プロローグその3

 土煙が舞い上がった後の空気に咳き込みながら、マテウスは周囲を見渡した。まるで戦場のように壁や床に大きな傷痕を残した通路を振り返りながら、彼は耳を澄ませた。先程までの喧騒けんそうが嘘のように静まり返った一帯からは、瓦礫がれきが崩れる音や、遠くから近づいてくる足音が聞こえるだけで、追撃の気配は消え失せていた。


「どうやら、助かったようだな」


「ひゃっ、ちょっ……どいて……」


 追撃の気配を探っていたマテウスが、下から聞こえる声に視線を移す。彼の下には、マテウスの片腕に肩を押さえ込まれて、仰向けに押し倒されたまま、身動みじろぎする女の姿があった。


「……お願い……だからぁ……っ」


 女は両頬どころか顔中までを真っ赤に染めて、熱い吐息を交えて濡れた声を発した。その様子はあでやかですらあって、マテウスは彼女の突然の変化に、珍しく驚きを隠せず、飛び退くようにして離れる。


「おい、大丈夫か? どこか痛めたか?」


「な、なんでもないわ。すす少ししたら、よく、よくなるから」


 マテウスからはどう取り繕っても正常には見えなかったが、女は暫くの間、胸元に片手を置いて深呼吸を繰り返し、次第に落ち着きを取り戻していく。


 その後、振り向いた彼女は先程までの調子を完全に取り戻していた。大きな瞳を強気に吊り上げながら、マテウスに対して詰め寄っていく。


「どうして、私の邪魔をしたのかしら? 私の高潔な薔薇ローゼンウォールは、あの人達の攻撃を防ぎきっていたでしょっ?」


「ローゼン? あぁ、君の上位装具オリジナルワンの事か。確かに試してみないと分からないだろうが、奴等が最後に使っていた下位装具ジェネラルはグランディッヒ社製のドラゴンイェーガーって代物でな。貫通力の高い理力倉カートリッジが装填可能で……」


「グランディッヒ? 知らない会社ね。それと、もう少し噛み砕いた説明は出来ないの?」


「……だろうな。とにかく、俺は相手の装具の威力をよく知っていて、君の装具を余り知らなかった。だから危険が勝ると思ったんだよ。これでいいか?」


「……仕方ないわね。それで許してあげるわよ。確かに、アレの全部を受け止められたかは、少し自信ないし」


 女は振り返って、大きく形を……どころか、地形までも変えられた、非常口付近を見詰めた。ドラゴンイェーガー……1発1発の威力も高いが、その連射力も相まって、戦場ではよく使用されていた長銃型装具。その威力はマテウスがまだ現役だった頃である、10年近く前から変わってないようだ。


 この件に関してマテウスは、もう少し女から非難される事を覚悟していたが(貴族は傲慢ごうまんで独善的な性格の者が多いから)、彼女は案外物分りのいい人柄のようで、少しホッとしていた。


「そろそろ行こう。もう大丈夫だろうが、はやく人目の着く場所へ避難するに越したことはない。君は要人のようだが、護衛は付けていないのか? 合流できるな素早く合流するんだな」


「偉そうに指図しないで。あっ……思い出した。貴方、私を見捨てようとししたでしょ。あれはどういう了見かしら? 普通、こんな可憐なレディを見殺しにする?」


「……チッ」


 劇場内へ向けて歩き出していたマテウスは思わず舌打ちを零す。有耶無耶うやむやにしておこうとしていた事実を、思い出されてしまったからだ。


 実際に、もしマテウスは誘拐犯グループとの交渉が成立していれば、彼女を見捨てて自分だけ生き長らえる選択をしていただろう。危険を冒して救出する展開になったのは、彼の本意ではなく流れみたいなものだ。だが、それを正直に申告する理由もあるまい。


「あぁー、あれは演技だよ。演技。迫真だったろう? マーティン・コールズと並べても遜色そんしょくない出来だったな」


「貴方、いま舌打ちしなかった? 大体マーティン様を貴方のような失礼で野蛮な人種と一緒にしないでっ!」


 マーティン・コールズとは、現在この劇場で公演されている演目の、主演俳優の事だ。多くの女性を魅了する甘いマスクと、批評家をも唸らせる名演で、芸能に疎いマテウスにすらも知られる程の、並ぶ者のない人気男優である。


 どうやら彼女も御多聞ごたぶんに漏れず、ファンの1人だったようで、再び顔を赤くして感情的になっている所を見るに、見殺しの件などの些事は、すっかり抜け落ちてる様子。その感謝の印にマテウスは、明日からマーティンのファンになろうと心に誓う事にした。


 そうこうしている内に、正面から何者か達が走り寄って来る。その中には、マテウスが知る警備員の同僚達の姿も数人確認出来たが、それとは別の姿も大勢いて、上半身を銀色の甲冑で固めた、一般的な衛士の姿をした男達が大半を占めていた。


「王女殿下、ご無事でいたかっ!」


「ジェローム。ここよっ!」


 その中にあって、衛士達の先頭を走るジェロームと呼ばれた男。彼は1人だけ黒いタキシードを身にまとっていた。体つきも衛士達と比べるといささか線が細く頼りなく見えたが、腰に提げているサーベルや、両手の手袋……そして上手くドレスコードを誤魔化しているようではあったが、その軍靴に至るまで、全て良質の下位装具で、マテウスが装備とは、並べて比べるのが烏滸おこがましい程の、明確な差があった。


 手を振って気を許した笑顔を浮かべる女の様子から、彼等が彼女の護衛だと、マテウスには知る事が出来た。だが彼は、少し思う所があるのか、緊張を解かずに背後から彼女の手を引いて、声をかける。


「なぁ……これだけの護衛がいて、どうして君はあんな事になったんだ?」


「はぁぅっ? ちょっと、急に触らないでよ! どうしてって、それはその……マーティン様と2人っきりで話せるってジェロームが……もう、どうでもいいでしょ? それより貴方、名前は?」


 彼女が顔を明らめて視線を反らし、指先をモジモジと恥ずかしさに耐えかねて動かす様子が、状況に反して余りにも緊張感がないものだったので、毒気を抜かれてしまうマテウス。しかしその後、本日2度目となる彼女からの質問に対しては、少し答えあぐねる事になる。


 この時点でマテウスには、彼女の名前に検討がついていた。だからこそ、彼女に自分の名前を教える事に、強い抵抗を覚えたのだ。彼は少し考えた末に、質問には答えない事を決めると、この場から離れる為に歩き出す。


「もうこれっきりなんだ。それこそどうでもよくないか? それじゃあな。次は気をつけろよ」


「ちょっと待ってってば。一応はその……命の恩人なんだし? 少しなら感謝してあげなくもないからさ」


 あれだけ触れられる事に抵抗を示していた割りには、自らマテウスの手を引いて、引き止めようとする女。マテウスはその手を軽く払い除けようとしたが、その前に、走ってきた衛士達に首根っこから引きずり倒されて、床へと押さえつけられる。


「抵抗するな! 武器を捨てて両手をあげろ。早くっ!」


 マテウスは衛士達に一瞬にしてうつ伏せに潰されると、武器の全てを取り上げられる。その上で背中を踏みつけにされて、複数の剣を身体に触れるまで突きつけられた。しかし、彼にとってこの展開は、想定の範囲内の出来事だったようで、落ち着き払っていた。完全に無抵抗。言われるがままに、うつ伏せの状態で両手をあげながら、小さく愚痴を零す。


「ハッ……冗談キツイぜ」


「ちょっとなにをしているの? 彼は私を助けてくれ……きゃっ? ジェローム。急に触らないでっていつも言って……」


「お叱りは後程。今は危険です、王女殿下。早くこちらへ」


「待って、ジェローム。彼を助けてあげて。ねぇ、誰か。誰かっ!」


 マテウスの視界から消えるまで、彼女は彼自身よりよっぽどマテウスの安否を気遣っていたし、取り乱してもいたが、マテウス自身はといえば、突然にこの場で殺される事はないだろう気楽なものだった。


 マテウスが周囲を伺おうと視線を上げた時、同僚の1人と目が合う。しかし、同僚はこの事態に割って入ろうとはしなかった。彼は困惑した様子でマテウスを見守るだけだったが、マテウスはそれを非難する気にもなれず黙ってこちらから先に視線を逸らしてやる。


 なぜなら、マテウスでも彼と同じ立場ならそうするだろうから……君子危うきに近寄らず。その上に付け加えるなら、驚異の正体が自分達では到底及ばない事が知れているのだから。


 衛士達の甲冑には、大きな薔薇の形に似せた紋章が彫られてあった。我が国、エウレシア王国で育つ者達、皆が最初に覚えさせられる王家の紋章。王家直属の武力を前にすれば、国民は誰しも無力である。


(エウレシアの三美姫さんびきか……大きくなったな)


 エウレシアには諸国にもその美しさで名を馳せる3人の姫がいた。長女、次女はそれぞれ他国へと嫁いでいったが、三女は去年14歳を迎えてまだ未婚。王宮で健やかに暮らしていた。名前をアイリーンと言い、現女王ゼノヴィアの実の娘である。


「よし。そのまま立ってゆっくり歩け。事情を聞かせてもらうぞ」


 床に押さえつけられたままの体勢で、無遠慮な身体検査が終わった後のこの命令に対しても、マテウスは素直に応じた。彼が立ち上がったのを見ると衛士達は、剣を使って彼の背中を突き、歩く事を強制する。


 四方を剣に囲まれたまま、両手を頭の後ろに回してゆっくり歩きだすマテウス。まるで犯罪者か奴隷のような扱いを受けながらも、彼の口許からはフッと笑みが零れ落ちた。


(しかし、母親似だったな。中身までは、そうはいかなかったようだが)


「なにを笑っている?」


「悪かったよ。抵抗しないから、もう少し優しくしてくれないか?」


 乱暴に尻を蹴り上げられて軽くよろめくマテウス。そんな仕打ちを受けてさえ、彼の気分は晴れやかなままだった。初めて王女アイリーンの顔を見た時の、どうしようもない既視感きしかんに答えが出て満足していたからだ。


 そして、もう1つ……自身の名前を覚えてないような新人に適当にあしらわれて、抜け出た先で誘拐に遭遇し、殺し屋のような連中に命を狙われ、今は国家暴力に囲まれていずこかへ連行される身。こう並べてみれば、今日という日はマテウスにとって最悪と呼んで差し支えなかった。


(久しぶりに適度な運動をしたし、いい夢ぐらいは見れそうだな)


 だがそれでも、久しく感じる事のなかった込み上げる想いに、適当な理由をでっち上げて誤魔化すマテウスの口許は、やはり少しだけ緩んでいた。

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