伍 艦隊

 奥羽における一連の戦が終息したのは、九月二十四日のことだった。その日、最後まで抵抗の意志を見せていた庄内藩が倒幕派に降伏した。


 会津藩の降伏はそれより二日前、九月二十二日だった。仙台藩はさらに四日前の二十日。


 以前「かたもり公の首を差し出せ」との要求を突き付けたことのある倒幕派だが、戦後の講和では「相応の地位にある責任者に腹を切らせよ」との条件に落ち着いた。命を以て敗戦の責を負うのは、藩主やその家系に連なる者ではなくてもよい。


 会津藩では家老のかやごんのひょうが腹を切るらしい。中野竹子に従軍を許した男だ。そのほかのとしかさの家老は、すでに戦死したか自害したか追放されたかで、会津に残っていない。


 斎藤は生き延びただろうか。もりすけや健次郎は無事だろうか。鶴ヶ城にこもった者たちはこれからどうなるのか。


 知己の安否もつかめないまま、俺たち新撰組は奥羽の地を離れる。


 未練は捨てよう。迷いがあってはならない。吐き捨てるように俺は言う。


「奥羽の戦は、なるようになったというところだな。負けるべくして負けた。会津と奥羽諸藩の劣勢は引っ繰り返しようもなかった」


 軍艦の船室で俺と差し向かいに座った男、幕府海軍の副総裁、えのもとたけあきおおなほど深くうなずいた。


「奥羽諸藩の軍事力じゃあ、洋式の軍制と武器を取り入れた倒幕派には太刀打ちできなかった。一月近くもろうじょうした若松はよく耐えたと言いてぇところだが、しかしねえ、どうにもむなしさを覚えちまうな」

「榎本さんは鶴ヶ城にも手紙を送っていたんだろう? 海まで出てきてくれれば、軍を合してに新しい国を造り、倒幕派を迎え撃てると」


「駄目でもともとの誘いじゃああったがね。会津の武士はいい。忠誠心あふれる、頑固で不屈な会津士魂こそ日本の侍のあるべき姿だ」

「そうだな。会津の武家は、女も子どもも見事な武士だ」


「とまあ、語りゃあ抜群に格好いい会津の武士だが、私じゃ務まらねぇな。どうもあの人たちゃあ難しかねぇかい? あの義理堅さ、嫌いじゃあないんだがねえ」


 江戸っ子の榎本さんは、洋装の俺が言うのも何だが、見事なまでの西洋かぶれだ。洋装に短髪はもちろん、口ひげまで西洋人のように整えている。着込んだ金ボタンの軍服も、西洋の海軍の士官服を忠実に真似たものらしい。


 榎本さんと初めて会ったのは今年の一月、大坂でのことだ。俺より二つ三つ年下と聞いたが、巨大な船を何隻も引き連れた西洋帰りの洒落じゃれた男に、俺はひそかに圧倒された。軍艦、大砲、電信。俺が持たないものを、榎本さんはやすやすと使いこなしている。


 俺は榎本さんの目を見据えた。


「これから冬が深まれば、蝦夷地は雪に閉ざされて、戦どころじゃなくなる。倒幕派が再び戦を仕掛けてくるのは、来年の夏になるだろう」

「来なくてもいいんだがなあ。よい越しの喧嘩を次の昼にまたおっ始めるような真似は野暮ってもんだぜ」


「残念ながら、薩摩や長州、土佐くんだりから繰り出してきた連中には、江戸の洒落っ気が通じねえ。俺たちも相手をしてやるしかねぇだろうよ」

「いいねえ、土方さん、その喧嘩っ早そうな顔付き。まあ、そういうこった。冬の間にじっくりと案を練っておこうじゃねぇか。蝦夷地ははこだてりょうかくが、私ら幕府軍の新たな城だ。来年の夏、西国の田舎侍どもを、ぱあっと盛大に歓待してやろう」


 榎本さんは大口を開けて笑った。俺もつられて笑う。


「夏祭の話でもしているみてぇな口振りだ」

「祭でいいだろう。大砲と花火は親戚だ」

「違ぇねえ」


 冬十月、榎本さん率いる幕府艦隊と合流した俺たち新撰組は、仙台からいしのまきを経て、北へ向かう船上にある。


 俺はたびたび榎本さんに呼ばれ、私室を訪れる。榎本さんの私室は操舵室に程近く、壁越しにも天井越しにも人の行き交う気配が感じられる。


 洋上で過ごすこと数日、俺は船の独特な匂いにへきえきしている。潮の染み入った木と、木の腐敗を防ぐ塗料と、蒸気機関に差す油の混じった匂いだ。甲板の下にある狭苦しい船室は当然ながら窓もなく、船の匂いに人の体や汗の匂いまで混じっていて耐えがたい。


 榎本さんの船団を幕府艦隊と呼ぶのは、おそらく正確ではない。榎本さんは、同志二千人ほどを連れて江戸湾の品川港を脱走してきた身の上だ。


 脱走しなくては食いがなかったのだと、榎本さんは言った。


 ちょうど一年前の十月、幕府は政権を朝廷に返還した。今年に入って三月には江戸城を明け渡し、慶喜公は駿すんに移り住むこととなった。


 慶喜公の駿府移封を受けて困惑したのが、江戸城勤めの幕臣だ。江戸が倒幕派の根城になれば、働き口を失ってしまう。


 榎本さんは江戸の幕臣連中に声を掛けた。路頭に迷うくらいなら、いっそ蝦夷地に移り住んで開拓し、新天地を築いてやろうじゃねぇか。


 これに賛同した幕臣は二千人。俺たちのように仙台で榎本さんに合流した者を含めると、蝦夷地へ向かう艦隊にはおよそ三千人が乗り組んでいる。アメリカやオランダに発注して造られた軍艦と輸送船は、合わせて九隻。


「つくづく思うが、戦なんてのは綺麗事じゃねぇんだな」

「どうした、土方さん?」

「正義だ理想だ改革だとご大層な旗印を掲げたところで、そんなものは結局、地に足の付かねぇ格好つけに過ぎねぇよ。戦に身を投じる者の九割九分九厘は、戦わなけりゃ居場所や食い扶持がねえってだけさ」


「まったく以てそのとおり。しかし、さいは投げられた」

「賽? どういう意味だ?」

「大昔、ヨーロッパの戦でそう叫んだ軍人がいたのさ。もう賽は投げられたんだ。丁と出るか半と出るか、賭けに乗らにゃあ仕方がねえ」

「西洋の格言か。その軍人は賭けに勝ったのか?」


「さて、話の細けぇところは忘れちまった。しかしまあ、私らが賭けに負けた日にゃあ、武士なんぞ辞めっちまえばいいのさ。蝦夷地で畑を耕すなり本を読むなり、のんびりして生きりゃあいい。そうだろう?」


 なるほどと相槌を打ってみせながら、俺は胸中を静かに凍らせた。悪いが、榎本さん、おまえさんの提案に乗るつもりは一切ない。


 俺が武士を辞めるときは、生きることをやめるときだ。


「さて、俺はそろそろおいとまする」

「そうか。また折を見て、蝦夷地に到着した後のことを話してぇんだが」


「箱館に駐留する倒幕派を追い出すための作戦会議になら応じる。が、国の真似事をして役職を割り振ろうって話には呼ばないでくれ。柄じゃねえ」

「柄だと思うぜ? 土方さんには陸軍の総大将を頼みてぇんだよ。役者も真っ青の男前が肩で風切って陣頭に立ってくれるだけで、全軍の士気が上がるってもんだ」


 俺は黙って微笑んで、榎本さんの船室を後にした。

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