伍 艦隊
奥羽における一連の戦が終息したのは、九月二十四日のことだった。その日、最後まで抵抗の意志を見せていた庄内藩が倒幕派に降伏した。
会津藩の降伏はそれより二日前、九月二十二日だった。仙台藩はさらに四日前の二十日。
以前「
会津藩では家老の
斎藤は生き延びただろうか。
知己の安否もつかめないまま、俺たち新撰組は奥羽の地を離れる。
未練は捨てよう。迷いがあってはならない。吐き捨てるように俺は言う。
「奥羽の戦は、なるようになったというところだな。負けるべくして負けた。会津と奥羽諸藩の劣勢は引っ繰り返しようもなかった」
軍艦の船室で俺と差し向かいに座った男、幕府海軍の副総裁、
「奥羽諸藩の軍事力じゃあ、洋式の軍制と武器を取り入れた倒幕派には太刀打ちできなかった。一月近くも
「榎本さんは鶴ヶ城にも手紙を送っていたんだろう? 海まで出てきてくれれば、軍を合して
「駄目でもともとの誘いじゃああったがね。会津の武士はいい。忠誠心あふれる、頑固で不屈な会津士魂こそ日本の侍のあるべき姿だ」
「そうだな。会津の武家は、女も子どもも見事な武士だ」
「とまあ、語りゃあ抜群に格好いい会津の武士だが、私じゃ務まらねぇな。どうもあの人たちゃあ難しかねぇかい? あの義理堅さ、嫌いじゃあないんだがねえ」
江戸っ子の榎本さんは、洋装の俺が言うのも何だが、見事なまでの西洋かぶれだ。洋装に短髪はもちろん、口
榎本さんと初めて会ったのは今年の一月、大坂でのことだ。俺より二つ三つ年下と聞いたが、巨大な船を何隻も引き連れた西洋帰りの
俺は榎本さんの目を見据えた。
「これから冬が深まれば、蝦夷地は雪に閉ざされて、戦どころじゃなくなる。倒幕派が再び戦を仕掛けてくるのは、来年の夏になるだろう」
「来なくてもいいんだがなあ。
「残念ながら、薩摩や長州、土佐くんだりから繰り出してきた連中には、江戸の洒落っ気が通じねえ。俺たちも相手をしてやるしかねぇだろうよ」
「いいねえ、土方さん、その喧嘩っ早そうな顔付き。まあ、そういうこった。冬の間にじっくりと案を練っておこうじゃねぇか。蝦夷地は
榎本さんは大口を開けて笑った。俺もつられて笑う。
「夏祭の話でもしているみてぇな口振りだ」
「祭でいいだろう。大砲と花火は親戚だ」
「違ぇねえ」
冬十月、榎本さん率いる幕府艦隊と合流した俺たち新撰組は、仙台から
俺はたびたび榎本さんに呼ばれ、私室を訪れる。榎本さんの私室は操舵室に程近く、壁越しにも天井越しにも人の行き交う気配が感じられる。
洋上で過ごすこと数日、俺は船の独特な匂いに
榎本さんの船団を幕府艦隊と呼ぶのは、おそらく正確ではない。榎本さんは、同志二千人ほどを連れて江戸湾の品川港を脱走してきた身の上だ。
脱走しなくては食い
ちょうど一年前の十月、幕府は政権を朝廷に返還した。今年に入って三月には江戸城を明け渡し、慶喜公は
慶喜公の駿府移封を受けて困惑したのが、江戸城勤めの幕臣だ。江戸が倒幕派の根城になれば、働き口を失ってしまう。
榎本さんは江戸の幕臣連中に声を掛けた。路頭に迷うくらいなら、いっそ蝦夷地に移り住んで開拓し、新天地を築いてやろうじゃねぇか。
これに賛同した幕臣は二千人。俺たちのように仙台で榎本さんに合流した者を含めると、蝦夷地へ向かう艦隊にはおよそ三千人が乗り組んでいる。アメリカやオランダに発注して造られた軍艦と輸送船は、合わせて九隻。
「つくづく思うが、戦なんてのは綺麗事じゃねぇんだな」
「どうした、土方さん?」
「正義だ理想だ改革だとご大層な旗印を掲げたところで、そんなものは結局、地に足の付かねぇ格好つけに過ぎねぇよ。戦に身を投じる者の九割九分九厘は、戦わなけりゃ居場所や食い扶持がねえってだけさ」
「まったく以てそのとおり。しかし、
「賽? どういう意味だ?」
「大昔、ヨーロッパの戦でそう叫んだ軍人がいたのさ。もう賽は投げられたんだ。丁と出るか半と出るか、賭けに乗らにゃあ仕方がねえ」
「西洋の格言か。その軍人は賭けに勝ったのか?」
「さて、話の細けぇところは忘れちまった。しかしまあ、私らが賭けに負けた日にゃあ、武士なんぞ辞めっちまえばいいのさ。蝦夷地で畑を耕すなり本を読むなり、のんびりして生きりゃあいい。そうだろう?」
なるほどと相槌を打ってみせながら、俺は胸中を静かに凍らせた。悪いが、榎本さん、おまえさんの提案に乗るつもりは一切ない。
俺が武士を辞めるときは、生きることをやめるときだ。
「さて、俺はそろそろお
「そうか。また折を見て、蝦夷地に到着した後のことを話してぇんだが」
「箱館に駐留する倒幕派を追い出すための作戦会議になら応じる。が、国の真似事をして役職を割り振ろうって話には呼ばないでくれ。柄じゃねえ」
「柄だと思うぜ? 土方さんには陸軍の総大将を頼みてぇんだよ。役者も真っ青の男前が肩で風切って陣頭に立ってくれるだけで、全軍の士気が上がるってもんだ」
俺は黙って微笑んで、榎本さんの船室を後にした。
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