肆 少年

 若松の町は今から二百七十年余り前、たいこう秀吉の時代に蒲生がもううじさとによって築かれた。町の中心、大町四ツ角は五つの街道の起点で、周辺には宿や料理屋、酒屋が並ぶ。


 道の中央には水路が走り、澄んだ水が流れている。辻が直行せずかぎ型になっているのは、東から西へと緩やかに傾斜する地形を活かし、流れる水を南北に分かつための工夫らしい。


 江戸にも京都にも似ていない町だ。ひそやかに交わされる戦の噂は聞こえてくるものの、活気はある。


 昼をとうに回り、日は西へ傾いている。俺は、大町四ツ角のそばにある旅館、清水屋へ出向いた帰りだった。清水屋には幕府お墨付きの名医が滞在している。


 俺の脚は夏のうちに回復すると言われている。敵軍は今、どこにいるだろう? 俺が戦列に復帰するまで、前線は持ち応えてほしい。俺も戦いたい。役立たずのままではいられない。


 藩主の居城、五層の天守を持つ鶴ヶ城を正面に見ながらきたまるどおりを行けば、左右に武家屋敷が建ち並んでいる。このあたりに来ると、大町四ツ角のにぎわいが嘘のように、女も子どもも静かで礼儀正しい。


 と思いきや、何気なくのぞいた路地に前髪姿の少年が二人、菓子を立ち食いしようとするところだった。


「あっ、ひずかたさま!」


 丸顔で垂れ目の少年、たかもりすけが、あたふたと菓子を背中に隠した。もう一人、鼻筋が通って大人びた顔立ちの少年も、急いで菓子をたもとに突っ込む。それから二人そろって、ぺこりとお辞儀をした。


 俺は思わず笑ってしまった。


じゅうおきてで戒められているんだったか? 年長者としうえのひとにはお辞儀をしなければなりませぬ、戸外で物を食べてはなりませぬ、と」


 愛嬌たっぷりのいたずらっぽい笑顔で、盛之輔が俺に言い訳した。


「んだなし。だけんじょ、物を食いてぇのは仕方がねぇべし。稽古の後はどうにも腹が減っつまって、夕飯まで持たねぇのです。見逃してくなんしょ」


 盛之輔の姉は高木時尾だ。時尾が二十歳を二つ三つ出ただけの割にずいぶんとしっかりしているのに比べ、十五歳の盛之輔はやんちゃで幼い。


 高木家の父親は京都守護の任の折、はまぐりもんの戦で落命した。家督を継いだ盛之輔だが、いまだ藩校のにっしんかんで学ぶ身だ。


 会津に入った当初は、誰もが「ひずかた」だの「すんせんぐみ」だのと訛っているのが聞き取りづらかった。が、一月も留まっていれば耳に馴染むものだ。このごろは訊き返さずに話ができるようになった。


 盛之輔のそばに立つもう一人の少年が、ぴしりと背筋を伸ばした。


「土方さま、お初にお目に掛かります。私は、若年寄の山川おおくらの弟、健次郎と申します」

「山川どのの弟御か。なるほど、目鼻立ちがよく似ている」


「兄をご存じですか?」

「伏見の戦でな。兄君はロシア帰りの洋装に短髪で、まだ二十四だろう? 新しく買い入れた銃で若手を指揮して、薩摩と対等にやり合っていた。兄君は、会津軍の中で最も目を引いていたぞ」


 健次郎の顔が、ぱっと輝いた。嬉しそうに鼻をひくつかせながら、俺を上から下まで見つめる。


「土方さまも洋装だし、見事な刀も差しておられるから、会津の皆の目を引いておいでです。特に女子おなごは、私の家おらいちんちぇ妹まで、土方さまはさすがお江戸の男前だと、熱を上げております」

「そうか、妹御は目が高い。機会があれば、ご挨拶させていただこう。会津の女子は老若を問わず、美人ぞろいだからな」


 ことさらなふりをしてみせると、少年たちはけらけらと笑う。


 斎藤一や沖田総司も昔はこんなふうだった。二人とも江戸の貧乏武士の子だから、会津武家の少年たちと違って行儀が悪く生意気だったが、正直な総司はもちろん、日頃はおとなしい斎藤も、ふとした弾みで子どもっぽい笑顔になった。もう十年も前のことか。


 盛之輔と健次郎は、さっき隠した菓子を取り出した。くすんだ色の餅菓子だ。盛之輔は軽く首をかしげた。


「土方さまも召し上がるかし? おらの祖母おばんちゃが作った、ゆべしです」


 ゆべしは江戸にも京都にも会津にもあるが、それぞれまるで違う。江戸のゆべしは、身をり抜いた柚子ゆずの中に味噌と胡桃くるみを詰めて固めた、酒のさかなだ。京都で売られていたゆべしは、もとはびっちゅうのもので、柚子の風味を効かせたようかんだ。


 会津のゆべしが俺の口にはいちばん合う。練り込まれた胡桃が香ばしく、ほのかに甘い味付けを醤油の塩気が引き立てる。


 俺は、きっちり三等分しようと真剣な顔をしてゆべしの寸法を測り始めた盛之輔と健次郎に、気にするなと手を振った。


「稽古で腹を減らしているんだろう? 俺に構わず、さっさと食っちまえ。誰かに見付かったら叱り飛ばされるぞ」


 盛之輔はと健次郎は顔を見合わせると、早速ぱくりと、ゆべしを頬張った。


「んめえ。盛之輔さんのおばんちゃのゆべしは、やっぱりいっとう、んめぇな」

「んだべ。おばんちゃは目ぇ見えてねぇのに、ゆべし作りも裁縫も名人だ。だっちぇもおばんちゃには敵わねえ」


 無邪気に笑い合う二人に、俺はうらやましさを覚えた。


「俺の田舎じゃ、腹が減ったら、畑の野菜や芋をかじってたな。菓子なんか滅多に口にできなかった。ひどく貧しかったわけじゃねぇが、とにかく土臭ぇ田舎だったんだ。会津の武家は恵まれてるよ。日本一と名高い藩校で武芸も学問も行儀も教わることができるしな」


 先に食べ終わった健次郎が眉間にしわを寄せた。


「だけんじょ、私の兄は、会津は学問も軍制も遅れていると言います。西洋から取り入れねばならねぇものが沢山でっこらあって、学問ではとりわけ算学や医学、Physikフィズィークをやらねばならねえ、と」


「学問や軍制の遅れは、会津だけじゃねぇさ。日本全部だ。健次郎、俺が言いたいのは、会津では武士が武士らしく生きられる仕組みが出来上がってるってことだ。それがうらやましい」

「うらやましい、ですか?」


「会津の武士は、幼いころには近所の子どもらとじゅうの仲間を作って、礼儀を覚え合う。十歳で日新館に入学して、望めば十五歳で大学に進める」

「んだなし。大学でも優秀なら、江戸や長崎に留学することもできます」


「京都では会津の武士と関わる機会も多かったが、字もうまけりゃ文も書けるし、洞察力の高い切れ者が多い。子どものころから頭を使っているからだろうな」

「土方さまも切れ者と名高ぇべし? 新撰組の鬼の副長として、数々の戦果を挙げてこられたと聞いています」


 俺は目端が利くだけさ。農民生まれの商人上がりで、武士の血なんぞ一滴も流れていやしねえ。おまえさんたちがきっちり勉強した儒学だの漢文だの、俺はこれっぽっちも知らねぇんだよ。


 正直にそう言ってもよかった。生まれ育ちが何だ、血筋が何だ。今の俺は、幕府とかたもり公から正式に取り立てられた武士だ。新撰組で武勲を立ててきたことも事実だ。今さら恥じることはない。


 俺は別のことを言葉にした。


「日新館を見学できないか? 京都では俺も若手に剣術や砲術を指南する立場にあったが、屯所は仮住まいばかりでね。きちっとした設備はついぞ得られなかった。会津藩士から日新館の話を聞いて、いつか見てみたいと思っていたんだ」


 盛之輔と健次郎が誇らしげに胸を張った。


「ぜひ! 土方さまの京都でのお働きの話もお聞きしてぇです」

「んだなし。大学にはさぶろうさんたちがいるはずだ。土方さまをお連れしたら、たまげるべ」


 今にも駆け出しそうな勢いだったが、俺の脚を案じる礼儀は、盛之輔も健次郎もしっかりと持ち合わせていた。俺たちは歩いて城西の日新館へ向かった。

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