女王拝顔その1

 ―――翌日。王都アンバルシア中央区、王宮内来賓室


 ジェロームが殺された翌日、マテウスはまだ王宮にいた。当然の事だが、待遇は軟禁状態の時から、かなり改善されていた。来賓用の部屋へと案内されて、女王の客人として扱われるようになったのだ。


 部屋の外では、監視の目こそ外れなかったが、ある程度の自由を許されたので、身体を温めるための風呂にも入れたし、柔らかく大きなベットでの睡眠も提供されたし、食堂でのまともな食事にもありつけた。


 女王の客人として扱われるのだから、食事を部屋まで運ぶと言われたが、調理風景が見える場所で皆と同じ食事をするほうが安心できたマテウスは、それを断った。落ち着くには肩身が狭くなってしまうような豪華で広々とした部屋の中で、昨日のその後を振り返る。


 結局、ジェローム殺害の犯人は見つからなかった。衛士達は迅速に封鎖を行い、広場内に残った者達に対して、入念な身体検査を行っていたが、凶器は小さな吹き矢1本だったし、目撃証言はマテウスだけ。その上、唯一の目撃者マテウスが、犯人の特徴をなにも把握していないのでは、衛士達には犯人を捕らえようもなかった。そうして、なんの成果も得られずに、日暮れ時に広場の封鎖は解かれる事になる。


 この件でマテウスは、自身がまたあらぬ罪の容疑者として、吊るし上げられる事も覚悟していたのだが、前述した待遇を受けていられる限りは、その心配もないだろうと安易に考えるようにしていた。


 勿論彼の頭の中には、今のうちに姿を消す選択もあったのだが、それは、せっかく勝ち得た裁定をふいにするようなものだったし、そもそも行く当てがないので止めておいた。


「マテウス殿。時間です」


 前日の夜に約束していた時間になると、寸分違わずにマテウスの部屋へと迎えが現れる。その迎えに対してマテウスは、露骨な渋面を浮かべたが、そのまま重い腰を上げて部屋から出る。


 昨晩、マテウスは人と会う約束を取り付けていた。取り付けられたと言うべきか。ともかく、彼にとってそれこそが露骨に渋面を浮かばせる程には、会いたくない相手だった。


 マテウスは王宮の廊下を案内人の後ろから付いていくだけだったが、彼が仕えていた頃から変わらぬ造りだったので、案内人に確かめずとも何処に連れて行かれるかが分かる。


(謁見の間でなく、彼女の私室へ向かっているのか)


 マテウスは、これから会う相手がどんな話をしようというのか、考えるだけで暗澹あんたんとしてきた。予想通りの部屋へと案内されて、案内人が扉の前で一言忠告の為に振り返る。


「粗相のないように」


 端的な案内人の忠告に、気をつける、とだけ告げて、小さく頷くマテウス。マテウスが部屋へ入ると案内人は、部屋の中へ深く一礼だけをして、外から扉を閉めた。


 部屋の中に足を踏み入れると室内は、日当たりの悪い廊下を歩いてきたマテウスにとって、目に眩しい程明るかった。それは、晴れ渡った太陽の光を、大きなガラス張りの窓や扉が遮らずにいるからだ。マテウスが仕えていた当時から飾られている観葉植物や、薔薇の香りに懐かしさがこみ上げて、一瞬棒立ちになる。


「久しいですね。マテウス」


 込み上げていた懐かしさを鷲掴みされるような声の主に、マテウスは我に返って膝と顔を落としてかしずく。


「お久しぶりです。ゼノヴィア王妃殿下」


 マテウスの返答に対して、女王ゼノヴィアはコメカミをピクリと震わせたが、一呼吸置く事で、見る者に神々しさすら感じさせる澄ました表情へと戻った。


「……懐かしい呼び名ですが、今の私は女王です」


「失礼しました」


「構いません。楽にしてください」


 許しを得たマテウスは、素直に両足を軽く広げて直立になり、両手を腰の後ろへと回した。下に向けていた視線を相手へと向けなおす。


 ゼノヴィアは椅子に腰掛けて、くつろぎながら紅茶を啜っていた。喪服を思わせる黒いドレスは噂通り。そして、アイリーンに良く似た、幼さを残した美しさは年を重ねて、大人の妖艶な美しさへと変貌を遂げていた。別人と見間違う程ではなかったが、彼女の纏う雰囲気の違いに少し戸惑いを覚えるマテウス。ゼノヴィアは彼の心中を見透かすような瞳を細めて、微笑みかける。


「まず、礼を言わせてください。娘の命を救ってくれて感謝しています」


「勿体無いお言葉です。偶然の出来事でした」


「貴方はあれを偶然と呼ぶのですね。私は貴方の名前を聞いた時、運命を感じました」


「運命……ですか」


 マテウスはその単語を笑い飛ばそうとしたが、失敗してゼノヴィアから視線を反らす。すると、ゼノヴィアの周りを囲む女使用人メイド達のいぶかしげな視線に晒されて、居心地の悪さが少しだけ増す。


「確かこの部屋でしたね。貴方に娘を抱いて貰ったのは」


「……よく、覚えています」


 まだマテウスが騎士団に所属していた時の話だ。生まれて間もない頃のアイリーンを、マテウスは抱きかかえた。すぐに、ぐずるのだと困ったようなゼノヴィアの言葉とは裏腹に、マテウスの腕の中にいる間は、静かに寝息を立てていたアイリーンを、彼は恐る恐る扱っていた。


 力加減を間違えれば、潰れてしまいそうな命を預かったあの瞬間は、戦場などよりも余程生きた心地がしなかったので良く覚えている。それが王族の命というのなら尚更だ。


「私と私の娘を守る……遠い日の他愛もない誓いでしたが、貴方は確かにそれを守ってくれました」


 誘拐未遂事件のあったあの日。アイリーンを救う事が出来た時の高揚感を、マテウスは思い出す。騎士であることを辞め、自分でもとうの昔の出来事と忘れていた誓いを、偶然にも果たしたと分かった時の充足感。過去にすがるようで恥ずかしく、目を背けてはいたが、どれも胸の内に眠っていた騎士としての歓喜だったのだと、今では振り返る事が出来る。


 しかし同時に、マテウスは呪いだとも思っていた。関わらまいと捨てた筈のものだったのに、心の内の深くに打ち込まれた小さなくさび。これは捻くれた卑屈な考えだろうかと、マテウスは自問して、皮肉に口元を歪めた。


「今日は思い出話をする為に呼ばれたのでしょうか?」


 マテウスは話を露骨に反らすが、ゼノヴィアは眉を潜めるだけで、なにも言おうとはしてこなかった。自身の中でも答えが出ていない居心地の悪い感覚……案外、マテウスのそれを見透かされているのかもしれない。10年以上の空白があるにせよ、彼等の付き合いは長かったからだ。


「分かりました。本題に入りましょう。まずは貴方の処遇です。娘は貴方に護衛としての任を与えたかったようですが、そうはいかなくなりました」


「私は元々お断りするつもりでした。それならば、王宮ここを去るだけです」


「それもなりません。ジェローム卿に起こった不幸な出来事は、間接的にであれ貴方にも関わりのある事。その義務を果たしてもらいましょう」


 マテウスは苦虫を噛み潰したような顔になったので、自身の顔をうつむかせてそれを隠した。とばっちりもいいところな理論だが、女王の言葉とあっては反論も出来ない。


「では、私の果たすべき義務とは?」


「今は亡き、ジェローム卿の代理です」


「しかし、私の聞き違いでなければ、護衛にはなれないと仰せではなかったでしょうか?」


「護衛になるのではないのです。貴方にはジェローム卿の代理になる、護衛を育ててもらいます」


 マテウスはゼノヴィアがなにを言わんとしているのかが、理解できずに困惑していた。言い方も回りくどければ、内容も回りくどい。面倒事に手を出したくない、そんな自身の思いが理解を放棄させているだけなのだろうか? マテウスはそうも思った。


「前提として1つ。ジェローム卿亡き今、我が娘アイリーンに男性の護衛を就ける訳にいきません。これの理由はん事ない事情と理解してください」


 理由に関してマテウスは少し気にはなったが、口を挟んで詮索する程の興味はなかった。まさか例の敏感肌が理由、と言うわけでもあるまいと、見当はずれな思考をしながら聞き流す。


「そして2つ。王宮に貴方を出入りさせるのを、快く思ってない人が少なからずいる事です」


「……賢明な人材が豊富ですね」


 こちらの理由に関して、マテウスは心の内で笑い飛ばすしかなかった。少なからずという言葉もゼノヴィアなりの思いやりで、実際は大半だという事も予想出来たからだ。


「ですから貴方には娘の親衛隊を組織してもらい、その教官として王宮の外で働いて貰おうと思います。隊員は勿論、女性に限定されます」


「ハッ……冗談キツイぜ」


「聞こえていますよ」


「失礼しました。しかし、私にはそのやり方でアイリーン王女殿下のお役に立てるような部隊は作れないかと、愚考します」


 君主として女王を擁立ようりつするエウレシア王国ではあったが、武力としての女性蔑視はやはり強い。マテウスも装具による、理力解放インゲージの使用によって筋力の差は埋まるが、それでも戦闘行為全般における向き不向きはあると考えていた。


「議会の方々もそう考えているでしょうね。だからこそ、貴方の働きに私は期待しています」


 女王の意思と議会の意志がいつも足並みを揃えている、エウレシア王国はそのように理想的な場所ではなかった。マテウスは理解する。つまり、この状況は横槍の結果なのだ。女王ゼノヴィアの武力として働きそうなマテウスを、政治の中心から出来るだけ遠ざける為の無理難題なのである。止んごと無い事情というのも、その辺に発端があるのだろう。


「貴方がどう言おうと、これは決定事項です。変えようはありません。ですが出来れば、貴方の意思で娘の……私達の力になって欲しい」


 以前マテウスは、この親子に対して、外見は似ていても性格なかみは違うと評したが、前言を撤回した方が良さそうだと思った。卑怯なやり口だと言いたくなるし、腹立たしくもある。だがそれ以上に、悪くないと、やってもいいと諦めさせる辺りが、本当に親子だと溜め息を吐きたくなった。


「……慎んで、お受け致します」


 マテウスはそんな内心を明かさぬまま、静かに片膝を床へ着いてかしずくと、頭を垂れて答えを返す。何度も繰り返すが、どうせ王家や議会の決定に一市民に落とされた自分が、逆らえる訳がないのだ。自身は河の濁流だくりゅうに飲まれた1枚の落葉らくようとでも思えば、決意をする手間も省けるとマテウスは達観していた。


「感謝します。では、これより先は2人で内密に話したい事があります。皆は席を外しなさい」


 女王の言葉に給仕達は一礼をして素直に退室する動きを見せたが、ゼノヴィアの後ろにずっと控えていた男は、マテウスを見詰めたまま動こうとしなかった。


「貴方もです。オースティン」


 オースティンと呼ばれた男は170中程の上背であったが、竹のように真っ直ぐ伸びた基本姿勢が、彼を少し大きく見せていた。一般的な燕尾服えんびふくを着ていたが、それが羊の皮であろう事は、異様に張り出した肩幅や腰回りや、戦士のような佇まいから容易にうかがい知れた。


「かしこまりました。なにか御座いましたら、いつでもお呼びください」


 隣を横切るだけでマテウスに緊張が走る。そんな相手は数える程なので、その家系にも心当たりがあった。


「リネカー家の人間か。アドルフ卿は元気にしているのか?」


「父上なら死んだよ、マテウス殿。今はこのオースティン・リネカーが当主だ」


 マテウスの言葉に真横に並んで立ち止まって、振り向きもせずに答えを返す。猛禽もうきん類を思わせる鋭い眼光が更に細くなる。


「先日の決闘は見事だった。是非1度、俺とも手合わせをお願いしたいものだ」


「やらん。お前んとこの相手は疲れるんだよ」


 マテウスのにべもない返答に、オースティンは口元だけを歪めて笑う。彼は見る者を怯えさせる氷の微笑を浮かべたまま、部屋から退席して扉を閉じた。

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