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壱 山間」への応援コメント


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    福島民友ニュースに興味深い記事がありました。
    ちょうど読み終えた後だったので、タイミングに驚きました。歴史は日々更新されますね。
    以下、抜粋です。

    新史料は、会津藩士の子孫が1981(昭和56)年に同市に寄贈した史料174点の中から見つかった「戦死屍取(せんしかばねとり)仕末金銭入用帳(しまつきんせんにゅうようちょう)」。会津藩が1868(明治元)年9月22日に降伏開城した後の戦死者埋葬と費用を記載している。筆者不明だが、藩士の武田源三、赤羽彦作、斎藤茂助、水野平八が鶴ケ城の城下や郊外で遺体を捜索し、64カ所に567体を埋葬したことを記す。

    野口さんは講演で「降伏の10日後には埋葬が行われていた。69年2月に阿弥陀寺への『改葬』(1281体)が始まったが、これが誤解を生んだのだろう。埋葬禁止は昭和40年代以降に言われるようになったと考えられ、史実となってしまった」と説明。

    <再返信>
    やはりご存知でしたか。
    たぶん改稿されるんだろうなあ、と思って言ってみました。

    古代も発掘物で書き換えられますから油断ならないですが、
    幕末ともなると毎日といって良いほど資料が出ますか。。。
    本当に生き物ですね。

    ファンタジー要素は苦手な人間なのですが、
    文句なく楽しませて頂いております。

    作者からの返信

    そのニュース、見ました! 埋葬禁止の噂の流布は大河ドラマ等のテレビコンテンツが原因かもしれませんね。
    当該のシーン、事実に合わせて改稿しようと思っていたところです。こういうとき、ウェブ小説は便利です。
    (2017.11.09 修正しました!)

    幕末史は生き物ですね。
    斎藤一の写真が公開されたのも割と最近だし、昨日か一昨日は大政奉還の詳細な様子が記された資料が公開されていました。
    新撰組に詳しい人から聞いたのですが、小さな事柄も含めれば、毎日のように新たな資料が出てくるのだそうです。

    古い時代の資料の量とは比べ物になりませんね。
    幕末って、写真が残っているんですよ。顔も服装もわかるんですよ。欧米からの舶来品すごい!
    その資料の豊富さに最初は驚きましたが、戦時中をやってみたら更に膨大な量の資料を相手にすることになって目が回りました。

    編集済