3

 最後となると、少しばかり名残惜しい気持ちになるが、次の授業をサボってまでやる訳にはいかない。学生の本文は勉強だから、学校にいる間は学生として振る舞うべきだろう。


 だからこれで最後。どうせなら、成功させていきたい。俺の今後のために。何より、彼女のために。


 向こうからしたら、付き合わせたと思ってるかもしれないけど、俺は彼女に感謝している。だから成功させることが、お礼になると思ってる。


 彼女に向けて言うなら、それもありかもな。


 先ほど花日が言った、自分に向けて言ってくれという言葉。真に受けて言うわけはないが、少しくらいは彼女自身に向けてもいいかもしれない。ほんの数㎝だけ。


「それじゃあ、行きますよ」

「ああ」


 本番、五秒前。ブースでもないのに、そんな声が聞こえた気がした。花日も呼吸を整えて、スイッチが切り替わる。俺も俺で、静かに役の中に入り込んだ。


 4……3……2……。


「ありがとう」


 先ほど聞いたものよりも、数段気持ちの入った一言だった。目の前にいる花日が、瞬きをする間に、三綴と入れ替わったようだ。


「……何が?」


 冷めてはいるが、遠ざけてはいない。調整の難しい一言だが、すんなりと口に出る。


「あの時、手を引いてくれて」

「別に、たいしたことじゃないだろ?」

「ううん。嬉しかった」


 その笑顔が、眩しかった。きっと昴も、こんな風に思っていたのかもしれない。無気力だった自分の人生を、灰色ように淀んでいた空を、彼女は明るく照らしてくれたのだ。


 始めこそ鬱陶しかっただけかもしれない。けれどきっと、いつしかそれが日常になっていったのだ。その時になって気づくのだ、彼女の存在の大きさを。

 だからこそ昴は、手を引いたんだと思う。昴にとって、三綴は大切な人になっていたから。


「昴が私を嫌いなのは知ってたけど、それでも嬉しかった。だから……ありがとう」


 嫌いな訳がない。でなければ、面倒だと言いながら手を差し伸べはしない。精一杯、不器用ながらも、感謝と好意を見せていたのに、何でこいつはそれに気づかないんだろうな。


 いつの間には、頬が綻んでいた。役に入ったせいだろう、自然と笑みが浮かんでくる。


 本当に三綴は、馬鹿でどうしようもないお転婆娘だけど、それでも憎めない。そんな馬鹿にお節介をやいている俺も、そうとうに馬鹿だな。

 でもそうだな。どうせなら少しだけ……少しだけ、こいつの誤解を解いておこう。


「……嫌いじゃない」

「え?」


 今さらながら過ぎるが、言葉にするのは恥ずかしいな。こんな時ばかりは、素直なこいつが羨ましい。でも言おう。言わないと、こいつには伝わらない。


「好きだよ。お前のことは」


 それを聞いて、驚いた後に彼女が嬉しそうに微笑むのが見えた。


 今はこれでいい。どうせこの先も、こいつに振り回される日々が続くんだ。




「15cm」


 本番が終わり開口一番、花日はそう言った。


「よかったです」

「……おう」


 素直に誉められるのがなんだか照れ臭くて、素っ気なく返してしまう。だけども心の中では、嬉しくてしかたがなかった。


「付かず離れずのいい距離感。昴とひまりの関係性が浮かんで来ますね。最初っからそれやってくださいよ」


 バシバシと肩を叩く花日。どうやらいい掛け合いができたことに興奮しているようだ。

 気持ちが高まるのはわかるが、加減はしてほしい。思いの外叩く力が強くて、前につんのめりそうになる。


「いや~これなら昴役できるんじゃないんですか?」


 そんなことができたら本当に嬉しいが、これはもうアニメ化が決まってキャストも固まっていると聞く。さすがに無理だ。

 だけど、お世辞でもそう言ってくれるのが嬉しい。


「ちょうど主役で悩んでたみたいなんですよね~。まさかこんなところに掘り出し物があるなんて、私って運がいいですね」


 その言葉に、俺は疑問を覚える。


 何て言った? 主役で悩んでる? 掘り出し物?


「なんの話してるんだ? お前」


 俺の疑問に彼女はニヤリと笑うと。ある一通のメールを見せてくる。

 それには、先ほどやっていた作品の、出演に関する確認メールだった。


 まさかと思いスマフォを受け取り、メールの内容を確認していく。するとキャストの欄に、神田昴:未定。三綴ひまり:日花桜と書かれている。


「私、この三綴役でこれに出るんです」


 唖然と、画面と花日を顔を行ったり来たり。あまりの出来事に、声が出なかった。

 つまりこの子は、あの人気女性声優、日花桜だったのだ。若いとは思っていたが、まさか高校生で、年下だったなんて。


「もしかして、最初から俺のことは」


 だとしたら、あの時芝居をしようと言ってきた意味もわかる。


 しかし花日は、いやいやと首を振り。「その前から知ってたって言いましたよね?」と、そう誤解を解いた。


 そうか、そういえばそうだった。彼女は俺と面識があったんだ。忘れてた。

 でもそうだとしたら、本当にどこで会ったのだろう?


 わからなかったが、花日も教えてくれる気はないようで、クスクスと笑っている。俺の気持ちを見透かされてるようで、苦笑いをした。


「本当にやるつもりなら、私から監督に言いますよ? どうします?」

「やる。俺にやらせろ」


 花日の問いに即答した。やれるならやりたい。そういう気持ちで一杯だった。今は早く、芝居がしたい。


 授業の終わりのチャイムが鳴る。逸る気持ちを押さえつつ、しかたがないので教室に戻ることにしよう。芝居は、勉強の後だ。


「まあ、今日の距離感を忘れなければ大丈夫ですよ。一緒に芝居、しましょうね?」


 花日はそれだけ告げると、そそくさと部屋を後にした。俺は手に持った本に目を落として、さっきの芝居を思い出す。


「距離感……」


 何事にも、調度いい距離感というものが存在する。今回の昴と三綴のシーンでの最適は、15cm。付かず離れず。気持ちを寄せて、互いに感じられる距離感。


 もしかしたら、芝居以外にも、そういった距離感は存在するのかもしれない。友達との距離、勉強との距離、芝居との距離。その距離感よ中で、適切なところを見つけていくことが、大事なのかもしれない。


 俺はどっちにも100%だった。100%近づいていたから、それだけどっちかが離れてしまった。


 だから見つけなければならない。芝居をやりながら、勉強も疎かにならない距離感を。そしてやがては、どっちも近づけてしまえばいいだろう。


 それができて、ようやくスタートラインだ。


「よし!」


 気合いを入れて、部屋を出ようと扉と取っ手に手をかけようとする。だけどその時気づいた。


「あっ……本」


 返すのを忘れていた。


 どうしたものかと思ったが、直ぐに悩むべきことではないと思った。

 次会った時に渡せばいい。どうせ直ぐに出会える。


 その時に、彼女との距離を少しでも詰められるように、努力しよう。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心響かせ声高く 滝皐(牛飼) @mizutatu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ