伍 藩校

 健次郎が不服そうに唇を尖らせた。


じゅうおきてで、虚言うそを言うことはなりませぬ、と教え込まれます。私も盛之輔さんも正直に年齢を言って、びゃったいの幼少組に配属されました。だけんじょ、嘘の年齢を言って白虎隊の本隊に入った者がいるのです」


 会津では、戦に備えて軍制改革が進んでいる。年齢別の隊を編成したのもその一環だ。


 年齢が違えば体力が違う。隊全体の統率と機動力を確保するには、年齢別の編成は上策だろう。それに会津の武士にとって、幼いころの什の仲間は終生の友だ。什を基準に隊を組めば、隊の結束はおのずと強くなる。


 健次郎の不服は、少年兵から成る白虎隊の年齢制限だ。本隊に組み込まれるのは十六歳と十七歳。それより幼ければ、伝令の任を負う幼少組。十八歳以上になれば、会津軍の中核、ざくたいに編入される。


 俺は健次郎をなだめた。


「白虎隊は、本隊でも若すぎる。戦に放り込むことはできないと、会津公もおっしゃっていた。年齢を偽ってまで本隊に入った者には悪いが、そう張り切るものでもあるまいよ」


 盛之輔が丸い目をきらきらさせて俺を見上げた。


「土方さまの初陣はいつでしたか?」

「京都に出て浪士組として動き始めたのが、二十九のときだ。そのころいちばん若かったうちの一人が斎藤……いや、山口二郎で、あいつは二十歳だった。新撰組の隊士はほとんど、今の会津で言うところの朱雀隊の年代だったよ」

「そんじゃらば、新撰組の隊士は十八歳から三十五歳だったのですか? おらや健次郎さんでは、やっぱり若すぎるのかし?」


「俺のしょういちむらてつすけたちには会ったか? あいつらは、おまえさんたちと同じ年頃だ。家の事情もあって、京都からここまで付いてきた」

「鉄之助さんたちとは会っていません。お噂だけ聞きました。若ぇのに、土方さまの命令を受けて仙台との連絡役をしていると」


 会津に万が一のことが起こったとき、撤退するなら仙台だ。仙台港で幕府艦隊と連携する手筈はすでに付けてある。鉄之助たちは戦火に巻き込まず、なるべく生かしてやりたい。だから仙台に先行させている。


 そんな打算は胸中に押し込めたまま、俺は盛之輔と健次郎に笑ってみせる。


「新撰組の少年兵には剣術や砲術を訓練させながら、幹部付きの小姓をやらせていた。木刀や銃の重さに振り回されているようじゃ、実戦には出せねえ。しかし、甲州の戦では鉄之助が流れ弾にやられちまってな。軽傷で済んで安心したが」


 健次郎がまた唇を尖らせた。


「実戦に出せねぇですか。同じことを、蘭学所の川崎先生にも言われました。鉄砲をしっかり構えられねぇようでは駄目だって」

「んだなし。悔しかったので、その日から、軒にぶら下がったり米俵をかついだり健次郎さんと力比べをしたりして鍛えているけんじょ、おらたちの腕、まだ一寸つぅとも太くならねえ」


 盛之輔と健次郎は袖をまくって二の腕を出してみせたが、なるほど細い。俺もシャツの袖をまくった。少年たちの二の腕よりも俺の上腕のほうが太いくらいだ。


「すげえ! さわってもいいですか?」

「いいぞ」

「土方さまは痩せているように見えるけんじょ、本当はすげぇんだ」


 新撰組局長、近藤勇は、男が惚れ惚れするほどの肉体の持ち主だったよと、こぼしかけた言葉を呑み込む。近藤さんは死んだ。ここで話題にしたって仕方がない。


「山口二郎も痩せて見えるだろうが、あいつのほうが、すげぇ体をしているよ。俺より上背があるし、本来は左利きだが、右利きの剣術も一通り修めているから、左右の均整が取れている。あいつは強いぞ。前線から戻ったら、剣術の稽古を付けてもらうといい」

「はい、楽しみです!」


 目を輝かせる少年たちに囲まれる斎藤を想像し、思わず噴き出した。斎藤はきっと、たじたじになる。


 斎藤は不器用だ。いや、剣闘に偵察に間諜に前線指揮と、何でもござれの有能な人間なのだが、任務を離れると、口下手で無表情のぼくねんじんだ。思いのほか細やかな気配りができるのに、言いたいことをうまく言えず黙っているせいで、怖い男だと勘違いされる。


 鶴ヶ城の堀の西に接した藩校、日新館は、堂々たる門構えと広い敷地、いくつもの教場を有している。


「立派なもんだな」


 門をくぐって早々、俺はつぶやいた。


 回廊状の建物が敷地を巡っている。回廊の内側に庭を、奥に最も重要な建物を配する建築は中国古来の様式なのだと、中国史や朱子学が得意な盛之輔が解説した。


「昔の中国では、みかどに仕える役人になるために、科挙という試験があったんだど。四書五経を暗記して、有名な詩や賦も沢山でっこら覚えて、政治と朱子学の論文も書き慣れていなければならねかったそうです。おらも暗記は得意だけんじょ、四書五経の全部はそらんじてねぇなし」


 健次郎は眉間にしわを寄せた。


「私は、二千年も前に書かれた四書五経の暗記が今の政治の役に立つとは思いません。朱子学だって、七百年も昔の学問です。今の日本の理屈に合わねぇことも多いのだから、何でかんで身に付けねばなんねぇ学問ではねぇはずです」


一人前いっちょめこいてるけんじょ、健次郎さんの朱子学嫌いはあんつぁまの受け売りだべ」

「単なる受け売りではねえ。正しいと思うから言ってんだ。朱子学は古臭え」


 言い合って睨み合い、肩をぶつけ合って、今度は笑い合う。ころころと表情を変えては楽しげな盛之輔と健次郎の後に続いて回廊を歩き、学問の教場や武道場、水練用の池を見学した。鍛錬を積む少年たちがどの場所にもいて、俺に気付くと、大きな声で挨拶をする。


 師範を務める武士たちとは、城で幾度も顔を合わせている。蘭学所の師範、かわさきしょうすけがわざわざ駆け寄ってきて、怪我の具合など尋ねてくれた。


 江戸で学問を修めた川崎さんは博識で、頭の回転が速い。川崎さんとは以前、砲術から軍制、新撰組の台所事情に江戸の四方山よもやま話まで、議論が盛り上がったことがある。うつおちいりかけた俺にはありがたかった。あるいは、そんな俺を見兼ねて声を掛けてくれたのか。


 しかし、川崎さんが眉を曇らせていたとおり、日新館の教練で使う鉄砲や大砲は旧式だ。新しいものをそろえなければという危機感はあっても、実現するための金がない。


 会津の財政がかなり苦しいことは、京都にいるころから知っていた。一千人の藩士がくにもとを離れ、物の値段がひどく高い京都で守護の任に就いていたのだ。国許の出資は馬鹿にならなかっただろう。その上で新しい武器を買う余裕など、あるはずもない。


 日本じゅうの藩が似たり寄ったりの寒々としたふところ具合だ。例外は、国禁を犯して外国との交易を続けてきた薩摩藩くらいのもの。


 会津の財政難は他のどの藩よりも、とりわけ根が深い。というのも、質実剛健で文武両道の会津の武士には、一つ致命的な弱点がある。かねかんじょううといことだ。その疎さこそが美徳とされる傾向まである。商人のように意地汚くてはならないというのだ。


 軍議に出て作戦案を聞いたが、食糧や物資の補給について考えが回っていない。その場で農民や商人から取り立てればいいと言うが、強引な話だ。


 生きるために稼がねばならない農民や商人から財産を奪えば、会津は敵を増やしてしまう。しかも、自国の内側にだ。


「まあ、近藤さんも似たようなところはあったか」


 独り言をつぶやいて、唇の端で苦笑する。


 初めは二十名ほどだった新撰組は、最大で二百人を超える大所帯に膨れ上がった。近藤さんが新入隊士をごそっと連れてくるたび、金の遣り繰りに奔走したのは副長の俺だ。


 会津藩や幕府からの給金はあるものの、暮らしていくだけではなく武具もそろえなくてはならず、懐事情は常に苦しかった。大坂の銭貸しに頼み込んだ挙げ句、返せずじまいになった借金が心残りだ。


 やめよう。思い返しても仕方がない。


 きっと京都を訪れることは二度とない。新撰組の名は今でもこの会津で存続しているが、もう、あのころの新撰組とは違う。

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