六 斎藤一之章:Survival 敗残兵
壱 山間
鶴ヶ城に降伏の白旗が掲げられてから半月が過ぎた。
オレはまだ戦っている。
鬼佐川こと佐川官兵衛は、鶴ヶ城の降伏を知っても戦闘の続行を決めた。オレも望むところだった。
「会津が敵に頭を下げなければならない理由がわからない」
「んだ、斎藤の言うとおりだ。敵は官軍を名乗っているけんじょ、やっていることに正義は一つもねえ。
鶴ヶ城の南方七里、大内宿。ここがオレたちの最後の砦だ。
若松から大内宿までの街道は両側に山が迫っている。大内宿も、山に囲まれた狭い平地に建つ村だ。地の利を活かせば、自軍の五倍、十倍の敵を相手取っても勝利できる。
山間の街道を、大勢では攻めてこられない。オレたちは左右の高台に分かれて待機し、敵の通過を観察。時宜を逃さず、大軍で包囲しているかのように大声を発して
破った敵を捕虜として扱うための人手も場所も食糧もない。だから必ず殺し、食糧も
「いつ終わるんだろう?」
オレがつぶやいたのは
「幽閉された殿をお救いしてえ。敵の
「これ以上寒くなったら、どうなる? 雪が積もったら?」
「さて。三日先のことはわかんねぇな。一日ずつ生き抜くしかねえ」
冬十月の初旬。朝晩は、家の中にいても息が白い。綿入れの着物なしには体が冷えて敵わないから、佐川隊の全員ぶんを大内宿の女たちに縫わせた。
大内宿が倒幕派の占領下にあったとき、村人は連中を「官軍」と呼んで命令に従っていた。そうしなければ命がなかった。佐川隊が大内宿を奪い返すと、村人はオレたちに恭順した。佐川隊のほうがはるかにましだと、オレにこぼした女がいた。
「会津の武士は、米だ酒だ人手だ
大内宿は農村だが、れっきとした宿場でもあり、大名や旗本の宿泊の世話をもする。代々大切にしてきた宿帳や日記は、この戦のために失われたという。履き心地の柔らかい紙
ふと、
「斎藤さん、客だ。斎藤さんでねぇと用件を話さねぇずって、だんまりを決め込んでっから、構ってやってくれっかし」
「客? オレにか?」
眠っていたはずの鳩が首をもたげた。知った人間が来たとでもいうのか。まさか時尾か? オレは急いで襖を開けた。
会津藩士に連れられて立っていたのは、違った。時尾ではなかった。
時尾の弟の
「山口さま、お久しぶりだなし。無事にたどり着けてよかった」
佐川さんがオレの体越しに盛之輔と健次郎の姿を認めた。
「おう、
「高木盛之輔と申します。白虎隊では幼少組で、お城の見回りや伝令を務めていました」
「同じく白虎隊幼少組の山川健次郎です。私は、お城では兄の
「小十郎どのの
盛之輔と健次郎は腰を落ち着けるのもそこそこに、畳んだ白い布を取り出してオレに押し付けた。
「何だ、これは?」
オレの問いに健次郎が答えた。
「容保さまからお預かりしてきました。佐川官兵衛さまと山口二郎さまのご両名に、しかとお届けするようにと」
佐川さんが飛び上がった。
「殿から、おれたちに? なぜ
少年二人は代わる代わる言った。
「私と盛之輔さんは、敵軍の頭に会うために猪苗代の謹慎所を抜け出しました。会津藩士を囚人扱いしねぇでほしい、殿たちのお命を奪わねぇでほしいと直接訴えたかったのです」
「おらも健次郎さんも、つかまって処刑されるのを覚悟で若松に入りました。あちこちに死体が転がったままでした。埋葬が間に合わねぇほど
「私たちはつかまりませんでした。洋装をした土佐の武士に見付かったけんじょ、私たちは白虎隊の隊士だと名乗って会津の救済を訴えたら、心に留めておこうと言って見逃してくれました」
「あのときは拳銃を向けられていたから、生きた心地もしねかった。土佐の男が、殿は妙国寺におられると教えてくれました。その男が見張りの気を引くうちに、おらたちは妙国寺に忍び込みました」
「殿も照姫さまも若殿も、お変わりありませんでした。猪苗代の皆は
「戦いを続けておられるのは、佐川さまの隊だけです。百人に満たねぇ兵力だと聞きました。敵軍の兵力をご存じかし? お城を包囲して毎日二千発の大砲を撃ってきた敵は、二万人を超えていました」
佐川さんが拳で畳を打った。
「わかっている! 兵力の差は
健次郎は、オレの手から白い布をひったくった。
「殿も私たちも敵に義があるとは
健次郎が広げた布は、ただ白いのではなかった。二文字、美しく実直な筆跡で記されていた。
降伏。
容保公の字だ。降伏の白旗に包まれていたものが落ちて、小さな音を立てた。反射的に拾う。守り袋だった。
佐川さんが、ぎょろりとした目を呆然と見張った。
「殿が、白旗を、おれたちに……」
盛之輔が、降伏の二文字を見つめている。
「お城に掲げた白旗は、いまっと大きかったなし。照姫さまが音頭を取って
「降伏の儀?」
「山口さまは、うかがってねぇかし? あの日、お城のすぐ北に敵が陣を張りました。土佐、薩摩、長州、肥前、佐土原、大垣、佐賀、岩国、尾張、ほかに何十もの藩の家紋の旗が立っていた。そっだ中で殿はひざまずいて、降伏と謝罪を述べられました」
「ひざまずいた? 敵軍の頭は、板垣や伊地知だ。あいつらはただの上士で、藩主でも何でもない身分なのに」
盛之輔が静かな顔でオレを見上げた。
「殿はおらたちにも頭を下げて、全部、話してくだせぇました。京都守護職の任を受けたときから今まで、何をお考えだったか。そして、降伏しようと思うがどうだろうかと訊いてくださったなし」
「それじゃあ、皆、降伏に納得したのか?」
「みんなが納得したのではねぇです。腹を切った人もいました。だけんじょ、お城に
健次郎が拳を固めた。
「私の妹は爆発に巻き込まれて大怪我をしました。兄嫁は弾の火消しに失敗して腹の下で弾が破裂して、体ん中めちゃくちゃに潰れて、血を吐いて死にました。死体はお城の空井戸に投げ込んで墓の代わりにしました。人が人でなくなっていくみてぇでした」
盛之輔や健次郎と最後に会ったのは一箇月半前だ。オレにとって、あっという間の一箇月半だった。戦果を挙げなければ、もっと勝たなければと焦るうちに、時は飛ぶように過ぎていた。
けれど、盛之輔や健次郎の顔付きは、たった一箇月半で様変わりしている。痩せて頬がこけただけじゃない。両目は乾いて、強く光っている。子どもじみた甘さが削ぎ落されて、前髪姿がおかしいくらいだ。
「盛之輔、健次郎、会津公はオレたちに何と?
オレが問うたときだった。オレの手の中で、ぱちりと音がした。途端、左手の甲の環が熱を持つ。この世のものならぬ力が動いたらしい。
白旗に包まれていた守り袋が力を発する。赤い
同じ光景を知っている。誠の一文字の
誰かが来る。
「斎藤、
唐突に、そこに立っていた。
「どうやら成功したようだ。佐川官兵衛、斎藤一、久しいな。大きな怪我もないようで、何よりじゃ」
容保公が微笑みを浮かべて立っていた。
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