月夜に瞬くは銀の閃きその2

 ―――同時刻。カール邸屋外


 カール邸と道路を挟んで横並びに建つ家屋の屋根。その場所にライフル型装具を構えて寝そべる男トムにとって、そこからカール邸のリビングを蜂の巣にするのが、今回の作戦だった。


 もっと細かくいえば、リビングに転がる餌(カールとその妻の死体)に喰らい付く標的(マテウス達)を殺す事なのだが、トムにとって今回の作戦は、作戦と呼ぶに相応しい緊張感を持ち合わせていなかった。


 遠く離れた、自分からは直接確認も出来ない場所にいる標的に対して発砲するだけの作戦なんて、ダックハントより興奮を覚えない。トムはただ、普段の訓練で制限されがち(コスト的な問題だそうだ)の理力解放を好きなだけしていいという、彼等の教官役の言葉に踊らされて作戦に参加しただけだった。


 理力層カートリッジが空になった今、トムの役目は終わっていた。体に覚えさせられた理力層の交換を終えて、仲間が標的の死体を確認して撤収。それだけの簡単な作戦の筈だった。


 しかし、トムの目の前でとびきりの異変が起こる。カール邸のリビングから女使用人メイドが飛び出てきたのだ。それは、なにかの比喩ではなく、文字通りの女使用人が、文字通りに風に乗って中空を滑るように飛翔しながら出てきたのである。


 その飛翔する女使用人の進行上にいた、リビングへ外から近づく役割を担う第一班の男が、最初の犠牲者になった。女使用人が鋭く左手を振るう。それだけで、女使用人と距離にして5mは離れていた第一班の男が、けたたましい悲鳴を上げながら悶絶もんぜつした。


 屋上からその光景を眺めていたトムは、体を起こし、なにが起こったのかを乗り出して確認する。倒れた第一班の男には、刀傷のような深い痕が5本走っていた。その女使用人は、傷に悶絶する第一班の男を、飛翔の勢いそのまま容赦なく足蹴あしげにし、彼を踏み倒してその身体の上に着地する。女使用人を乗せたまま、土の上を滑る男の身体が作る深い轍が、その威力を物語っていた。


(一体なにが起こった? あれは、風を操っているのか?)


 トムには、仲間が女使用人に切り裂かれて殺されたのは傷口を見て分かったが、なにを使って切り裂かれたかを視認出来なかった。だがもし、女使用人が風を操っているのであれば、視認出来なかった事への説明が付く。その地面の僅か上を、水平に飛翔するような移動方法にもだ。


「う、撃てっ!」


 第一班の生き残りの1人がなんとか搾り出した声でそう告げると、皆が女使用人に対して攻撃を開始した。ここでいう皆とは、女使用人を挟んでいる第一班の生き残り2名。そして、屋上から眺めていたトムを含めて、カール邸の向かいの屋上へ等間隔に配置された、第四班の3名の事だ。リビングを蜂の巣にした彼等の一斉放火が、女使用人1人へと向けられる。


 そんな危機的状況の中、女使用人は優雅にも見える動作で両手広げながら、くるりと体を回して再び飛び立った。その一瞬、彼女の周囲でなにかが閃く。それと同時に、彼女に迫っていた火球が引き裂かれ、彼女の周囲で爆ぜた。土煙が舞い上がり、トムの視界から女使用人の姿が消える。


 襲撃犯の皆が目を凝らした先、土煙の中でまたなにかが閃く。次の瞬間、地を這うように飛翔しながら女使用人が飛び出してきた。そして女使用人が向かった先にいる、第一班の2人目が次の犠牲者になった。


「あっ、う、腕っーー! あぁぁぁあああぁっっ!?」


 彼とて警戒していなかった訳ではないだろう。しかし、なんの反応も出来なかった。姿を見せた女使用人が腕を一振りすると同時に、両腕の肘から先をゴッソリ切り落とされて絶叫を上げる。


 女使用人はなおも両腕を失った男へと強襲、地を滑りながら体を転じて、絶叫を上げるその口に両足を使って着地する。衝撃で彼の首は歪な音を上げながらし折れた。女使用人に慈悲は無い。そのまま彼を踏み台にして、再び空へと舞い上がる。


 トム達の仲間の命を2つも奪った彼女の動きは、さながら曲芸師のように華麗で、皆の心までを奪い取る。蝶が夜空へと羽ばたくような美しさで飛び立った女使用人が、死の宣告とばかりに右手で指し示すのは、第一班最後の生き残り。


 それを目にした生き残りが、彼女へ向かって再び一斉放火を浴びせる。しかし、それでも女使用人を捕らえる事が出来ない。白鳥のように優雅に舞い上がった彼女は、一転して隼が獲物を前に見せる滑空の鋭さで、第一班最後の生き残りへと襲い掛かったのだ。


 上へ、そして下へと的を外した火球が虚空へ消え、片や大地へと突き刺さる。自らに迫る死の危険を銃口で捕らえれず、第一班最後の生き残りであった男の抵抗が無駄に終わる時が来た。


「ひっ、あっ……あぁうっ? た、助けっ」


 中空を舞う女使用人が左手を振るうと、彼は小銃型装具を取り落として直立不動になった。戸惑いの声を上げながら、首から上だけを必死に動かしているが、首から下は縛られたように動かない。


 否。トムは、そこで初めて気付いた。縛られたようなのではなく、本当に縛られているのだと。女使用人の左手から伸びた、月夜に薄く照らされる銀の糸が、第一班の男を何重にも縛り上げていたのだ。


 第一班の男の傍に着地した女使用人が、右手を地面に着けたまま、首を廻らせてトムを見上げる。彼は彼女と視線が合った瞬間、心臓を鷲掴みされるような恐怖に硬直した。彼が浴びた生涯初めての、そして最後を予感させる本物の殺気。


 女使用人は低い姿勢のまま、トムへ向けて左手を下から上へと振るう。そうする事で銀の糸の先で縛られていた第一班の男が、まるでボールのようにトムの眼前まで投げ飛ばされた。


 第一班の男は顔に恐怖、悲哀、戸惑い、それらが混ざり合ったような顔を浮かべていた。そして、それが彼が浮かべた最後の表情になった。女使用人が左手を握り締めると、男の全身に糸が深く食い込み、喰い破る。引き裂かれた彼の肉体から、血液が一斉に吹き出した。


 その光景を呆然と眺めるしか出来なかったトムは、雲1つ出ていない月夜でありながら、血の雨を浴びる事になる。トムが経験した訓練では想定もされていなかった凄惨せいさんが過ぎる光景に、彼は恐慌パニックを起こしかけた。


 ガツンッと、足元に石でもぶつかったような音がして、ハッとトムは正気を取り戻す。音の先である屋根の軒先を確認すると、銀色の糸が月明かりに照らされて、妖しくきらめいている。そして下を向いていた彼の上から、今度は暗い影が落ちた。


 おかしい、今日は月明かりを遮る物などない夜だというのに……トムがそう思って見上げた先、翼のようにロングスカートをひるがえし、月を背景にして無表情にこちらを見下ろす女使用人と目が合った時、トムは自らの死を悟った。


**********


(後、2人……)


 パメラは屋上に舞い降りて彼女を挟むようにライフル型装具を構える男2人を確認する。彼女は既に引き裂いて踏み潰している対象に、なんら興味を示してなかった。この肉塊にくかいの上に着地したのも、パンプスで着地するなら柔らかい場所の方が足に負担が少ないからである。


 パメラはどちらかを生かしておいた方が、尋問が出来て便利だとは思った。しかし、殺す術は熟知していた彼女だったが、生かして捕らえる方法は習わなかっていなかった。だから、彼等の命がどうなるかは彼等自身の生命力に任せようと自己解決する。


 呆けてしまって動こうとしない彼等に先んじて、パメラが動く。両腕の長袖の下に隠された、彼女の上位装具オリジナルワン死出の銀糸オディオスレッドの理力解放。右手から発された銀糸が、彼女の意思に従った長さまで伸び、家屋を切り刻んで、巻きついて捕らえる。


 そしてパメラは、捕らえた家屋の破片を、腕を振るって左手側に立つ男へと投げつけた。その怪力の正体は彼女の細腕によるものではなく、死出の銀糸に走る理力を使った技だ。銀糸の強度、伸縮、鋭さ、膂力りょりょく、視認性に至るまで、彼女は自らの理力の限界までなら、自由に操る事が出来た。


 突然に破片を投げつけられた左手側の男は、横っ飛びに体を投げ出して回避する。パメラの後ろで仲間を助けようと、右手側の男がライフル型装具を構えた。LFM5より低く重い発砲音。高威力の火球がパメラを貫かんと迫るが、彼女は全く慌てていなかった。


 発砲されると同時に右手の銀糸が、パメラを護るように網の目のような壁を作る。そこに火球が触れた直後、火球は彼女を避けるように爆発四散した。発砲した男は、火球がなにに遮られたのか分からないようで、脅えた表情を浮かべる。


 しかし、パメラにそれを説明してやる義理はない。彼女は素早く屋上から階下へと飛び降りる。体を捻って右手側の男の足元目掛けて、右袖から銀糸を発して、自らと繋いだ。そして彼女の衣服の下で全身に張り巡らせた銀糸が、彼女を優しく包んだままグンッと屋上へと引き上げる。


 振り子のような軌跡を描いて地上すれすれを滑空、壁際を急上昇して再び右手側の男の頭上まで舞い上がったパメラの影を、ライフル型装具の火球が後を追うようにして通り過ぎていく。パメラが鋭く左手を振るうと彼女の左手側の銀糸が、男の右腕を削ぎ落とした。


 パメラがわざわざ男の腕を狙った理由……それは、これならすぐには死なないだろうし、尋問も出来ると思ったからだ。



「あぁぁあっ! 痛ぇっ! ちくしょう、ちくしょぅぅっ、あぁっ!!」


 そう思ったパメラだったが、次の瞬間に腕を失った痛みにわめき散らす男の喉を、あっさり銀糸で引き裂いた。理由は思った以上にうるさかったからだ。どうせあれでは尋問も出来まいと、自分の判断は正しかったと思う事にする。


「く、来るなっ……来るなぁぁぁあぁっ!!」


 最後の1人になった男が錯乱しながらも、パメラへと発砲を続けた。ろくに的を絞る事も出来ずにいる彼の攻撃を、再び階下へと飛び降りながら回避するパメラ。そして、屋上から姿を消す間際に右手を男へと向けて、銀糸を伸ばし、彼の体を直接捕らえた。


 パメラは自らの体を、左手から伸ばした銀糸で屋根の軒先に繋げて支えながら、右手を縦へ振りぬく。銀糸の縛られた男は無抵抗に虚空へ舞い上がり、パメラが散々見せた飛翔速度で滑空、そしてそのまま大地へと顔から墜落した。グシャリと肉と骨が同時に潰れる耳障りな音が辺りに響く。


「これぐらいの事で、死んでしまうのですね」


 左手から伸びる銀糸で自らを中空に支えたまま、大地に血溜まりを広げて絶命する男を見下ろしてボソリと呟くパメラ。額には汗1つ掻かず、その表情は普段通りになんの感情も浮かべていなかった。


 尋問したいのであれば、その銀糸で拘束したまま始めればいいのであるが、パメラ・リネカー……リネカーの名を継ぐ事を許された彼女にその発想は無かった。見敵必殺。一度ひとたび戦闘に入ってしまえば、ただ敵を殺す事だけを覚えて育った彼女の肉体が、それを許さないのだ。


 リネカーの闘い方こそがパメラそのものであり、その圧倒的な業こそが、リネカーを表現する唯一の手法。その凄惨極まる結果こそが、リネカーが残すべき唯一の歴史こたえ。それらに対して、彼女は内に何一つの疑問も、迷いも持たなかった。並べた死体を眺め、フッと吐息をこぼしながら、大地にゆっくりと足を着ける。


(さて、マテウス卿の方は終わっているでしょうか?)


 結果がどちらに転んでいても差異はない。マテウスが残った方が、アイリーンが少し喜ぶであろうぐらいだ。パメラはそんな酷薄な感情を内に抱きながら、大人びた容姿の彼女にはアンバランスなツインテールを逆手で掻き上げて、マテウスの元へと向かっていった。

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