参 私刑

 遠くで声がした。


「……斎藤さま! 斎藤さま、目を開けてくなんしょ! ああ……」


 驚いた。オレはまだ生きているらしい。


 体は、ぴくりとも動かない。あれだけ激しくオレをさいなんだ痛みも一切、消えた。だから死んだんだとばかり思っていた。


「斎藤さま、斎藤さま! やんだ、応えて……目を覚ましてくなんしょ!」


 時尾の声だ。遠く近く、揺らいで聞こえる。

 別の声が聞こえた。男の声だった。


「落ち着きぃや。斎藤は、ちゃんと息をしゆう。体じゅう骨が砕けるほど打たれた上、腹には銃弾で風穴を開けられたっちゅうがに、執拗しわい男じゃ」


 ぼんやりと記憶がよみがえる。


 倒幕派に降伏した後、塩川の謹慎所に送られた。皆は武器を奪われて幽閉されたが、オレはそうもいかなかった。生まれ持った妖刀、ダチは、オレの身から離れようとしない。


 手にも足にもかせを付けられて隔離されたのが初日。その格好で座敷牢に放り込まれたのが翌日。会津の山口二郎は新撰組の斎藤一だと知れたのがさらに翌日で、私刑がおこなわれたのはその晩だった。


 座敷牢のはりから下がった金具に手枷を釣られた。覆面の男が全部で十数人。言葉を聞くに、薩摩もいれば長州も土佐もいた。


 仲間や親類が新撰組に手傷を負わされたとか殺されたとか、京都で幅を利かせていたのが気に食わなかったとか、花街で女を巡る喧嘩沙汰になったのを忘れていないとか、いろんな恨みをぶつけられた。オレの身に覚えがあろうがなかろうが、関係ないようだった。


 ぎしり、と金具のきしむ音がした。


「まずはここから外してやらにゃあならん。こうしてみると、背の高い男じゃ。伊地知さん、一寸ちっくと、斎藤の体を支えゆうてくれんがか? 服が汚れてしまうけんど」

「よか。汚れやら気にせん。じゃっどん、ほんなこつわっぜか怪我じゃ。虫の息じゃっど。ああ、板垣さあ、体ごと持ち上ぐっほうが金具ば外しやすかろう」


「そうじゃな。一二の三で抱えるき」

「よし。一二の三っ」


 その途端、釣られていた両腕が、重みに任せて落ちた。肩の関節が外れるのがわかった。鈍い痺れが広がって、すぐにまた何も感じなくなる。


 床に寝かされたらしい。足に下がり切っていた血が、じわじわと戻ってくる。腹の傷がうずいた。たぶん痛い。息がうまく継げないのは、痛みのせいだろう。


 声が出ない。木刀で殴られ始めた最初は、歯を食い縛って声をこらえていた。いつの間にか声の出し方を忘れた。うめくことさえできなくなった。


 銃弾が腹の真ん中を突き抜けた。腹から五寸と離れていないところに銃口があった。傷口が熱くて、息ができなかった。私刑の狂乱に酔った連中は笑っていた。


 どくどくと血が流れ出た。流れれば流れるほど、体は冷たく重くなった。少しずつ死んでいくのがわかった。木刀で傷口を突かれても、もう痛くなかった。


 いつ私刑の連中が座敷牢を去ったのか、覚えていない。


「いきなり銃声が聞こえて、こりゃあおかしいと思うたんじゃ。昼ごろに、兵士らが新撰組の斎藤は左利きじゃっちゅう話をしゆうがが耳に入っちょったしのう」

「板垣さあから知らせば受けて、二人で様子ば見に来てみれば、案の定、蜘蛛くもの子ば散らすごつ逃げ出した連中のおった。そんときはもう、斎藤はこげん様子じゃった」


 近付いたり遠ざかったりする音の中で、不意に、時尾の息遣いが耳元に触れた。えつだった。それを押し込めるように強い語調で、時尾は言った。


「条約違反だとわかっておられるがよ? 会津藩士はあなたがたに従う。その代わり、あなたがたは会津藩士を捕虜として扱う間、決して無用の処罰を加えねえ。自分わがの名と藩の誇りに懸けて、署名して約束したではねぇかし」


 沈黙が落ちる。敵兵らしき足音がいくつか寄ってきて、それでもまだ沈黙が続く。


 馬鹿だなと時尾に告げたかった。約束を守ってもらえるほどの男じゃないから、オレはこんな目に遭った。恨まれているんだ。あんたが想像するよりもずっと深く、強く。


 意識がだんだんと、はっきりしてくる。胸の上に時尾の手のひらがある。そこから温かなものが流れ込んでくる。時尾が治癒の術を使っているらしい。


 馬鹿だなと、また言いたくなる。こんな大怪我を治すんじゃ、あんたにも負担が掛かっちまう。よせよ。放っておいてくれていいのに。


 ようやく沈黙が破られる。板垣の声は沈んでいた。


「まっこと不甲斐ないぜよ。わしらが戦に勝ったがは事実、新選組に恨みを持つ者が多いがも事実。けんど、勝者のおごりで約束を破るがは、人として本当ざまに情けない。しゅにんには必ず処罰を下す。堪忍しとうせ」


「人を疑いたくはねぇけんじょ、疑っつま。あなたがたが指図したのではねぇがよ?」

「誓ってい、わしらは関与しちょらん。信じてもらえんがか?」


じょすればわたしがあなたがたの言葉を信じられるべ? わたしの友達が何人も死んだ。お城では引っ切り無しの砲弾を浴びた。こっだ目に遭わされたら、あなたがたに人の血が流れているとは信じられねえ!」


 伊地知の声が応えた。


「戦は戦じゃ。おいどんも必死で戦うて勝たんとならんじゃった。おいどんにも人死には出ちょっど。恨みば抱くとはお互いさまじゃっどん、今回の件だけは、おいも板垣さあも嘘などついちょらん。おいと板垣さあば信じやんせ」

「斎藤さまをいたぶって殺そうとした薩摩と土佐のしゅかいが、どの口で、信じろなんて言うがよ!」


「揉み消そうち思えば揉み消せた。初めは闇に葬ろうち思うた。じゃっどん、いつかは露見する。ここで斎藤ば死なせたら、どげんしようもなか禍根がまた生まるっじゃろ。すでに深か恨みもあろうどん、これ以上深うして何になる? じゃっで、すぐ、おはんば呼んだ」


 時尾が蒼い環を持つことも知られているんだろう。オレと同じで、隔離されて監視を受けていたのかもしれない。縮地の術を使えば、幽閉なんか無意味なんだ。


 それでも自分だけ逃げ出すことは、時尾ならやらない。オレだって、逃げることも抵抗することもしなかった。オレが身勝手を起こせば、ほかの会津藩士がどうなるかわからない。


 板垣が声を上げた。


「斎藤の傷口を洗うてやるががいろう。湯とフェノールを持ってこさせる。フェノールで傷口の毒を消してやりゃあ、銃創もみゃあせん。西洋医学が怪我の治療に優れちゅうがは、わしらが体を以て実証しちゅう」


「んだなし。西洋医学が日本の医学より進んでいることは、会津でも知られている。資金さえあれば外国に学びに行きてぇと望む者も、若ぇ世代には多い。軍制も技術も思想も遅れた藩だと見くびらねぇでくなんしょ」

「会津の男が強情ながは知っちゅうけんど、女も大したもんじゃ。そう睨みなや。斎藤の介抱、女ひとりで難しけりゃあ、人手を貸すぜよ」


「人手はいらねえ。斎藤さまのお体に、あなたがたは指一本、触れんに。もしものことがあれば、わたしは環の力を爆発させる。死んでも狂っても妖に堕ちても、じょなっても構わねえ。巻き添えにできるだけみんな巻き添えにして地獄に連れていく」

「それは困るちや。互いに条約は守ろう。わしは斎藤と話をせにゃあならん。目を覚ますがを待っちゅうぜよ」


 板垣がまわりの部下にあれこれと指示を飛ばした。足音が走り去る。


 目が開かない。音だけは聞こえているのに何もできず、意識はふわふわとして頼りない。自分の体がここにあるとわかるのは、胸の上に時尾の手のひらを感じられるからだ。


 下っ端のいなくなった中で、伊地知が、ぽつりと言った。


「官軍は一枚岩ではなか。味方んごつ振る舞いよっても、こいつば出し抜きたか、あいつば打ち負かさんばならんち、腹ん中では思っちょる。こげんざまでは、戦の終わって共通の敵のおらんごつなったら、分解してしまうとじゃなかじゃろか」


「伊地知さん、何を言いゆう?」

「板垣さあも同じごつ感じちょっはずじゃ。官軍、いや、新政府は、薩長土肥の烏合の衆。どげんかせんとならん」


 それきり、板垣も伊地知も黙ってしまった。音が止むと、意識に引っ掛かるものがなくなる。オレはそのまま眠りに落ちた。

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