漆 白鳩

 雲一つない夏空から鳥の羽ばたきが降りてきた。白いはとだ。脚に手紙がくくり付けられている。


 オレは鳩に腕を差し出した。鳩は腕には止まらずに、肩に降り立ってオレに頬ずりする。鳩の体をそっと押さえて、オレは手紙をほどいた。


 京都にいたころから懐いていた鳩は、オレが江戸から宇都宮、会津、そして白河へと転戦しても、迷わずオレに手紙を届ける。鳩が賢い鳥なのか、こいつが特別に賢いのか。


 江戸からの手紙が来るたびに、開くのが怖い。覚悟はできていると幾度も自分に言い聞かせて、ようやく文字に目を通す。


 訃報だった。江戸はせんの植木屋にかくまわれた沖田総司が、五月三十日、息を引き取った。享年二十五。


 天才の剣、猛者の剣とうたわれた凄腕がろうがいのために病み付いて、そのまま弱って死んだ。戦場で死なせてくれと、熱にうかされたうわごとが耳に残っている。


「斎藤さま、じょしたがよ?」


 呼び掛けられて振り返る。時尾は、何かを予感した顔をしていた。オレは事実だけを告げた。


「沖田さんが死んだそうだ」


 時尾は顔を伏せた。小さな唇が動くのが見えた。声は聞こえなかった。


 オレは空を仰いだ。戦の日々のなかにあって、ひどく静かな時間がたまに訪れる。今がまさにそうだった。なすべきこともなく、ただ、やるせなさに呑まれる。


 白河街道、しろ宿じゅくなわしろの南にあって、白河の北のかた約十里に位置する。白河から撤退したオレたちは、軒を連ねる宿屋に分かれて駐屯している。


 オレが寝泊まりする宿屋は格式が高いらしい。せいどうとうげを借景にするこの庭は、ちょっとした名所だそうだ。


 だったら何だ、と言いたくなる。物見遊山に来ているわけじゃない。

 オレたちは白河奪回を目指すとしながら、ろくな手立てを打てずにいる。


 小丸山で伊地知と対峙したあの日、五月一日。夕暮れ時を待たずして、白河は倒幕派の手に奪われた。


 後にわかったことによると、倒幕派の軍勢はわずか七百だった。対する会津藩連合軍は二千五百の兵力を擁していたのに、大敗。七百人以上の兵士が命を落とした。


 耳元で鳩が喉を鳴らした。オレは鳩の体に手のひらを添えてやる。鳩は甘えるように、オレの指をついばんだ。


「オレが怖くないのか?」


 問うてみても、鳩は首をかしげるだけだ。

 時尾がおずおずと近付いてきた。隣というには遠いところで立ち止まる。


「鳩さんには、斎藤さまのお人柄がわかってんだべし。おっかねぇお人ではねえ、と」


 時尾の声は涙に震えていた。思わず顔を見ると、潤んだ目で微笑んでいた。


「沖田さんのこと、つらいか?」

「はい。だけんじょ、斎藤さまのほうがきっと、お苦しいべし。子どものころから同じ道場に通う仲間で、京都でもずっと一緒で……わたしにとっての八重さんのようなお人だ。そっだ大事な仲間が、亡くなっつまったら……」


 こらえ切れなくなったように、時尾は口を押さえて下を向いた。小さな肩、地味な小袖、擦り傷の残る手、宿場の髪結いがこしらえたおんなまげ


「泣くな」

「はい……申し訳ごぜぇません」

「違う」


 謝らせたいんじゃない。責めているわけでもない。


 オレは鳩を抱えて、時尾の肩に載せた。鳩はオレを見て時尾を見て、時尾の腕と胸の間に、すとんと収まった。うつむいたままの時尾が微笑んだ。頬を涙が伝って落ちた。


 短い間、黙っていた。


 せみの声が急に耳に迫ってきた。晩夏とはいえ、京都の蒸し暑さに馴染んだ体に、奥羽は涼しい。


 時尾が小さく鼻をすすって顔を上げた。


「斎藤さま、怪我や火傷の具合あんべじょだべし? 弥曽さんが、肩や二の腕の傷が痕になるのではねぇかと心配していました。治りが遅ぇようなら、わたしが施術するけんじょも」

「さすけねえ。おおだ」


「また斎藤さまは『さすけねえ』なんて。島田さまも心配しておいでだなし」

「島田さんこそ重傷だろう。あんたの術がなければ死んでいた」

「だけんじょ、斎藤さまはいつもいちばん危険な任務を引き受けて、何度も死にそうな目に遭って、怪我だらけで」


 時尾が口を閉ざした。時尾の視線を追うと、弥曽が庭に出てきたところだった。


「山口さま、傷にお薬を塗って差し上げます」


 ため息が出た。


「いらん世話だ」


 独り言を時尾に聞かれた。時尾はかぶりを振って、声を潜めた。


「そっだこと口にしたら、弥曽さんが傷付きます。お世話してもらえばよかんべし。弥曽さんは気立てのいい美人だと、会津でも評判が高ぇのですよ」

「気立てがいい? お節介が過ぎる。オレが間違いでも起こしたらどうするつもりだ?」


 時尾が息を呑んだ。じっと見られて、ばつが悪くなる。オレは時尾の腕から鳩を抱き上げた。くるくると鳴く鳩を自分の肩に載せて、時尾にも弥曽にも顔を向けずに告げる。


「鳩に何か食わせてくる」

「山口さま、そっだら、わたくしが台所に行って何かいただいてきますから」

「いい。一人にしてくれ。古馴染みの仲間が死んだんだ」


 嘘ではない。が、胸が鋭く痛んだ。沖田さんを出汁だしにするなんて卑怯だ。


 オレは足を速めた。どんなに急いだって、気まずさや胸の痛みから逃げ出せるわけでもないのに。

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