第5話メッセージ
薬を一日飲まなかっただけで、僕の体調は地に落ちた。
見ているもの全てがかげろうのようで、気持ちがどうやっても上向きにならない。テレビをつけては消し、雑誌を開いては閉じるの繰り返し。
じっと耐えるしかなかった。
気を抜くと彼女に詰め寄った自分を思い出してしまう。彼女の涙。心に病を持つ僕が、体の弱い彼女を傷つけたのだ。取り返しのつかないことをしてしまった。
一週間経っても僕は通常の生活に戻れず、布団の中で悪夢ばかりを見ていた。
「お兄ちゃん大丈夫?」
妹の声も助けにはならない。ただ『ありがとう』という言葉を振り絞って言う。
再び僕は眠りにつく。次に起きた時は家の玄関の方から話し声がした。
どこかに出掛けていたのだろう。両手をまぶたに当てる。さっき見た夢を思い出せない。こんな時に見えるのは彼女の整った顔立ちだ。僕はどこまで意地汚いのだろう。同じく病気なのに彼女の苦しみをわかろうともせず、顔ばかり思い出すなんて。
僕はキスをしようとした時のことを思い出した。あの日お互いの瞳に浮かんだだろう光は今はもう。
「お兄ちゃん、水持ってきたよ」
「うん、置いといて」
すっぽり被った布団の外から足音がする。
「それとね、手紙。お祖母ちゃんが預かっていたんだって」
「手紙?」
からからの喉で腕が求めたのは妹が持つ手紙であった。
清信君へ
清信君、どうしていますか、元気にしていますか。
私はもう少しで会えなくなりそうなので、手紙を書きました。
一言、言いたいことがあったからです。
ごめんね、清信君。
私はあなたを本当に好きになったから選んだのではありません。
私は自分の命が短いことを知っていて、とても寂しかった。
だから清信君と出会えたことは私の宝物です。
健康な人みたいにちゃんと恋がしたかった。
だから、一目惚れではなかったけれど、あなたを選びました。
清信君はとても素直に私の困った行動に文句も言わず付き合ってくれた。
私は恋に恋した人みたいになっていました。
このまま清信君と付き合えたら、キスができたら、ゆくゆくは結婚して幸せになって。
でも全部私の夢なの。
夢に付き合わせてしまってごめんね。
清信君が病気だと知っていたら、その前に私が清信君を本当に好きだったら、あなたを選ばなかった。
どうか健康で長く生きてね。
私の分も生きてね。
最後まで自分勝手でごめんなさい。
手紙は、そこで終わっていた。彼女は自分の名前も書いていなかった。
彼女の命が長くないことは何となく予想していたことだ。だけど文字にされると突き刺さる。得たいの知れないものが彼女を、いや僕を連れて行ってしまう。暗闇の世界へ。
「悪いんだけれど」
僕は布団から這いずり出て、学校鞄の前まで来た。筆入れと、ノートを取り出す。
一言『会いたい』と書いた。ノートの1ページを破り、妹に差し出す。
「彼女に渡るようにしたい」
「わかった」
もし拒否されたら彼女の手紙を見せてでもと思ったが、妹はことの深刻さを察したらしい。
翌日、帰ってきた妹は『お祖母ちゃんに預けて来た』と言う。
祈るような気持ちで僕は僕が快復するのを待った。しかしふらふらは治らずに一週間が経ってしまった。さらに最悪なのは妹が教えてくれたことだ。
「お兄ちゃんの彼女、一度もお祖母ちゃんの部屋に来ていないって」
妹は顔を真っ赤にしている。素早くいなくなったのは恥ずかしかったからだろう。
西日が窓から差し込む。行くなら今しかなかった。僕は音をたてずに着替えを済ませ、外へ出た。
頭がくらくらするのはもうお馴染みであり、慣れっこだと思うことにする。
列車に乗り、窓明かりの少なくなった病院へ侵入する。ロビーには入院患者が座るだけであったが、僕はこそこそしたりせず、自分も今夜ここに泊まるつもりになって歩いた。すると誰にとがめられることなく病院の奥へ入れた。
祖母はもう寝ていたからそっとしておいた。他の病棟は看護師やその他の大人達が忙しく動き回っていて近付くことができなかった。
僕は階段を上った。
言いたいことが、僕にもあった。
階段は僕の疲労貯金をパンクさせそうになったが構わず足を動かし進む。
どくんどくんどくんと心臓の音がした。
いるなら、どうか、いてくれ。
僕の願いは叶った。
扉の向こうには髪をたなびかせる彼女がいた。
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