心響かせ声高く

滝皐(牛飼)

1

「何点だった?」


 俺の後ろから、そんな声をかけられた。

 二年中期の期末試験が終わり、その採点用紙が帰ってくると、当たり前のように回りではそういうことを聞いてくるやからがいる。


 きっと中には聞いて欲しくない人だっているだろうに、無神経にズケズケと人のプライバシーを暴こうとしてきやがる。


 でも答えないと、空気の読めない奴だとか、ノリが悪いだとか、そっちが勝手に聞いてきた癖に勝手幻滅されてしまうから、荒波を立てないように我慢するしかない人が多い。


 俺だってそうだ。仕事の関係上、あまり出席をしていない俺は、他のやつと比べると勉強が遅れている。自分でもそれはわかっているので、きちんと補習は受けているのだが、それでも追い付けないのが現実だ。

 先生方もわかってはくれているが、成績の基準はテストだ。そこで良い点数が取れないと、進級が危ぶまれる。


「あ~……やばい?」

「いや、俺に聞かれても……いくつだったんだよ」


 見せたくもなかったが、ここで見せないのは後々面倒になるだろうと、無言で用紙を後ろに手渡した。


「あっちゃ~。赤点か」


 この学校での赤点は25点以下のことを指す。比較的頭のレベルが低い学校だから、赤点の基準が低く設定されているが、それでも25点以下という点数はなかなか取れない。

 普通に勉強していればな。


「しゃあないでしょ。今忙しいんだろ?」

「……それなりに。今期で二本は出させてもらってる」

「すげぇ~な~。なんだっけタイトル……なんちゃら法廷?」

「血痕法廷。血の方な」

「そうそう。主人公の声が日花桜ひばなさくらがやってる」


 日花桜。売れっ子の超人気女性声優。顔だしNG、年齢不詳の今時珍しい人だけど、噂ではまだ20代そこらと言われている。


 中性的な声を駆使して、男性役もそつなくこなす技量を持っていて、主には男子高校生の役に抜擢されることが多い。

 今期やるアニメ『血痕法廷』は、高校生にして検事顔前の知識を誇る主人公『安曇あずみ』が、事件に巻き込まれていくサスペンスミステリー。俺はそれにちょい役であるが名前のある、新米刑事『烏田』の役を演じている。だがいまだに主演と共演するシーンに行っていないので、俺は日花桜を見たことがない。


 久しぶりの名前持ちだから、できればこのチャンスは逃したくない。でも……。


「なあ。今度サインくれよ、高く売る」


 何度言われたかわからない質問に、心の中で舌打ちをして「誰がやるか」と返した。

 それに今売ったところで価値はほとんどない。俺が価値が出てくるのはベテランになってから。なれるのは、最低でもあと10年はかかる。


「でも大変だな、声優と学校の両立なんて」


 ピクリと眉が動いた。

 素直にそう思ったのだろうけど、今の俺にとってその言葉は禁句に等しかった。




 俺が声優業を始めたのは実はここ最近で、中学も卒業間近といった時期だった。劇団員である父親に触発されて飛び込んだ芝居という道、小さい頃から父親が芝居をしている姿を見続けていたので、そのお陰か思ったよりも自分には才能があったらしい。


 父親の知り合いの推薦で受けた事務所のオーディションは、初めてなのにも関わらず通った。そこがたまたま声優事務所だったので、俺はなし崩し的に声優への道を進み始めたのだ。


 まあ父親と同じ舞台の道には、どうしても踏み込む気になれなかったから、将来は映像系かと思っていたところだったので、好都合ではあった。


 中学卒業と同時に事務所の養成所で勉強をすることとなったが、芝居一本の将来に些か不安を覚えた俺は、高校にも進学することを決めた。このご時世、少しでも学歴があった方が、後々に有利になるだろうと思ったからだ。だがそのことを話した瞬間。父親にあることを返された。


「お前には無理だ。芝居は辞めろ」


 何をそんな上からものを言ってるんだこの人は、とその時頭にきてしまって、売り言葉に買い言葉で言い争いとなってしまった。

 そこで俺が、「絶対に両立させてみせる! できなかったら芝居は辞めてやるよ!」と啖呵を切ってしまったのが、全ての始まりだった。


 勉強も仕事もどっちもやってやる。なんだったら大学にだって行ってもいい。そう言い放った。自分で言い出したことだし、当時の俺はそれができると、なぜか自信に溢れていた。


 しかし現実はそう甘いものではなかった。

 難しくなるカリキュラムに付いていけず、さらに勉強に集中すれば声優の方がおざなりになる。とまあ、一方を取ればもう一方が成り立たぬと、高校生活というものを侮っていた結果がここにある。


 父親もそれみたことかと、俺の顔を見るたびにそう言っているような表情をするのだ。

 それが自分のせいだとわかってはいるが、それを他人に突きつけられるのが嫌でしかたなかった。本当はこんなはずではなかったと、過ぎてしまったことを悔いた日はない。


 そしていつの間にか、右に行けど左に行けど躓き、このままでは、芝居を切り捨てなければならないところまで来てしまった。




 自分が招いた結果だとしても、苛立ちはつのっていた。ただ言った彼に悪気はないので、奥歯を噛み締めて、怒らないように耐える。


「まあな」


 耐えた結果、素っ気ない返答になってしまったが、彼は特に気にも止めず話し続けた。


「やっぱ。将来は声優を続けるのか?」


 またピクリと眉が動く。

 どうしてそう、いちいち癪に触るようなことを言うのだろうか。「さあな?」と突っぱねて、これ以上話してたら殴りかかりそうだったので席を離れた。


「おい。もう次始まるぞ」


 後ろで呼び止められるも、それを無視して教室を後にした。今は一刻も早く一人になれる空間に行きたかった。


 始業の鐘がなり、生徒が足早に教室に戻っていくのを横目で眺めながめる。


 俺は始めて、授業をサボった。

 成績底辺の人間がなにしてんだと思うが、ここまで来てしまったら、後戻りするのもなんだか格好つかないので、人がいなさそうな場所を目指し歩き出した。




 本校舎を出て、向かいにある特別校舎を目指す。特別校舎はその名前の通りに特別な教室を集めた校舎だ。美術室があったり、音楽室があったり、理科室があったりとバラエティ豊か。

 ただそのぶん使われる頻度は少ないので、たまにどこのクラスも使っていないということもあったりする。偶然にも、今がそうだった。


 音のしない特別校舎の中は、いつもと違う不穏な空気を纏っていた。誰もいないということがわかるだけで、校舎とはこれほど変わるのかと、なぜか関心してしまう。


 一先ずどこに向かうべきかは悩んだが、どうせ一人なのだから手狭な教室でも充分広いはずだと考え。現在社会教材の倉庫として使われている、地学準備室に足を運ぶ。


 二階の突き当たりが地学準備室。鍵などもかかってなかったので、すんなりと入ることができた。

 縦長の手狭な部屋は薄暗く、目を細めてようやく何がどこにあるのかがわかるくらいだった。どうやら奥が窓のようで、暗幕が掛かっているせいで光が入っていない。


 しかし倉庫と言われることだけはあって、色々な物がところ狭しと置かれている。右側の壁には本棚があり、中には分厚いハードカバーの本がぎっしりと詰まっていて、反対側には地球儀であったり、モニターがあったりと、授業で使うような小道具たちが積み上げられていた。


 そして中央には長机を二つ合わせただけのものに、背もたれもない理科室などで見かける木製の椅子。机には見たことない資料が乱雑にばら蒔かれている。


 さすがに凄いな。と変な関心をしつつ、暗幕を開けるために奥に向かおうとしたその時、あるものが目に止まり、俺は足が止まった。

 この場所にそぐわないリクライニングの椅子。別にそれがあるだけなら問題はないのだが、その椅子に一人の女生徒が気持ち良さそうに寝ていたのだ。お腹に開きっぱなしの本が置かれていたので、恐らくは寝落ちたのだろう。


 誰だこいつ?


 どうやら俺以外にも、授業をサボる悪いやつがいたらしい。見たことない顔だったので、先輩か後輩のどちらかだろう。少くなくとも二年生ではい。

 もしも一年だとしたら、随分な悪だな。なんて思いつつも、彼女の寝顔を見るとそんなことをするようには見えなかった。だがサボる以外に、わざわざ地学準備室に来る理由なんてなんだろう? 俺みたいに、一人になりたかった……とか?


 まあどうでもいいか。


 考えることを放棄して、彼女を起こさないように慎重に部屋の扉を目指す。先客がいるのにここに留まるのも、要らぬ誤解を招きそうだったので、別の教室に移動することにした。

 相手は女子だし、起きたら知らない男と一緒にいたとか、何かされたと思っても可笑しくない。


 どうか起きないように。


 心の中で呟いて、扉の取っ手に手をかける。後はもう開けるだけだったのに、その時部屋の奥からバサリと音がした。

 それが本が落ちた音だとわかると、俺は恐る恐る振り替える。先程まで寝ていた彼女が起きていた。


 大きく伸びをして、寝ていたことで凝り固まった肩や背中をほぐしている。そして勢いよく脱力すると、欠伸をしながら俺のいる方を見た。


 不味い。そう思っても動くことができなかった。もしここで不用意に部屋を飛び出せば、彼女の他に人がいたことが明確になってしまうし、最悪身元がバレて変な噂が立ちかねない。それは非常に困る。

 なので多少怒られることを覚悟で、留まることを選択した。それに話せば弁明の機会はいくらでもある。俺が知らずにここに来たことも、彼女に伝わるはずだ。


 誰かがいるということはわかったのか、彼女は手の甲で目元を擦ると、目を細めてきちんと俺がいることを確認する。そして目を大きく見開いたと思ったら、訝しげに眉を寄せた。


「……彩人あやと?」

「……え?」


 突然名前を呼ばれ、咄嗟に聞き返す。

 彼女は再度、俺の名前を言った。


片桐彩人かたぎりあやと?」

「あ……ああ。そうだが」


 なんだこの子? 俺のことを知ってるのか?


 確かに俺が声優という職業をやっていることは、大半の生徒は知っている。ただしそれは二年生の大半で、他の学年にはあまり伝わってないはずなんだが。


 もしかして、個人的にどこかで会ってるのか?


 だけどいくら記憶を巡らせたところで、彼女と会ったのは今日が初めてだった。


「ビックリした~。居るなら言ってくれればいいのに」


 椅子から降りつつ、旧知の仲のように気さくに話しかけてくる彼女に、俺は更に疑問が浮かんでいく。

 普通に近づいて来たので、手のひらでそれを制すると、彼女は首を傾げた。


「すまん。まずいいか?」

「うん。どうかした?」

「君とは初対面だよな?」


 俺の言葉に、彼女は衝撃を受けたように固まった。そして「そっか……」と呟いたかと思ったら、複雑そうな笑顔を見せてくる。


「ごめんなさい。そうでしたね、


 なんとなくだが、俺は言ってはいけないことを言ってしまったんだと悟った。


 やっぱりどこかで会ってたんだ。


 忘れてしまった自分が情けなくて、「待って、今思い出す!」と言って、頼りない頭をフルに使って思い出そうとする。だが悲しいことに、やはり思い出すことは叶わなかった。

 それでも諦め切れなかった俺だったが、彼女が「いいですよ」と気を使ってくるので、苦虫を噛み潰したような気分になりながらも諦める。


「それよりも先輩。どうしてこんなところに? 授業で使う物を探しに来たんですか?」

「いや、そういう訳じゃなくて……サボってる」

「え? もう授業中ですか!?」


 大きな声をあげてから、彼女は壁掛けの時計を見た。そして額に手を当てて、天井を仰いぐ。だが次の瞬間、「まいっか」と瞬時に切り替えを終えた。そのあっけらかんとした態度に、少しだけ感服する。


 普通はもう少し、取り乱したりするもんなんだけどな。


「私、初サボりな訳なんですが、なんかこう……」


 手で妙なジェスチャーを始める彼女。今の気持ちを言葉にしたいのに、上手く言葉が出てこない経験はよくわかる。


「ちょっと興奮しますね!」


 言葉のチョイス可笑しいぞこいつ。


 まあ初めて悪戯したときの高揚感に似ているだろう。俺も小学生の時にそうなった記憶がある。今は罪悪感の方が強いけどな。


「でも、サボるって具体的になにするんでしょうね?」


 確かに。俺もサボるのは初めてだったのでわからなかった。「大人しくしてればいいんじゃないか?」と、悪いことをしているんだから、バレないように何もしない、という選択が正しいと思った。


 だがそれが彼女には不満だったのか、「え~」と嫌な顔をされた。そして少し考えてから何か思い付いたのか、部屋の奥に戻り暗幕を開ける。光が差し込んだことで急に明るくなった部屋に、俺は目を細めた。

 そして彼女は振り返り、悪戯っぽい笑みを向けると。


「芝居しましょう!」


 そう言ったのだ。

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