゃダメだろ。こればっかりは、どんなに脅されても無理だぜ。異端を疑われると面倒だから教会には協力したけどよ……いくら顔馴染みとはいえ、こっちも仕事なんだ」


 ザットの言葉に再びパメラが腰を上げようとする。マテウスは反射的に身を強張らせるザットを見ながら、このまま眺めていてもいいか、などと少し考えたが、顔馴染みのよしみで、より温和な対応を取る事にした。


「ほら、これなら理由になるだろ?」


「なんだこれは? おい、まさかこれは女王特権って奴か? すげぇな。なんであんたが持ってるんだよ」


 マテウスがザットに渡したのは黒くて小さな手帳だ。マテウスの理力だけに反応して、エウレシア王国の紋章が浮かび上がる仕組みになっている。そして手帳に書きつづられた特権の数々は、場合によっては貴族に並ぶ権力をマテウスに与えてくれた。


 捜査に対してなんの権力も持ち得ないマテウスが手にする、女王ゼノヴィアに与えられた唯一の後ろ盾。それが女王特権だった。


「まぁこんなもん出されちゃ、逆らえないよな。ちょっと待っててくれ」


 そう言って席を立ったザットが再び顔を見せるまでに、5分も経過していなかった。マテウスは手に持っていた資料を受け取り、ザットの目の前で広げて確認する。


 といっても、そこに書いてある情報はマテウスにとって既に知っている情報が大半だった。なんせ彼は事件当時そこで働いていた当事者だ。ある程度の事は頭の片隅に置いてある。それでも、マテウスが確認したかったのは……


(やはり、警備と誘拐犯達が接触してないのは、おかしいな)


 マテウスが手に取っていたのは警備配置だ。これに関してはマテウスは事件当時、自身の配置以外に興味が無かったので記憶になかった。だが今一度、彼の目で見直してみて、事件発生時刻の警備網に誘拐犯達の逃走経路が、どう予想を立てても引っかかる事に疑念を覚える。


「警備主任のカールと話がしたい。都合は付くか?」


「カールなら1週間前に家族旅行に行くって4日休みを取ってから、それっきりだよ。無断欠勤で連絡も付かないから、そろそろ家に様子を見に行こうかと思ってた所だ。面会なら明日以降に出直してくれ」


 警備主任カールの人柄なら、元同僚のマテウスも浅くではあるが知っていた。生真面目な家族思いの男で、無断欠勤などするような性格ではなかった。ザットが無断欠勤に呑気な対応をしているのも、カールが無断欠勤をするのは、そうする事情があるのだろうと、高を括っているからなのかもしれない。


 しかし、マテウスはいいようもない胸騒ぎを覚えた。相対する敵の大きさを考えれば、間違いがあってもおかしくない。そして1度覚えた胸騒ぎは、今日中にでも会って確認しないと落ち着くとは思えなかった。


「家に様子を見に行くなら俺達が行く。伝言もあれば伝えておくぞ」


「いや、それは流石に不味くねぇか?」


 ザットの反論に、マテウスはテーブルに置いたままの女王特権を指で叩いて示してみせた。そうするだけでザットは、苦虫を噛み潰したような顔で重い溜息と共にカールの情報を開示した。


「遠いな。今からだと日が暮れそうだ」


「だから言っただろう? カールは基本的に寮暮らし。休日はずっとそっちの実家なんだ。明日また出直したほうがいい」


「いや、行ってくる。世話になったな。また落ち着いたら連絡をよこすよ」


 必要な資料を受け取り、女王特権を仕舞い直す。マテウスが席を立つと、彼がやり取りしている間、終始無言だったパメラも腰を上げて付き従った。振り返ったマテウスが最後に見せた社交辞令の挨拶に、疲れた笑顔を浮かべて肩を竦めるザット。


 そうして2人の姿が消え、静寂を取り戻した部屋に、1人取り残されたザットは葉巻に火を灯しながら、沈痛な面持ちで呟くのだった。


「俺はやめとけって忠告したぜ。マテウスさん」

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