弐 緒戦

 倒幕派との間に戦端が開かれたのは、それから五日後の明け方だった。うるう四月二十五日。場所は、白河城の南西一里半に位置する白坂口だ。


 新撰組が、その白坂口を守っていた。


 街道を挟んで両側はうっそうとした小山だ。兵を左右に分けて待機すること三刻。倒幕派は薄い朝霧にまぎれて、オレの分隊へと奇襲を掛けてきた。


「斎藤の読みが当たったな」


 島田さんが、木立を盾に銃弾をやり過ごしながら笑った。オレはうなずく。


 上方から挟撃してくれと言わんばかりの街道を、倒幕派が突っ切ろうとするはずもない。伏兵がいると山を張って、左右どちらかの隊の背後を突こうとするだろう。オレが警戒を命じたのは、街道ではなく小山の側面からの奇襲だった。


 敵の兵力は、銃撃の規模から図るに、二百かそこらだ。銃声が聞こえれば、向かいの小山の分隊がすぐに応援に来る。連携の手筈は幾とおりか想定して、班長格の隊士に叩き込んでおいた。


 霧を透かして確認する。敵との距離、おそらく二町ほど。オレたちが装備するゲベール銃の射程内だ。


「構え!」


 地面に伏せ、あるいは木から半身を出して、一斉に敵へ銃口を向ける。


「撃て!」


 乾いた銃声が重なる。敵陣から悲鳴が聞こえた。と同時に、飛んでくる銃弾の層が厚くなる。闇雲な威嚇射撃から、的を絞った攻撃に変わったようだ。


「構え! ひるまず撃て! 敵も大砲を持っちゃいない! 怯まず撃て!」


 兵をしっしてオレも撃つ。弾を込める隙に島田さんが撃つ。狙いなんか付けたって仕方がない。支給された銃は、前に飛ぶだけで御の字の旧式だ。


 たちまち怪我人が出る。うめきながら弾を込める隊士のはかまが見る間に赤く染まる。


 敵陣のほうが低い位置にある。次第に立ち込めた霧がそこによどんだ。見下ろすオレたちにはどうにか人影がわかるが、敵は完全に視界を閉ざされているだろう。


「今のうちに畳み掛けろ!」


 怒鳴る喉に火薬の匂いが染みる。


 野戦の指揮は初めてだ。そもそも百人を超える兵を指揮することが初めてだ。白河に来たのも初めてだ。山にって襲撃する作戦を立てたのも初めてだ。


 けれど、戦況が読める。銃声と怒号の中、声を張って命令を飛ばしながら、すぅっと静かな場所にオレはいる。


 伊達だてに五年間、京都で戦闘に明け暮れていたわけじゃない。知恵も勘も身に付いている。 どこに潜んで敵を待ち受けるべきか。どんな場所でなら、数で勝る敵と渡り合えるか。初めて見る地形に、知っている何かが重なる。


 考えるより先に体が動く。喉から声が飛び出して、軍勢がオレの指揮に従う。


 わあっとときの声が上がった。街道向かいの小山から応援部隊が到着したんだ。敵は横合いからのただ一度の斉射に浮足立って逃げ出した。


「尻に撃ち込んでやれ!」


 銃声、悲鳴、銃声、銃声、銃声。霧の中に敵軍が消える。応援部隊がオレの隊へ合流する。興奮した顔ぶれを前に、オレは即座に命じた。ここは勢いに乗ずるべきだ。


「島田さん、二班を率いて負傷者の介抱と、敵が捨てていった武器の回収を」

「承知!」

「一班、三班、四班はオレに続け。追撃する。全員は殺すな。捕縛して情報を引き出す。行くぞ!」


 おうッ、と声が上がった。オレは先陣を切って駆け出す。


 昇り始めた朝日が、逃げ散る敵軍を照らす。南への退路は突如、朝日を背にした砲撃によって阻まれる。近くに駐屯していた会津藩士が駆け付けたらしい。


「会津軍に遅れるな! オレたちも手柄を重ねるぞ!」


 兵に発破を掛ける。おかしなもんだ。こんなにやすやすと言葉が口から出るなんて、常日頃のオレにはあり得ない。


 オレの体に誰かが乗り移っているんだろうか。例えば近藤さん。それとも、土方さんの生き霊か。いや、何だっていい。勝てりゃいい。兵を死なせずに済めばいい。倒幕派から会津を守れればいい。


 いまだに敵を「倒幕派」と呼び続けるこっけいさに、ふと思い至る。


 徳川宗家は半年以上も前に政権を天皇に奉還した。慶喜公は将軍職も辞した。つまり、徳川幕府はもう倒れている。新撰組や会津軍をひっくるめて幕府軍と呼ぶが、それもまた本当は滑稽だ。


 じゃあ、互いを何と呼べというんだ?


 敵は「官軍」を名乗っている。「ぞくぐん」とおとしめられるオレたちが、連中の呼び名に従えるはずもない。敵をさっちょうくくって呼ぶのも、そろそろ無茶だ。連中にくみする藩は急速に増えて、連中の軍勢は膨れ上がっている。


 結局、オレたちが幕府軍や佐幕派を名乗って存在し続ける限り、連中は倒幕派だ。


「簡単に倒されてたまるか」


 劣勢は思い知っている。負け戦に次ぐ負け戦。オレの知る新撰組は崩壊した。ここにあるのは、新撰組の名を受け継いだだけの別の集団。あるいは、名だけでもいいから新撰組を死なせたくなくて、この集団を新撰組と名付けたのか。


 しかし、白河防衛の緒戦はオレたち幕府軍の勝ちだ。


 初陣の若い隊士たちが興奮に顔を輝かせている。こいつらを一日でも長く生かしてやるために、局長代理のオレに何ができるだろうか。

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