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芝居?
突然何を言い出すのかと思った。芝居をやっているこちらはできない訳はないが、専門的にやってない人にとって、役を演じるというのはハードルが高い。羞恥心が先行して、芝居をするどころの話ではなくなるからだ。
もしかしてこの子は、俺に演じてほしい何かがあるのか?
彼女は俺のことを知っている。ならば俺が声優をやっていることもわかっているはずだ。だからこそのこの提案なのか? でもなんで?
疑問ばかりが浮かんだ。彼女の意図が全く汲み取れないし、できることなら今は芝居のことを忘れたかった。
もしかしたら、辞めさせられるかもしれないから。
「悪いけど、俺は」
「別に先輩だけがやる訳じゃないですよ?」
俺の言葉を遮って、彼女は足元に落ちた本を拾い上げる。それをパラパラと捲っていき、あるところを見開いて俺に突き出した。
「ここまでのセリフのやり取りがしたいんです」
彼女が指差してる場所をよく見ると、数回会話を挟んだ後に、「好きだよ。お前のことは」と書かれているところまでやりたいようだった。
「やりましょう?」と無邪気な笑顔で言ってくるが、要求している場所がかなりエグい。役柄も作品内容もわかってないし、何より知らない女子に形だけでも告白するのが恥ずかしかった。
それに俺の心理状態が、芝居をする気にはなれない。
ちゃんと断ろうと思って口を開きかけたが、彼女は俺に本を押し付けると、咳払いを一つして、有無を言わさずに始めた。
「ありがとう」
心の中で舌打ちをしつつ、始まってしまったことはしかたがないので、適当に済ませて満足してもらおう。
目線を本に落とし、始まった場所から会話の流れを簡単にさらう。どうやら何かの問題が終わった後のシーンみたいだ。
時間は放課後、場所は帰り際の河川敷、ベターだかいいシチュエーションだ。
俺がやる役は、見たところ口数は少ない。大人しめか、クレバーか……悩みどころではあったが、一度クレバーな役をやったことがあったので、一先ずはそっちで役を作る。
「……何が?」
「あの時、手を引いてくれて」
「別に、たいしたことじゃないだろ?」
「ううん。嬉しかった」
ザワリと、心が騒いだ気がした。思わず、俺は彼女の顔を見ていた。そこに、本の中のキャラクターが立っているような倒錯感を覚える。
「
この子、上手い!
驚きというよりも、衝撃的だった。確実にキャラクターの内面を掴んでおり、言葉がしっかりと伝わってくる。何年も芝居をしていなければできない芸当だ。
彼女がやっている役は、
あまりの出来事に固まってしまっていると、彼女がちょんちょんと空中を突くような仕草をする。速く続きを読めという催促だとわかると、慌てて文字を追った。
主人公である昴の独白部分を、内容を要約しつつ自分の中に落とし込み、問題のセリフが迫っていることに気がついた。
「……嫌いじゃない」
「え?」
ぼそりと呟くように告げる言葉は、彼女には届かない。届けたいなら、シンプルに、素直に、想いを濁す必要はない。
「好きだよ。お前のことは」
最大限の解釈でそう言った言葉を、彼女はきちんと受け取ってくれた。そして開口一番、「5cm」と言って腕を組んだ。
「ちょっと近すぎ。50点」
「……は?」
「解釈は悪くなかったけど、いまいちですね」
意味がよく理解できなかった。
勝手に初めて、無理矢理巻き込んで、挙句の果てに採点された。確かにこの子は上手い。俺なんかより全然高みにいるような子だ。知らない題材で、そのキャラクターが目に見えるというのは、それ相応の才能がないとできない。
だからと言って、それで採点されるようないわれはない!
「何が50点だミノムシ野郎! 突然台本渡されて設定も資料もないままに読んだこっちの身にもなりやがれ! よくできた方だぞ!」
ふつふつと湧きあがった怒りが爆発し、不満が口から駄々漏れた。
「だから50点って言ったじゃないですか。新人にしては悪くないですよ、初見のセリフ合わせで50点行くのは。リハでも噛み合わなかったら噛み合いませんもん」
それを聞いて、収録現場のことを思い出した。確かにプロ同士でも、最初の一発で完全に噛み合うことは多くない。一度リハ撮りをして、監督の指示とすり合わせながら、互いに調節していくのが基本的だ。中には監督の指示で、作って来た役をガラリと変えることだってある。それで瞬時に切り替え、それに対応できるのがプロだ。
「まあ今のはリハ撮りだと思って、本番に臨みましょうよ。今の内に作品の内容聞いときます?」
確かに、今のがリハ撮りで、この子が監督だとしたら、俺は近いと言われたことに応えないといけないのだろう。役の作り方が甘くなった結果だ。作品の内容を理解して臨めるのならそうしたい。ただ一つ。
「お前は何者なんだ?」
俺の疑問は一つだった。この子はいったい何者なのか。
これほどの演技力を持っている年下はそうはいない。もしも業界にいるのなら、かなり噂になっているはずだ。
それなのに、こんな才能を持った子を俺は知らなかった。声だって聞いたことない。
「私のこと
その年で芸歴10年!? 化け物かこの子!?
つまりこの子は、俺と同じでずっと芝居畑の人間ってことか……いや、俺なんかよりもずっと、濃い芝居人生を送っている。一緒にするのはおこがましい。
「ここ2年は声優業をしています」
「2年」
声優歴は俺と大差ないが、それでも劇団で培った経験が、差なんてものともしない力になっているのだろう。
こんな子に、俺なんかで合わせられるのか?
芝居に置いて、対等でいるという概念は少なからず必要になってくる。押さえた芝居なんて、どやされる対象でしかないが、人間は無意識の中で序列を決めてしまう。そうなったときに出てくる不安という名前の悪魔は、己の自信を喪失させていく。
そうなったら最後、芝居は芝居ではなくなる。探りながらの芝居はいいものにならない。やるならば、それが合っているという、自信を持った上でやらなければならない。
だかそれが難しい時もある、相手が大御所だったり、今みたいに力の差がはっきりした時なんかがそうだ。
俺は今、不安で押し潰されそうになっている。
解釈を得たところで、この子の技術レベルにいきなり引き上がる訳じゃない。そもそも解釈を得たからといって、それを表現できる保証もない。
できるのか……俺は。
「……先輩!」
ペチンと、両頬を抑えつけられるように叩かれる。別に痛くないが、突然の事で驚いた。
「まだ、何も始まってないですよ?」
その言葉に、ハッとさせられた。
そうだ、まだ俺は何もしていない。何もしてないのに、何を諦めているんだ。俺は腐ってもプロだ、合わせられないとか、相手が上手いとか関係ない。同じ土俵でぶつかりあわなければ、いいものはできない。
彼女も、それがわかっている。
花日は「すみません」と、頬を赤らめながら手を離し、咳払いを一つ。
叩かれた場所を擦りながら、彼女の手の暖かさと優しさを感じていた。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、ありがとう」
ビビっていた自分を恥じつつ、彼女のような芝居の先輩と演技をできるということに、興奮を覚えた。
「やろう。詳しい内容を教えてくれ」
「はい」
花日は俺の手から本を抜き取り、黒のブックカバーを取り外した。表紙を見せると、俺も知っているタイトルの本だった。
「それ、今度アニメ化する作品じゃないか」
現在100万部数売れている人気作品で、純文学にも関わらず、実写化ではなくアニメ化をする。今どき珍しいことではないが、純文学特有の緻密な会話劇は、ベテランでなければ難しいところが多々ある。より正確に、言葉を紡がなければならない。
「読んだことはあるんですか?」
「いや、タイトルだけだ。後はアニメで見ようかと……」
本を読むのは嫌いではないが、面倒だと思うところもある。それに、俺が出ない作品を読み込むことの意味を、あまに感じなかった。
「でも原作があるなら読んどいた方がいいですよ? 原作を読んで、アニメを見て、二度楽しめるんですから。それに、芝居の勉強にもなりますし」
「……はい」
年下に注意を受けてしまった。
きっと、こういうことをちゃんとしているから、彼女は上手いんだな。
「じゃあ軽く本の内容を教えますね。主人公は
神田昴。さっきの役作りは、微妙に掠っていたか。だけどそれだけじゃ、これからやるシーンはできない。
「三綴ひまりは、明るく、お節介で、いろんなことに首を突っ込んでいくお転婆な女の子です。彼女に巻き込まれながら、昴は持ち前の推理力で、彼女が持ち込む学校のちょっとした不思議を解決していくのが、この作品です」
そうか。つまり昴は、これまでの期間三綴の色々なお節介を共に背負ってきたのか。本位でない不本意だったとしても、彼女の頼みを無下にするようなことはしなかった。それは恐らく、昴は自分が思っているよりも、他人と関わることが嫌ではないのだろう。
ただ自分の生き方を変えられることについては、どう思っているのだろうか?
「一ついいか?」
「はい」
「三綴が、昴は私が嫌いだと言ってる描写があった。最初の頃はそうだったかもしれないが、さすがにもう違うだろ?」
俺の質問に、花日は人差し指を立てて、生徒に教える先生のように答える。
「実は別に昴が嫌いだという描写ないんです。これはシリーズ一巻から四巻までの間、ひまりが勝手に思っていることなんです。ひまりとの間には何度も心を近づける描写はありましたけど、ひまりは昴が思っている以上に鈍感なんですよね。昴にとっては、振り回されるのが面倒だと言っても、関わることには積極的です。ただ彼女にとってその面倒だということが、嫌いという意味合いになったんだと思います。あくまで推測ですけど」
「なるほど……」
つまりはこのシーンは、昴が三綴に告白するのではなく、嫌いではないということを伝える場面なのだ。近いと言われたのが、少しだけわかった気がする。
「よし、少しできそうな気がする」
「じゃあちょっと合わせますか?」
「そうだな。頼む」
それから、二回ほどセリフ合わせをした。だがこの昴の芝居、思っている以上に難しい。
特に顕著だったのが距離感だ。最初は近い、次も近い、今度は遠すぎる。昴自身の内面はだいぶましになってきたらしいが、距離感がそれを台無しにしていると言われた。
昴は落ち着いてはいるが高校生、感情を表すのは恥ずかしいと思うはずだ。それでもそう言ったということは、三綴にたいしてそれなりに好意を持っているという証拠になる。だがそれを前面に押し出すと、昴のキャラクターが変わってしまう。かと言って押さえ過ぎると、今度はシーンとそぐわない。
難しい。難しいけど。楽しい。
いつの間にか、俺は芝居のことしか考えて無かった。最初は芝居のことから離れたくて、一人になりたくて授業をサボったというのに、今は芝居をするために授業をサボっている。
可笑しな話しだ。
だけどそうか、やっぱり俺は、芝居が好きなんだ。これだけは、欠けてはいけないんだ。
二度目のセリフ合わせが終わったところで、一息つく。同じく息を付いた花日を見て、何故か「ありがとうな」と、声に出してしまった。
彼女はよくわからず、「えっ?」と反応を返す。当たり前だ。
ただ意図せぬことだとしても、彼女は俺に、芝居の楽しさを思い出させてくれた。ただ意地でやっていたことだと思い始めていた自分の気持ちを、変えてくれた。
だからお礼を言った。伝わらなくても、伝えるべきだと思ったのだ。
「何かはわかりませんけど、どういたしまして」
ハニカミながら頭を下げる彼女に、頬が緩んだ。
何かわかんなくても、そう言ってくれるのか。優しいな、こいつ。
「……そろそろ、授業が終わりますね」
壁掛けの時計に目をやると、確かにその通りだった。できて後一回、次で終わりだ。
「次は、私に言うようにしてください」
「……わかった」
その意図は組めなかった。だけど、なんだかできそうな気がする。そんな気がしたのだ。
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