料理人、拾いました
みゃつき
料理人、拾いました。
都会の眩しいネオンがブルーライトで弱った目をさらに刺激してくる。
先日社会人二年目を迎えた俺の心はちっとも穏やかではない。ミスをして怒られ続けることは一年目と変わりなく、入ってくる後輩が自分よりできる奴だったらと考えると気が気でない。身についたものは仕事の仕方や専門の知識ではなく、ただ面倒な上司を上手くあしらう方法だけ。しかも成功率は4割、残りの6割はご察しだ。
特にやりたいこともないまま大学を卒業し、二桁の不採用通知の末に今の会社へ就職した。年中繁雑期という訳ではないが仕事はそこそこ忙しく、短い研修期間を経て聞いていた定時というのは消滅した。あまり器用な方ではないからか仕様書のミスはしょっちゅうだし、話もそれほどうまいわけではない。だが孤立しているかと言えばそうでもないためごく一般的なサラリーマンというのが俺には妥当な枠組みだと思う。
そんなサラリーマン達でひしめく街、新橋を定時から二時間過ぎた十九時頃に歩いていたら奇妙な人だかりを見つけた。何に対してかは見えないが行きかう人々が一度足を止めて時にスマホを向け、時に共にいる人と小声で話をしている。本当なら仕事帰りは家へと直帰したいところだが、こう人だかりを見るとその中心にあるモノがなんなのかは気になってくる。ふらふらと人の流れに乗って人だかりの方へ向かっていく。薄い人の壁の隙間から見えたのは確かに奇妙な光景だった。
一人のスーツを着た中年の男性が段ボールの中でスケッチブックを持ち立っていた。またスケッチブックに書かれていた内容も、
『料理人、拾ってください』
この一文だけと人の注目を集めるには申し分ない光景だった。
思わず足を止めていた俺はいつの間にか流れる人の流れに戻れなくなっていた。男性の顔には照れや笑いなどなく、ただどこか真剣な目で自らを見る人々を見ている。恐らくSNSでエゴサーチでもすればこの情報は既に拡散されていることは容易に想像がつくし下手すれば彼の顔は既に全国区なのかもしれないと今の状況を整理する中でぼんやりと思った。
ふと警笛が聞こえた。見れば警察官が三名ほどこちらへ向かってきている。誰かが通報でもしたのか、警察官が近づくにつれ先ほどまでいた取り巻きは蜘蛛の子を散らすように帰っていく。俺もその場から少し離れたが、警察と男性の問答に興味があったため少し観察することにした。
五分ほどの問答の後、男性は段ボールとスケッチブックを片付けて駅の方へと歩き出した。警察に説得されたのだろうかと思ったが、先ほど見た顔の真剣みは消えていない。もしかしたら、このまま別の場所でまた同じことをするのかもしれないと思った。そう考えていたら、自然に彼の方へ歩が進んだ。
「あの、すみません」
「…なにか?」
彼の声は深みのある渋い声だった。
「俺に、拾われませんか?」
聞いたところ彼の名前は
「食べたいものはありますか?」
よく考えれば料理人を拾うといえば実際料理を作ってもらうことになるだろう。そんな単純なことに今更はっとした俺は特に考えもせずに答えた。
「じゃあ、ハンバーグで」
須藤は少し驚いたような顔をしたがすぐに真顔に戻ってスーパーの中へ入っていった。十分ほど待ったのち、大きめのレジ袋を提げて須藤は出てきた。どうやらホームレスという訳ではなくある程度の現金は持っていたみたいだ。
「持ちましょうか?」
「いえ、力には自信があるので」
そういった気遣いではないのだが、譲る気はないようで俺もそれに乗っ取る。想像していた以上に頑固おやじみたいだ。気が付けばすぐ目の前に自宅があった。少しさびたドアノブに鍵を差し込み解錠すればカコンと間の抜けた音が聞こえてくる。
「どうぞ」
「失礼します」
二人して部屋へ上がると須藤はすぐにキッチンへと向かった。俺はダイニングに据えた3人掛けのソファに寝そべるとおもむろにテレビをつける。客が居る前でなんだが、これがルーチンワークとなり果てているため半ば無意識の行動だった。ぼーっとしていればすぐに眠気が襲ってくる、少しだけ目を閉じるとキッチンからリズミカルな音が聞こえてきた。
トントン、トントン
包丁がまな板に当たる乾いた音。調理器具の場所は分かり易かったはずだから恐らくそれを使ってるのだろう。次第にシャクリと水気がある音に変わる、玉ねぎだろうか?ジャクリジャクリと大きなものに刃を通す音からシャクシャクとみじん切りの音へ、一定のリズムで刻まれる音はメロディのようで不思議と耳障りがよく、目を閉じたまま耳を澄ましていたくなる。包丁の音が止むとしばらく無音が続き、また乾いた音でパンッパンッという音が聞こえてくる。多分ハンバーグから空気を抜いている音だろうか。その音は狂いなく、音を聞いているだけで熟練した技を感じさせた。もしかしたら須藤はただの酔狂な料理好きではなくどこかで働くプロだったのかもしれない。
ジュワッシュウゥ
ハンバーグは焼く工程に入ったみたいだ。油が弾ける音、その音が静まってくる頃にまた大きく弾ける。肉が焼けていく音の間でシュウシュウと空気が逃げていく音が聞こえた。既に口の中は唾液であふれていたがごくりと飲み込み、ただひたすらキッチンから流れてくる音に集中する。
ジュワリ!!と大きな音がしたかと思えばボッと何かが立ち上がる音が続いた。
「っ?」
その音に驚いた俺が振り返ると、キッチンから淡い炎が立ち上がっていた。テレビでしか見たことのないフランベに思わず目を奪われる。その炎は何かを焼き尽くす攻撃的な赤ではなく、包み込むように繊細な美しいオレンジ色だった。ベールのような炎は次第に勢いを消し俺の視界から消える。
その残滓を惜しむように目線を戻すと少しして足音が聞こえた。須藤が運んできた皿にはハンバーグが二つ盛られ、付け合わせに焦げ目の付いたニンジンと湯気が上がるブロッコリー、そしてマッシュポテト。ソースは熱々のままかけられ少し酸味のある匂いが鼻孔を刺激した。
「どうぞ、お召し上がりください」
「…いただきます」
妙にかしこまった言い方をされると緊張してしまうが目の前の料理への欲望は抑えきれず、適当なところにナイフを入れる。ナイフが少し進んだ瞬間から、肉汁があふれ出てくる。キラキラと煌めく油がかかったソースに絡んでいく、我慢しきれず一片をフォークに突き刺し口に運んだ。
「美味しい…」
それ以外の言葉は不要だった。いや、言いたくなかった。濃厚な肉汁に対して酸味のあるソースが中和し、口に残る味は実にまろやかだ。噛むほどに残った肉汁があふれ出し、冷めることを知らずに熱々のまま喉元を通り過ぎていく。手が止まらない、何よりこの味はフランベで見た炎のように包み込むように優しかった。
付け合わせの野菜までしっかり完食すると横に立つ須藤の顔を見る。その顔は来た時と打って変わって優しい目をしていた。
「須藤さん、あなた…何者なんですか?」
ずっと抱いていた疑問をぶつけてみる。ソファの座る位置を少しずらすと須藤は察したようにソファへ座った。
「私はホテル勤めのシェフです。しかし今日勤めていたホテルをクビになりました」
相変わらずの渋い声で須藤はそう答えた。
「差し支えなければ…なぜです?」
「ホテルの経営が傾いていたためにリストラに遭いました。二十年程勤めていましたが若手を雇う余裕もなく、料理長を除いて年数の長いものから順に」
須藤の顔は悲痛というよりも苦しそうだった。
「経営陣も悩んでしたことでしょう、それは分かっています。ですが、私は料理人としていまひとつ落としどころが見つかりませんでした」
「だから、駅前であんなことを?」
「ええ、最後に誰かに私の料理を食べてほしかったんです」
少しづつだが、彼のことが見えてきた気がした。
「それが私にとって落としどころにするつもりでした。私は料理に生きてきた人間ですから、料理人を辞めるときは最後に誰かに喜んでもらいたいと」
「やめるんですか?料理人、こんなに美味しいのに」
「はい、やめるつもりでした。ですが」
須藤は息を吐いて、こう加えた。
「美味しいと言われたら、余計に辞めるのが惜しくなってしまいました」
それから俺は須藤の話をひたすら聞いた。彼には妻も子供もいるらしい。次の職場を探すにしても、自らの店を出すにしても年齢を考えれば長くかかりそうということ。その多くの不安を背負い込んで駅前に居たことなど、可能な限り話を聞いた。
「もしかしたらどこかのレストランが拾ってくれるかもしれないと思いましたが、まさかあなたに拾われるとは思いませんでした」
「そう考えると…すみません。俺はただのサラリーマンなので」
「いいえ、あなたのお蔭で私は料理人として生きていくことを再確認できました。
私の得意料理はハンバーグだったので最初にハンバーグと言われた時は何かの巡り合わせかと思いました。結果としてあなたの美味しいという言葉を聞いたことで、また自信が湧いてきましたよ」
須藤は朗らかに笑う。初めはこんな顔も想像がつかなかった。
「あなたの名前を聞かせてください」
「俺は、
「そうですか。ありがとう、学君」
俺は須藤と握手を交わした。彼の手は厚く、多くの時間を注ぎ込んだ大きな手だと感じた。
「本当に、ありがとう」
その後、須藤は帰宅のため俺の部屋を後にした。
長く変わった夜はこうして終わった。
翌日の朝、俺は少し早く目が覚めた。昨日のことは夢のようだったがこの手には須藤との握手で感じたあの感触が未だに残っている。
一つの何かを成し遂げた、そしてこれから何かに挑む大きな手。自分はそんな決意を受けた、そんな気がする。
やりたいことを持つ中年の彼とやりたいこともなく惰性で生きる俺は一体どちらが若いと言えるのだろうか?その人生は一体どちらの方が価値があるのだろうか?
朝食を作るために冷蔵庫を開ける。その中にステンレスのトレーを見つけた。そこには昨日のハンバーグが二つ、種の状態で置いてあった。須藤が作り置きしてくれていたのだろう。
ジュージュー
残ったハンバーグをフライパンで焼き皿に盛りつける。朝からハンバーグとは豪勢な話だ。そんな風に苦笑すると戸棚にあったデミグラスソースをかけ、付け合わせにミックスベジタブルを乗せる。色合いだけなら昨日と変わりはない。
早速食べてみよう、今日はご飯付きだ。
箸でハンバーグを割り、ソースと絡めて口へと運ぶ。
「…うん」
昨日とは違うが、今日のハンバーグも美味い。
料理人、拾いました みゃつき @myatuki
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