女王拝顔その2

「さて、ようやく2人になれましたね。義兄にいさん」


 マテウスは、オースティンを見送った緊張感から解放された途端、また別の緊張感に晒される事になる。彼の事を義兄さんと呼ぶのは世界でただ1人、掴みかかる勢いで詰め寄ってくる目の前の女性、女王ゼノヴィアだけだ。


 面会の約束を取り付けた瞬間からこうなる予感はしていたが、面倒事と言うのは目の前に迫るのとそうでないのとでは、大いに違うものだな、とマテウスは思う。


「なんですその面倒臭そうな顔は。何年振りだと思っているんですか? 私がどんなに心配していたのか分かっているんですか? いつ王都に帰って来たんですか? 帰って来たのなら、どうして連絡してくれないんですか。そうやってずっとずーっと私の事を避けて……そんな事だから、王妃殿下だなんて間違えるんですよ。それにお久しぶり? ああいった場面では、ご無沙汰をしております、でしょう? 義兄さんには、言葉遣いのなんたるかを、もう1度覚え直していただく必要がありそうですねっ。その上、今回の件っ。義兄さんのせいでどれだけ私が議会の方々にグチグチと……」


「あぁー、分かった、分かったよ。俺が悪かったから、頼むからひとつひとつにしてくれゼヴィ」


 そしてゼノヴィアの事をゼヴィと呼ぶのも、世界にただ1人だけになってしまっていた。生真面目な彼女の昔ながらの小言に、昔ながらの愛称で呼びかけながら口答えをするマテウス。昔からずっと苦手にしていた彼女の小言は、久しぶりに体験すると懐かしさの方が強く込み上げてきて、少しだけ顔が緩んでしまうマテウス。


「もう、なにを笑ってるんですか。はぁ……一先ず、おかえりなさい、義兄さん。無事で本当に良かった」


「連絡出来なくてすまなかった。その、君の立場の邪魔をしたくなかったんだ。今回の件も迷惑をかけてすまない」


 アーネスト王の突然の死後、ゼノヴィアの女王就任は、壮絶な権力闘争の果てでの事だった。勿論、就任直後も順風満帆じゅんぷうまんぱんとは言い難い。そんな不安定な立場の彼女に、前王の裏切り者のようなスキャンダルの種が近づくのは、厄介事を増やすようなものだった。


 アイリーンとの関わりを避けていた理由の1つだ。マテウス自身は自分が、彼女達の足手纏いにしかならないと思っていた。


「だからと言って手紙の1つも寄越さない理由になりますか。それに邪魔だなんて……私、本当に大変だったんですよ。ずっと独りで戦っているようでした。義兄さんがいてくれれば、どんなに心強かったか」


「君はよくやってるよ。立派に女王をしている。この国を見て回っていた、俺にはよく分かる。そして、良き母親のようだ。それも娘を見れば分かる」


 自身の胸に両手と身体を預けてくるゼノヴィアを、優しく抱擁ほうようするマテウス。両腕の中の彼女は、今のひと時だけ、妖艶で怜悧れいりな威厳ある女王の姿を脱ぎ捨てて、マテウスの記憶にある妹の姿へと変える。そうしながら彼は、ゼノヴィアの言葉と重なった、アイリーンの言葉を思い出していた。


『敵が増えたっていい。今みたいに敵か味方か分からないままより、よっぽどマシ。この人は私の味方だってハッキリ言える人が、傍にいてくれる方がずっと嬉しい』


 もし、自分が本当にゼノヴィアの事を思うなら、全ての事情を承知の上で、それでも彼女の下へ駆けつけるべきだったのかもしれない。俺は理由をつけて逃げていただけかなのかもしれない。アイリーンの言葉は、マテウスにそう考える時間を与えた。


 だが、今もマテウスは迷っている。親衛隊の話も、どうせ逆らえないからと、流されるままに了承しただけで、決意1つ出来たとは言い難い。ここから先の事は、戦場で力を振るい、ただ勝利を誓えばいいだけだった決闘前夜とは違うからだ。


 ゼノヴィアとアイリーンの敵は、自らの剣が届く場所に姿を見せないだろう。ならば、他に取り柄のない己が成すべき事はなんだ? 疑問に答えが出ないでいた。


「そういえば義兄さん。アイリとは随分仲が良いようですが、どこで話したのですか?」


「はっ? それは、まぁ軟禁されてた時に何度か面会でな」


「何度か? 確かアイリには1度しか面会を許していませんが」


「そうだったのか。初耳だな」


 ゼノヴィアの声色に少しだけ冷たさが混じる。これは不味い流れだとマテウスは経験上よく知っていた。マテウスはどうにか誤魔化そうと、ゼノヴィアへの抱擁を解いて頭を掻きながら、1歩後退するが、彼女も同じように1歩詰め寄って、マテウスにピッタリと引っ付きながら、下から冷ややかな視線を送った。


「会ったのですね? 私がずっと会いたいのを我慢していたのに、その間にあのと何度もっ。その上、私にはなんの相談もなく姿を消した癖に、あの娘のお願いに乗せられて、危険な決闘までして。大体、私が大変だった時には助けに来てくれなかったのに、あの娘の時だけどうして? それは、大切な娘を守ってもらって勿論感謝はしていますが、でも、それにしたってあんまりじゃないですか。ずるいです。私だって義兄さんの妹として……」


(なげー、なげぇから)


 およそ10年分の鬱憤を晴らすかのような小言に、マテウスは口を挟む隙すら与えられない。ゼノヴィアがこうなると、彼1人の力では止める事が出来ない。話から逃げ出す事も出来たが、そうすると今度は拗ねたり、落ち込んだりするから、更にたちが悪い。


 なんとか外部的要因を期待した時、外から廊下を駆ける足音が響いてきた。その音は、真っ直ぐにこの部屋へと向かってきているようだ。ゼノヴィアは小言に夢中でその音に気付いていないようだが、その慌しさは火急の用件を引っさげた兵士のようで、マテウスは彼がこの現状の打開に一役買ってくれる事を期待したのだが……


「お母様。マテウスがここに来ていると聞いたのですが……あっ、マテウス」


 優雅さの欠片もない騒々しい足音の主はアイリーンだった。彼女はその勢いのまま、ノックもせずに音を立てて扉を開いた。そして部屋の中のマテウスと目が合うと、開いた勢いと同じに扉を閉めなおし、首だけを廻らせて振り返るマテウスに後ろから駆け寄って、子供が親にするように両腕を広げながら飛びついて抱きしめる。


 マテウスはその理由がハッキリと理解出来なかった。だが出来ないながらも、この状況がとても不味い事を、背筋を流れる冷や汗で察する事は出来た。


「マテウス。良かった、無事で。怪我もなくて元気そう。私、昨日の決闘の後からずっと会いたかったのだけれど、声を掛けられなくてごめんなさい。それにしても決闘の時の貴方、凄かったわ。マテウスって本当に強いのね。さすが、私の騎士よ」


「ほう……私の騎士、ですか」


 マテウスに抱きついたまま嬉々とした表情で一方的に喋り始めるアイリーンは、ゼノヴィアの存在に気付いていないようだった。マテウスの大柄な身体を挟んでいるので、互いが互いを認識出来ないのだ。


 だからゼノヴィアの真っ直ぐな冷たい視線を浴びるのはマテウスだけになるのだが、何故自分がこんなにも気不味い想いをしなければならないのか、それが彼には分からない。分からないままに、ゼノヴィアの視線を直視出来ずに顔を背ける。


「それで、いつから私の護衛にいてくれるのかしら? 明日? それとも、今日から? 私はいつでもいいわよ。それにマテウスの住む場所も考えなくちゃね。私の護衛なんだし、私の隣の部屋なんてどうかしら?」


「へー……隣の部屋、ねぇ」


「そう、隣の部屋よ。マテウスの事を信用してない訳じゃないけど、護衛といえども私達は男女の仲なんだし、さすがに同室って訳には……あっ、あの夜の事なら私、気にしてないわ。マテウスが本気じゃないって分かってたもの。でも、マテウスがどうしても同室がいいって言うなら私は、そのね? 別にいいんだけど、どうかな……って、お母様っ!?」


 ここに至ってようやくアイリーンは、マテウスが一言も喋っておらず、言葉を返していたのが自分の母親だと理解したらしい。マテウスから飛びのくように離れて、乱れたドレスと髪を正して、作り笑顔を浮かべながらスカートの両端を摘んで一礼する。


「ご、ごきげんよう。お母様。その……全く気付かなくて。いつからいらしたんですか?」


「彼がこの部屋に入る前から。貴女がノックもせずに私の部屋に入ってくる、ずっと前からですよ」


(ですよねー……)


 アイリーンは己の迂闊うかつさを心の内で呪った。同時に、母親に向ける作り笑顔が、目に見えて引きつる。


「いい機会ですし、礼儀作法の授業を増やす必要がありそうですね。基礎は勿論ですが、殿方を前にしても気品を損なわないように、立ち振舞いは特に念入りに……どうしましたか?」


 また弁舌滑らかになりかけていたゼノヴィアは、アイリーンがキョロキョロと自分とマテウスとを見比べるように視線を配っている事に気付く。それに習ってゼノヴィアもマテウスを確認すると、片手を彼の胸元へ添えたままに、自身の身体をマテウスに対して預けていた事に気付く。


 そこから先の反応は、アイリーンの焼き直しだ。ゼノヴィアも慌ててマテウスから飛び退いて、居住まいを正してから、咳払いをして仕切り直す。


「マテウスはお母様と、どういった関係なの?」


 今度は背中から冷ややかな視線を感じるマテウス。彼は目下、雲ひとつない快晴で、温かな日差しの中、穏やかな風がそよいでいるというのに、何故この部屋の中はこんなにも冷えきっているのだろうかと、理解の及ばない命題に悩まされていたので、答える事が出来ない。


「貴女には関係のない事です、アイリ。彼は貴女の護衛にはならないのですから」


「私はマテウスに聞いていたん……えっ? 護衛にならないってどういう事ですか? マテウス、ねぇ。何処か行っちゃうの?」


 そこから先もマテウスを挟んで、親子で嚙み合っているようなそうでないような、そんな会話を繰り広げる。マテウスは自分を挟んでそれを行う意義を、2人に問い質したかったが、まずはこの場を収拾させる必要があると感じたので、ようやく2人に対して声を掛ける。


「落ち着け、アイリーン。王宮に仕えないのは本当だが、何処に行くわけでもない。それに、俺とゼヴィは簡単に言えば幼馴染なだけだ。そう特別な関係では……」


「幼馴染? 義兄さん、私は義兄さんの事を家族同然だと思っていたのに、幼馴染? オサナナジミ? 義兄さんはそんな風に思っていたんですか? 大体、あの夜の事ってなんですか? まさか、ずっと待っていた私には手を出そうとしなかったのに、アイリに手を……」


「義兄さん、って。それに、ゼヴィ? ねぇマテウス。どういう事なの? お母様のお兄様なら、私達って血が繋がってるの? それは少し困るって言うか、いや、別に困らないんだけど……」


 マテウスの中途半端な仲裁は火に油を注ぐ結果になった。しかも火の粉の向きが変わって、自身に被害が増加する形で。彼は同時に2人以上の戦士を相手にする事など何度もあったし、無数の矢の雨の中を生き残った事もあったが、感情的になった女2人に言葉の雨を浴びせられる経験は、少なかった。


(なんだこれ。誰か止めてくれねーか?)


 窮地きゅうちに陥った新兵のように、ありもしない救援を期待するほど疲労したマテウスは、この場での自分の無力さを悟る。取り繕おうと言葉を重ねるのも無駄だと判断すると、2人が飽きるまで勝手にやらせておこうと、また静かになった。

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