肆 甜血
俺は九尾を打ち振るい、跳ね起きて刀を抜いた。
刀が軽い。体が軽い。地を蹴って飛び出す。吠える妖に、横
たやすい。紙人形でも破るかのように。虫でもひねり潰すかのように。
力があるってのはこういうことか。斎藤、妖刀の力を解き放つときのおまえには、こんな景色が見えていたのか。
巨大な力が体に満ちている。頭のてっぺんからつま先まで、すべてが己の意のままに動く。今の俺なら何でもできる。
「暴れてやるぜ。妖ども、俺の新撰組を襲おうとしやがったことを地獄で悔いろ!」
上段から振り下ろし、老いた妖の頭蓋をかち割る。振り向いて、大柄な妖に刺突。
妖の腐りかけた血が雨と降る。足蹴にするだけで、肉の削げた妖の体に穴が空いた。倒れたところを踏み付ける。肺腑も心臓も胸郭ごと、ぐしゃりと潰れる。
「
俺は笑う。
力がほしいと思い続けてきた。剣を操る力、火砲を指揮する力、組織を動かす力、人を率いる力。今の俺に足りないものは何なのかと問い続け、求め続け、少しずつ一つずつ手に入れてきた。
何を呑気なことをしていたんだろう? もっと早く、俺は強くなるべきだった。赤い環の力があれば、こんなにも簡単に敵を滅ぼせるじゃないか。皆を守れるじゃないか。
わらわらと群がり寄る妖を斬撃の下に沈める。なおもつかみ掛かってくる者は、逆に首をつかむ。そのまま引き千切る。
血臭と腐臭がひどく甘い。喉の渇きを覚え、血濡れた手を舐める。
甘いが、いくらか渋くて苦い。やはり、死んだばかりの女の血のほうが圧倒的にかぐわしかった。
「かぐわしい……竹子の、血の味?」
「浴びてしもうただけじゃ。好きで吸うたのではないわ。しかしながら、あの甘さ、忘れられなんだ」
腹か胸か頭の内側で、シジマが舌なめずりをした。
俺は、まだしも腐食の進んでいない女の妖をとらえ、はだけた胸元に食らい付く。薄い肉を噛み千切り、心臓を舐める。
「こいつも駄目だ。もっと甘いのがほしい。新鮮な心臓を食いてえ」
「欲を抑えよ。理性の失せた妖になど堕ちとうはあるまい。人ならぬ身の我とて、人を食らうはおぞましいと思う。歳三、血に酔うてはならぬ。気を確かに持て」
俺の内側から俺を照らす金色の目が静かに
すっと波が引いた。
俺は女の妖の死体を捨て、口を拭い、あたりを見渡した。いつの間にか
寺の講堂で倒れていた面々が、はっと身を起こした。島田さんが慌てて、手近な明かりを掲げる。
「土方さん、無事か? 全部倒したのか?」
「ああ、俺は何ともない。島田さんは何も見なかったか?」
俺の問いに、島田さんは困惑の表情を浮かべた。
「見てはいけないものがあったのか? 幸か不幸か、土方さんが刀を抜いてすぐに篝火が倒れて、ほとんど真っ暗だったよ」
「そうか。だったら、別にいい」
血に飢えた俺の顔も姿も、島田さんたちは見なかった。俺は息をつき、寺へと歩み寄る。俺が近付くにつれ、皆が俺の姿を認め、愕然と目を見張った。
頭の上に突き出た獣の耳と、軍服の布地を透かして豊かに広がる九尾。両目もきっとシジマと同じ金色に変じているだろう。舌先でたどる歯は異様に尖っている。
「どうした? 俺が怖いか?」
笑ってみせる。心臓は嫌な音を立てて高鳴っていた。
へなへなと座り込んだ島田さんが、俺に笑い返した。
「何を今さら。化け狐の耳と尻尾がどうしたってんだ」
「禁忌に手を出しちまった」
「土方さんが何をしたか、見えなかった。声は少し聞こえたがな。それでも、ふさふさした耳や尻尾なんか生やした今の格好より、不機嫌な青い顔で押し黙っているときのほうがよっぽど怖いよ。なあ、皆もそう思うだろう?」
本当ですよ、と古参の隊士が膝を打った。安心して気が抜けた、と誰かが笑い出した。笑いは伝播する。
何はともあれ俺はこいつらを守ることができたのだと、俺は唐突に強く実感した。
「皆が無事なら、それでいいんだ。妖の死体がそこらじゅうに転がってるんじゃ気味が悪いかもしれねぇが、明日に備えて休んでおけ」
隊士一同、おうと声を上げて俺に応えた。普段と何ら変わらない。
俺の体の内側で、シジマが俺に問うた。
「そろそろ外に出てもよいか? 窮屈じゃ」
「ああ。俺も少し疲れた」
「少しどころではあるまい。人間の肉体は脆いと留意せよ。汝《なんじ》も、肉体は人間よ」
「そうか。化け物みてぇな暴れ方を覚えても、俺はまだ人間でいられるんだな」
体じゅうから血の匂いがする。酔ってしまいそうだった。裏の井戸で体を清めるからと断って、俺は場を後にした。
ひょいと俺の体から跳び下りたシジマが東の空を仰いだ。
「夜が明けるぞ」
人の目に戻ってぼやけた視界に、すがすがしい光が満ちる。ほう、と吐き出した俺の息は温かく、深まる秋の冷えた朝の空気の中に白く
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