女王拝顔その3

 その後、2人が落ち着きを取り戻して、ゆっくりとそれぞれの疑問を解消していく事になった。2人の会話を黙って聞き流していたマテウスだったが、そこでようやく、事情の説明をするのに口を開き始める。


 アイリーンには自分に下された処遇の事。女性親衛隊の組織して、その教官として力になるという話だ。そして、ゼノヴィアとの関係が、彼女が側室として王宮に入る前との出会いである、とう事にも触れた。


 彼女の家に馬丁ばていとして雇われていて、家族ぐるみで世話になっていた事や、最初にマテウスが騎士としての道を歩み始めたのも、彼女の父親セドリック・オーウェン公爵の力添えがなければ、不可能だった事にも振り返った。


 ゼノヴィアにはアイリーンと話した夜の事を説明した。ただし、会話の内容やアイリーンを押し倒した事については、ぼやかしてだったが。(なるだけ小言は聞きたくないから)


 アイリーンが積極的にマテウスとの口裏を合わせた結果、ゼノヴィアも納得したようだった。なぜ、アイリーンがそうしてくれたのかまでは、マテウスには分からなかったが。


「折角マテウスが決闘に勝ったのに、私の護衛にはなれないなんて」


「落とし所だろう、これが。騎士でもない俺を、役職にねじ込んだだけ大したもんだよ、君の母親は」


「そうよね。ごめんなさい」


 マテウスの言葉で、ゼノヴィアの奮闘に思い至るアイリーン。実際、彼女なくしてはマテウスの解放も、仕官も実現しなかっただろう。最悪、マテウスがあらぬ罪状で処刑される未来だってあった筈だ。


「その件についてですが、義兄……マテウスにはもう1度、騎士の称号と名前を与えようと思います」


「出来るのか? そんな事が」


「可能です。というより、王女の親衛隊である騎士の教官が、なんの称号もなしでは示しがつきません。そこは、議会も異論はないでしょう」


「そうか。もう、なる事はないと思っていたんだがな」


 マテウスは首の右後ろを左手で撫でながら、柄にもなく感慨深かんがいぶかくなって過去を振り返っていた。騎士としての称号、名、武器、全てを奪われて、逆に与えられたのは、左手が触れる汚名の焼印。降って湧いたような機会チャンスに、素直に喜べずにいるマテウスを、ゼノヴィアは優しい瞳で見つめる。


「多くの者は、なにが出来るかで職を選びますが、才能ある者は職に選ばれるといいます。人生に2度も騎士として選ばれる貴方は、やはりこの道を歩むべきではないでしょうか?」


「俺を選んだのは、才能じゃないだろう。セドリック卿と君達だ……それに、1度失敗してるのも事実」


 マテウスは自身に剣を振るう事しか能がないと思い、それだけを磨いて生きてきた。もし道を間違えれば、傭兵になる生き方も、最悪野盗に身をとす生き方もあっただろう。そんな自身が1度、騎士の道に選ばれたのは、ゼノヴィアと彼女の父セドリックのおかげだ。


 その結末は決して喜ばしいものとは言えなかったが、それでも後悔はこの12年余りで、そそげるものだった。なら、2度目の今回はどうだろうか? と、マテウスは自問する。戦争が終わり、戦場が失われたこの場所で、剣を振るう事しか脳のない男が、どんな結末を迎えても、後悔を残さないだろうか? と。


「当時の私と他界していた父には、貴方を守る事が出来ませんでした。ですが今の私なら、あのような結末は2度と起こさないと誓えます」


「よそう、あれは仕方なかった。それに……」


 マテウスがゼノヴィアから視線を逸らすと、今度はアイリーンと視線が合った。ジッとこちらを見上げる彼女の言葉が、またよみがえる。


『貴方が必要とする味方に、これからなるわ』

 

 なんの根拠もないあの言葉を信じてみようと思った瞬間から、騎士になる事は決まっていたのかもしれない。ならば、今更結末や後悔に怯えるのは自分らしくないと、マテウスを考え直させた。


「1度教官を受けると言ったんだ。もう断ったりはしない」


 とぼけた表情でそう返すマテウスを、ゼノヴィアは正視出来ずにいた。彼女の方こそが、マテウスが騎士を辞めたあの日の事を、遠い過去として懺悔滅罪ざんげめつざい出来ずにいるのかもしれない。


「ねぇマテウス。マテウスが騎士になるって事は、叙任式じょにんしきするのよね?」


「あぁー、まぁそうなるだろうな」


 静かにゼノヴィアとマテウスの話を聞いていたアイリーンだが、会話が途切れた間を狙って割り込んでくる。ゼノヴィアはそれにいい顔をしなかった。


「アイリ。言葉使いをどうにかなさい」


「お母様の義兄様なら、私も家族同然じゃないですか。だからいいわよね? マテウス」


「俺達だけの時ぐらいなら、いいんじゃないか? ゼヴィ。アイリーンだって公私ぐらい分けているよ」


「うぅ……これでは、私だけ損じゃないですか」


 ゼノヴィアの独り言はマテウスには届いていたが、彼は気付かない振りをした。彼女は娘の手前、砕けた言葉や義兄と呼ぶのに抵抗があるのだろう。母親の示しとの葛藤かっとうの答えなら、自分で出すべきだとマテウスは思ったからだ。


 そんな母親の苦悩を知ってか知らずか、マテウスの腕にすがりながら、グイグイと引いて注意を自分へと向けるアイリーン。その柔らかな胸が、マテウスの腕で押し潰れるのも気にせずに、話を続ける。


「それでね、私にやらせて欲しいの、マテウスの叙任式。私、やった事なかったし」


 アイリーンがいう叙任式とは、騎士になる為の誓いの儀式の事だ。本来は騎士がその力を発揮する為に必要な儀式だったのだが、今は儀礼的な意味合いが強い。有力貴族の血統ならば、多くの者を呼んで1日がかりで派手にやったりするのだが、そうでない者は形式的に主君と誓いを交わすだけで、儀式を終える者もいた。


「それは許されません。大体貴女、刻印も打てないでしょう」


「コクインってなんですか?」


「最近はやらないから、知らないだろうな。昔は装具の普及も少なかったから、主君の許しを得て、主君の装具を使って騎士は戦ったんだよ。その装具使用の鍵が、刻印だ」


 ひざまずいた騎士の肩に、主君は3度、剣の横腹で軽く打つ刀礼とうれいを行い、その後に理力を使って騎士の身体に、主君の紋章を焼き付ける。それが刻印となって、主君から与えられた装具を使用できる鍵になるのだが、現在は誰しもが触れるだけで理力解放の出来る下位装具ジェネラルが普及されているので、刻印を焼き付ける理由が少ないのだ。


 だが、それでも1つ刻印を与える理由があるとすれば、それは特別な装具を相手へ与えたい時である。


「ゼヴィ、君はまさか、俺に騎士鎧ランスロットを使わせるつもりなのか? 議会が黙ってないと思うんだが」


「10年前から埃をかぶっている、1世代前の技術なんて誰も重要視していませんよ。それに、あれを使いこなせるのは義兄さんだけでしょう?」


「むーっ……また、2人だけに分かる話をして。刻印が必要というなら、すぐにでも練習します。だからお母様、お願い。マテウスの叙任式は私にやらせてください」


 ゼノヴィアは家族としての会話をする事にしたらしい。その親しげで、初めて見せる母親の姿が、アイリーンに形にできない焦燥感を生むのか、再び話に割って入っていく。


「マテウスは私が初めて選んだ騎士です。だからお願い、マテウス……私の初めても貴方にもらって欲しいのっ」


「……っな!? アイリ、貴女そんなはしたないっ!」


「初めての叙任、な。落ち着けゼヴィ。叙任式の話だから」


「私の初めてだって、義兄さんです。だから、これからも義兄さんの世話は私が続けます」


「おい、それは叙任式の話だよな? おい」


「そうでしょうか? マテウスだって、若い娘の方がいいのでは? お忙しいお母様と違って、私ならマテウスと2人きりの時間で沢山練習が出来ますもの」


「年齢は叙任に関係ないだろう。あと、練習するのは刻印の練習で、いいんだよな? な?」


「本来なら貴女は、今も授業中の筈でしょう。また抜け出してきたのを、大目に見ているのですよ? それに、義兄さんの事なら私が良く知っています。私の技術なら、時間をかけずとも義兄さんを満足させる事が出来ます」


「あぁー……凄く屈辱的な事をいわれた気がするのは、何故だ」


「そうだ、お母様。それならマテウスに選んでもらいましょう? ねぇ、マテウスは私がいいわよね? 私、マテウスの為なら沢山練習するわ」


「名案ね、アイリ。ねぇ、義兄さんは私がいいんですよね? 義兄さんの初めても、これからも、全部私のものですものね?」


 話が大きく逸れているのか、逸れていないのか、それも分からぬままに決断を迫られたマテウスは言葉を失って2人を交互に見比べる。彼の両腕にそれぞれ縋りつく2人の、少し不安気で濡れた瞳に晒されながら、1つの選択をする事になった。

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