第6話最後の奇跡

 思えば、僕に絶望を教えてくれたのは君だったね。


 君のことを僕は最初から好きだったんだ。



 屋上で僕らは再会した。彼女の目がきらきらと輝いて僕はほっとした。


 なぜ最初から人はキスが出来ないものか。まあ、当たり前で仕方ない話かもしれないけれど。


 僕は彼女に向けて両手を差し出した。微笑んだ彼女は誰よりも美しい。


 もう言葉が必要ないことはわかった。僕らは星達の瞬きよりもお互いが輝いていることを知っている。


 そう、なぜなら僕達の距離は小さく一歩、約15センチしかないのだから。


 腕の中に彼女の温かさを感じた。僕らはその15センチに打ち勝ったのだ。唇に何よりも大切な感触。


「ごめんね」


 彼女の瞳を目の前にして僕がささやく。すると耳元にくすぐったいくらいの優しい吐息で彼女は喋った。


 声はしなかった。


 何となくだけれど『ありがとう』と言われた気がした。



 でも僕は今、絶望を知った。


 祖母は退院し、福祉施設の部屋で編み物をしている。僕は今日も祖母の目の前に座った。


「どうしても信じられないんだ。彼女がそう」


 言葉が止まる。あの日、僕らが再会した前日に彼女は死んでいた。病院の看護師が僕のことを覚えていて教えてくれた。


 つまり僕は死んだ後に彼女と会ったことになる。


 勿論、僕の病気が悪化していたので、幻を見た可能性もある。真相は闇の中だ。けれども僕は。


「私も夫を亡くした時は辛かった。病気で亡くなったからねえ、あの時こうしていたら病にかからなかったんじゃないかって、自分を責めた時もあったよ。でもじいさんはこう言ったんだ。お前に会えて良かったって」


 祖母はにこにこ笑う。彼女が隣にいた時と同じく。


「あの子の目が行っていたよ、清信君に会えて良かった、って……」


 僕は福祉施設を出た。いつかと同じような夕暮れ。


「あ、一番星」


 僕は彼女の名前を知らない。


 だけどまた遠くの未来で会える。僕らの距離はたった15センチなのだと、あの日、君が教えてくれた。


 彼女を思い出す。遠い未来の彼女を。


 僕は今、優しい絶望に浸っている。




 さて、この記録は君に捧げるよ。


 僕は一生懸命に生きて、辛くても悲しくても必死で耐えて、時々は楽しいこともあるだろう。僕はあったことを皆、全部、話すから。


 名前より大切なものを僕に残してくれた、『あなた』へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

優しい絶望 名前ある誰か @namaearudareka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ