雨天決闘その1

 その日はマテウスの予想よりも早くに訪れた。その2日後の昼間の事である。彼に部屋……王宮内捕虜収容室からの外出指示が出たのだ。いつでも取り押さえれるようにと、衛士が両脇に控えたままの、少し窮屈な移動ではあったが、久々に拘束具を着けずに歩く外の世界は、軟禁状態であった事を思えば十分に快適といえた。


 そうしたマテウスが、衛士達に案内されて真っ先に辿たどり着いた先は、大浴場であった。彼等の話を聞けば、女王の前へ立つのに身だしなみを整えろという事らしい。


 入浴中も勿論、衛士達の監視の目がマテウスから離れる事はなかったが、それでも彼は、久しぶりの入浴をしっかりと堪能した。


(まさかこんな話になるとはなぁ)


 暖かい湯に浸かりながら、天を仰いで昨夜の出来事を思い出す。昨夜、マテウスの前に再び姿を現したアイリーンから持ち出された策。それは、至極単純なジェロームとマテウスによる決闘裁判だった。そしてこの策は、単純故に、落とし所としてとてもいい成果を上げた。


 そもそも、昔のマテウスを知る者が多い議会の面々は、マテウスが王女の命を救うという、手柄を立てた事が気に入らなかった。そしてジェロームにとっても、自身のアイリーンが、自身を差し置いて、新たに護衛を増やそうと動かれれば不愉快だったし、なによりも彼女が誘拐された事による汚名を、返上する機会を欲していた。


 その双方にとって、マテウスを正面から叩き潰せる決闘という方法は、とても魅力的な提案だった。


 一方マテウスはといえば、そんな事をしなくても命さえ奪われないのであれば、大人しく姿を消してもいいのだが、議会側としてそれを見逃すという事は、マテウスはこの件の罪人ではないと、認めたという事になる。


 そうなれば、無実の罪の男を軟禁した無能な議会だと、娘の恩人に対して相応の恩賞すら支払えない王家だと、その面目が潰されてしまうのだ。


 だが、その点についても、決闘裁判は有意義といえた。マテウスが決闘に敗れ、息絶えるのならば、たまたま王女が命を救われた場所に居合わせた罪人が、天の意思に裁かれただけの話……これで筋が通せるのが決闘裁判という手段なのである。


 そして、以前から王家へと尽くしてきた衛士達にとっても、これが議会の決定であるという大義名分。王都アンバルシアでは久しく行われなくなった、決闘という娯楽の提供。そして、その勝利という実績という条件が揃えば、例えマテウスが彼等を差し置いてアイリーンの騎士に選ばれたとしても、彼への鬱憤うっぷんを向けにくくなるのである。


 昨夜にこの話を持ち掛けたアイリーンは、祝勝を祈願してか、お馴染みのバスケットの中身に、大きなソーセージの乗せたフランクフルトを選んで、マテウスへと与えた。


 久しく摂取していなかった肉を目の前に、マテウスはなんの警戒もなく頬張っていたら、2本目のフランクフルトで、マスタードの分量を多分に間違えた一品に出くわして、激しく咽返むせかる事になったのを思い出す。それを用意したのは、アイリーンに女使用人メイド服を貸し与えた、彼女にとって信頼出来る友人らしいが……マテウスは彼女の友人とは相性が悪そうだなと、心の内で思った。


『ごめんなさい。マテウスに相談も出来なかった』


 マテウスに対して決闘の話を持ち出しながら、アイリーンは沈んだ顔でそう言った。大人しく議会の決定を待っていれば生き長らえていたかもしれない彼の命を、自身の策が危険に晒した事を気にしていたのだ。


「時間だ。そろそろ上がれ」


 入浴中も背後に立ち続けていた衛士の声が、マテウスを現実へと引き戻す。彼は衛士の言葉に軽く頷いて立ち上がり、湯船から出る。浴場から出る際に着替えが用意されていたので、彼はそれを手に取って確認する。


 それはマテウスが、囚人服代わりに1週間変えることなく着ていた襤褸ぼろと同じものだった。古い物と比べて、清潔になっただけマシだが、これから決闘に挑もうというには流石に心許なくて、彼は思わず愚痴を零す。


「俺はこれから、コイツを着て決闘をするのか?」


「武器は現地で手渡す。それ以外は俺達も聞いていない」


 ある程度の想像はしていたマテウスだったが、やはりベストコンディションでの勝負とは、いかない様子だ。彼は衛士にそれ以上詰め寄っても意味がないと悟ると、静かに着替えを始める。


 そして、王宮内に入る時と同様に、出る時も馬車に押し込まれるマテウス。そうやって彼が移動した先は、決闘場だった。そこは以前、決闘の他に処刑場としても使われる事の多い多目的広場だったが、今や決闘裁判は時代に合わない廃れ(地方や戦場ではまだ主流として残っているのだが)、終戦後には処刑の数も少なくなっていたので、余り使用意図のない場所となっていた。


 しかし、普段はさびれているこの場所も、今日ばかりは賑わいを取り戻していた。空はどんよりとした重い雲に覆われて、小雨から少しずつ雨脚あまあしが強くなってきているというのに、まだこの場所に足を運ぼうとする人の波は。止まる事を知らない。そうして人の波は、広場の中央を囲うように並べられた、柵の外で足を止める。


 雨を避ける為にフード付きの外套マント合羽かっぱを羽織っている野次馬達の表情は、マテウスからは確認出来なかったが、もよおし物の内容を考えれば、想像するには容易たやすい。


 かたやつい先日、巷を賑わせたエイブラム劇場前王女誘拐未遂事件の容疑者の上に、大戦犯の名で知られる男と、停戦したとはいえ、未だ国交に戦争の傷痕を残すドレクアン人との決闘。どちらの血が流れても楽しめる、最高の娯楽だ。笑顔が浮かばずにはいられまい。


 マテウスは、そんな野次馬達から視線を外し、ふと顔を上げる。その場所は、王宮のバルコニー。マテウスの肉眼では全てを捉えるのは難しかったが、そこに人影が立っているのは確認できる。白い影と、その隣に並ぶ黒い影。


 彼はその黒い影を見つけた時、女王ゼノヴィアが夫である前国王アーネストの死去以来、喪に服している意味を込めて、黒いドレスしか着ていないという話を思い出す。彼女等の後ろに並ぶのは、護衛であろう人影達。数は1つ2つ……マテウスがそこまで数えた時、雨脚が更に強さを増して、バルコニーの場所を見つける事すら困難になる。


「両者、前へ出ろ」


 この激しい雨の中でも広場全体へ響き渡る、厳粛げんしゅくな声。立会人のこの言葉に、広場が更なる熱気を帯びる。マテウスは自らが羽織っていた外套を脱いで衛士に手渡した。腰に下げていた恩賞の貨幣が入った麻袋も一緒に預けようとするが、その際に彼は、ふと気になって衛士に尋ねる。


「なぁ、賭けてるんだろう? 今の俺のオッズは幾らだ?」


「はっ? あぁ、8対2でお前が8だ」


 どうやら大衆はマテウスの死がご希望らしいが、希望は希望のまま勝手に美しく輝いていればいい。大衆の希望がどうあれ、それが訪れるかどうか如何いかんが誰のものであるか、彼はよく理解していた。


「頼みたいんだが、そいつを俺に全部突っ込んでおいてくれ」


「これ全部って、お前っ、いいのか?」


「どうせ負ければ俺は終わりだからな。投資はタイミング。お前も、乗り間違えるなよ」


 手を上げてひらひらと振りながら広場の中央へ歩いていくマテウスの背中は、これから散歩にでも出掛けるような気楽さだった。


 ―――同時刻。王宮内バルコニー


 王女アイリーンはとても不機嫌だった。昨夜に会ったきり、マテウスと会話が出来なかったからだ。決闘に向かう前に見送りや、励ましを入れたかったのだが、王家の肩書きが、あの野蛮な人混みに近づく事をとしなかった。


 マテウスが本当に勝利するのか。怪我をしないだろうか。雨に濡れて風邪を引かないだろうか……心配の内容は逼迫ひっぱくしたものから、彼女らしい呑気なものまでと多岐に渡ったが、どれもマテウスを想っての事には変わりなかった。


「座りなさい。アイリ」


 オペラグラスを片手に、バルコニーから身を乗りださんばかりだったアイリーンの背後から、冷ややかな声が掛けられる。女としては少し低く、落ち着いた雰囲気の、耳の奥に刻まれるような声。


 そんな声に振り返ったアイリーンの視線の先には、彼女の母親でもある女王ゼノヴィアが、肘掛けに片腕を立てて顔を乗せて、皮のソファーに腰を深くして座っていた。


 今年で32を迎えるゼノヴィアは、年々その容姿に艶やかさを増していた。アイリーンよりもしっとりとした白い肌に、ダークトーンの口紅とアイシャドーが引き立ち、妖艶な色香をかもし出す美女であった。口元のすぐ横にある黒子ほくろが、口を開く度にそれにならって動く。


「雨に濡れるわよ。それに、ここからでも十分に見えるでしょう」


 ゼノヴィアはソファーの上で身動みじろぎした。彼女は、背中まで伸びる金髪の直毛で、それを押さえつける髪留めに手を伸ばす。そうやって彼女が動く度に、腹部近くまで深いスリットの入った黒ドレスから、零れ落ちるような大きさの白い双丘が、たわんで揺れた。


「でも、お母様。マテウスに闘わせておいて、私はこんなところで座っているなんて……」


「心が痛む? それならば、始めからこんな事を言いださない事ね。命じられた者に責が生じるように、命じる者にも覚悟が必要よ。それを見せなさい、アイリ」


「……分かりました」


 ゼノヴィアの言葉の全てに納得をした訳ではなかったが、少なくともアイリーンがここで雨に濡れた事で、マテウスの力になれよう筈もないのは、彼女とて理解している。不承不承ソファーに腰掛けるアイリーン。ただし、座る場所を選ぶ時、少しだけゼノヴィアから離れて座ったのは、彼女の小さな反抗だ。


「失礼します、アイリ様」


 アイリーンの後ろに立っていた影のひとつが、彼女の前に歩み出て、目の前で屈む。その手にはハンカチが握られていた。その影は、ゼノヴィアが指摘した通り、少し濡れてしまっていたアイリーンを拭こうして、手を伸ばす。


「ありがとう、パメラ」


「お気になさらず」


 アイリーンはパメラと呼ばれた女使用人へと微笑みかけるが、彼女はムスッとした表情で、ぶっきら棒に返答するだけだった。だからといって、特別に機嫌が悪いわけではない。彼女は普段からこうだった。瞳にしても一見眠そうに見える半眼で、ジッと見つめられると大抵の者は睨まれていると思うだろう。


 しかし、それ等に慣れてしまったアイリーンからすれば、その瞳には愛嬌あいきょうを覚えていたし、時折抱きついたりすると無表情のまま顔を紅くして反応する様が、可愛らしいとすら思った。


 母親であるゼノヴィアにすらしなかった、マテウスとの夜の密会の事を相談した、たった1人の大切な友人である。


「ひゃうんっ! もう、変な触り方しないでって言ってるのに」


「お気になさらず」


 パメラの伸ばした手が、アイリーンの鎖骨のくぼみへと触れて、アイリーンは声を上げる。パメラは時折こうしてアイリーンの敏感肌体質を知っていながら、特別に弱い箇所を触る事があった。アイリーンはそれを苦手としていて、何度も忠告するのだが、パメラはそれを直そうとしない。いつもこのように無表情で偶然を装っていたが、全般的に有能なパメラがそんな愚を犯し続ける訳はなく……アイリーンはそれをワザとらしいと疑っていた。


「始まるようね」


 抗議に顔を膨らませていたアイリーンだったが、ゼノヴィアの言葉にオペラグラスをかざし直す。雨の所為せいで顔色までは確認出来なかったが、広場中央に歩いていくマテウスの全身シルエットぐらいは、見て取れた。向かい合った場所から、ジェロームが近づいてくのも瞳に映る。


 2人の姿を見比べてアイリーンに緊張が走った。マテウスは先日と同じ襤褸ぼろを纏っただけの姿に対して、ジェロームは兜こそしていなかったが、上半身に皮鎧レザーアーマーを着用、両手に篭手を着け、脚部には脚具レガースまで装備していた。


 見た目に分かる単純な防御力の差は勿論、当然それら全てに生存率を上げる為の、理力付与エンチャントがなされている装具なのは、火を見るよりも明らかだ。


「そんな……こんな決闘っ、止めないと!」


「座りなさいと言った筈です、アイリ」


 再び立ち上がったアイリーンに、先程よりも冷たく強いゼノヴィアの叱責しっせきが向けられる。その声に、身体を強張らせて立ち竦んでしまうアイリーン。彼女はなんとかこの場で言い返そうと振り返るが、今度はゼノヴィアの鋭い眼差しを正面から浴びせられて、視線を下へと下げる。


「何度も同じ事を言わせないで」


「で、ですが、お母様。マテウスとジェロームの装備の差が余りにも。これでは決闘といえませんわ」


「確かに決闘は貴女が言い出した事ですが、この決闘の是非は議会と私で定めたものです。その内容までは、貴女が判断するところではないわ」


 議会に出席すら出来ないアイリーンが、決闘裁判という策を実現させる為にはゼノヴィアの力無くしては無理だった。アイリーンがしたのは、ゼノヴィアへの進言まで。それ以降の、どういった形での決行になるかについては、口を挟む権限チカラを持ち得てなかったのだ。


「双方の装備指定は議会に全て委ねるのが、この決闘裁判を実現させる上での条件の1つ。この程度でうろたえるようで、どうするのです」


 アイリーンは自らの愚かさと非力さを呪った。彼女亜危険こそあるものの、正々堂々とした決闘で、マテウスが実力を発揮できる舞台を整えたつもりだった。しかし、現実は彼を死地へ放りこんだのと、なんら変わらなかったからだ。


「議会の事だからもっと厳しい状況も覚悟していましたが……この程度とは、見くびられたものね」


「えっ?」


 沈み込んでいた為の聞き間違えかとアイリーンは顔を上げる。ゼノヴィアの顔は、彼女と同じくなにかをうれいているようであったが、その内容は正反対と言って良さそうだった。


「加減を間違えて、ジェロームを殺すような事がないと思いたいのだけれど」


 アイリーンはその言葉の意味をゆっくり理解して、息を飲み込む。静かにオペラグラスを覗き込んで、その先のマテウスの挙動を目で追った。

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