不思議な小太鼓(2)
2.
王の家のまわりには、既にむらびと達が集まっていた。
娯楽の少ない北の地で、語りや歌は、重要な意味をもつ。文字をもたない人々は、大切な神話や伝承を、歌にのせて覚え、伝えてきたのだ。誰かの家で宴が催されるというたび、人々は集まり、太鼓や板琴をならし、語り手をたすける。まして、今日は王の語りだ。
ビーヴァのような子どもだけではなく、大人の男たちも、ウオカ(酒)やトレン(板琴)を手に、集まっていた。
入り口の前に来ると、ビーヴァは、ラナを下ろした。ラナは、すかさず乳母に駆け寄った。
ビーヴァが腰を伸ばしていると、
「ビーヴァ」
仲間が、声をかけて来た。
「マグ、サン」
「よお。やっぱり来たな」
ビーヴァは苦笑した。
狭いナムコでは、噂はすぐにひろまる。ビーヴァが敢えて声をかけずとも、王がみずから語りを行うという話は、皆に知られていた。
ビーヴァは、女子と話をするのは苦手だが、同年代のマグとサンとは仲が良い。互いの拳をぶつけてじゃれ合っていると、奥から笑い声が聞こえて来た。酒の入った男たちが王を囲み、談笑している。トレン(板琴)をかき鳴らしている者もいた。
始まるのかもしれない。
子どもたちがそわそわしていると、若い声が降って来た。
「何を集まっているんだ? お前たち」
振り向いた少年たちは、目を輝かせた。
「エビ! ニルパ!」
「どうしたんだ、こんなに」
成人したばかりのエビとニルパは、マグたちにとって憧れの存在だ。氏族の将来を嘱望される若衆でもある。二人は、狩り装束だった。大きな荷を担ぎ、部屋の中を覗いた。
マグが言う。
「王が、語りをするって。集まっているんだ」
「この時期に? 珍しいな」
「エビは違うの?」
「俺たちは、これだ」
二人は、得意げに顎を持ち上げた。担いだ荷を覆う皮の隙間から、ユゥク(大型の鹿)の頭がのぞいて見え、少年たちは、わっと歓声をあげた。
「ユゥクだ!」
「すごい。狩って来たの?」
「おう。今日の獲物だぞ」
森の民の習慣では、狩りで得た獲物は、氏族で公平にわけることになっている。王に報告するためにやって来た二人は、人の多さに驚いていた。
なかの大人たちが彼らに気づき、手を振った。
「エビ、ニルパ! 帰ったか。こっちに来い」
それで、エビとニルパは顔を見合わせると、獲物を担ぎなおし、靴を脱いで部屋にはいった。後ろから、子どもたちがぞろぞろと着いて来る。勿論、ビーヴァもだ。
王を中心に、壮年の男たちが炉を囲んで坐っているところへ、彼らは近づいて行った。王の後ろには、女たちと、長老たちが控えている。
ケイジは、トレン(板琴)を手にした数人の男たちとともにいた。ラナは、タミラと並んで坐っている。
エビとニルパが、ユゥクを慎重に床におろすと、感嘆の声があがった。
「おお!」
「ありがたい。イェンタ・テティ(狩猟の女神)の祝福だ」
「さすがだな、二人とも」
王に褒められたエビとニルパは、照れくさそうに笑った。
王は立ち上がり、炉を迂回してユゥクに歩み寄ると、両方の膝を床につけた。狩人たちが既に魂を送っているはずではあったが、改めて、ユゥクの額に掌をかざし、
祈りが終わると、女たちが近寄り、ユゥクを運んで行った。タミラが、二人の若者にウオカ(酒)を持ってくる。
王は、もとの自分の場所に胡坐を組み、一同を見渡した。集まった者たちが、それぞれくつろいでいるのを確かめる。彼がシャム(巫女)の太鼓をとりだすのを見て、ラナは瞳を輝かせた。
トレンを肩にかけた男が、その胴を叩いて拍子をとった。ケイジが、絃をはじいて音を奏でる。たちまち、仲間の男たちも
王は、太鼓と
”むかし、三つの太陽のうち二つが射落とされ、世界が冷え固まったばかりのころ。ムサ・ナムコ(人間の世界)は急に寒くなり、大地は厚い氷におおわれた。”
王は太鼓を軽くたたき、男たちはトレンを鳴らした。合いの手を入れ、唱和する。
ポヤン レルヌグォ ポヤン レルヌグォ(速く叩こう 速く叩こう)
トゥグル ホグングォ トゥグル ホグングォ(火の周りで 火の周りで)
”ある女の子がいた。名は伝えられていない。
この子は、両親を亡くし、祖父母と暮らしていた。
祖父母は優しく、女の子は幸せだった――
『ねえ、キイチゴを採りに行きましょう』
夏のある日、仲間が言った。
『食べられる草の根も、甘い蜜のとれる樹も』
大人たちは、ホウワゥ(鮭)獲りに出かけていて、
ナムコ(集落)の家は、その多くが留守だった。
女の子は、仲間たちとともに、森へ入った。
シラカバの木立を抜け、モミとベニマツの
幸い、沢山のキイチゴと木の実を採ることが出来た。
女の子は喜んで、さらに森の奥へ進んでいった。
食べられる草の根を、見つけたかったのだ。”
王が太鼓を叩く拍子を変えると、今度は、女たちが歌い始めた。手を叩き、膝を打ち、氏族につたわる菜摘み唄をうたう。その中には、タミラとラナもいた。
行きましょう、行きましょう。夏の森へ。
行きましょう、行きましょう。アムナ山の麓へ。
ツグミが鳴いている。シラカバの葉は輝いている。
アロゥの娘は、働きもの。
白い肌はイチゲの花のよう、赤い唇はコケモモの実のよう。
行きましょう、行きましょう。夏の森へ。
女たちが歌っている間に、王はウオカ(酒)で喉を湿らせた。トレン(板琴)の男たちも休んでいたが、節が終わると、再び絃をはじき、女たちの手拍子に重ねた。
ビーヴァは、父が真剣な表情で曲をつくりだすのを、見詰めていた。
曲調が変わった。王が歌う。
”女の子は、食べられる草の根を探して、森の奥へ入った。
根はいくつかあったが、女の子はもっと、と思い、歩いて行った。
すると、この季節にはめずらしい霧がたちこめてきた。
霧は、瞬く間に森をおおい、女の子を包んだ。
女の子は、友だちのいる場所が、見えなくなってしまった。
濃い霧が太陽の光をさえぎり、森は寒くなった。
仲間たちは、ナムコ(集落)へ帰った方がよいと考え、
ひときわ高いモミの木の下に集まったが、女の子の姿はなかった。
『おーい! 出ておいで。帰ろうよ』
『おーい! どこにいるの? 行ってしまうよ』
仲間たちは、女の子を呼んだが、返事はなかった。
女の子も、友だちを探して叫んだ。
『ねえ! みんな、どこにいるの?』
『ねえ! 火を掲げて、犬を放して。みつけてちょうだい、私はここよ』
ノバラの茂みをかきわけ、ベニマツの幹をまわって探したが、
仲間たちの居る場所はわからず、声も聞こえなかった。
立っている自分のチコ(皮靴)の先も見えない霧のなかだ。
女の子は、うずくまり、顔をおおって泣きだした。
仲間の子どもたちは、ナムコへ帰り、大人たちを呼んできた。
その中には、女の子の祖父母もいた。
彼らは、女の子を探して森へ入ったが、霧に遮られ、奥へ進むことが出来なかった。
松明をかざし、犬たちを放ったが、犬たちも恐れて行こうとしない。
日が暮れて、霧は闇へかわった。彼らは、諦めるしかなかった。
祖父母は悲しんで、声をあげて泣いた。”
夏であっても、夜、アンバ(虎)やルプス(狼)の棲む森のなかに子ども独りでとり残されることは、死を意味する。聴いている子どもたちは、少女の命運を想い、しんと黙りこんだ。
ビーヴァも、掌ににじんだ汗を、膝のうえでぎゅっと握りしめた。
王は、シャム(巫女)の太鼓を膝にのせ、それを見詰めて、しばし黙りこんだ。ぴんと張られた太鼓の
やがて、男たちの一人が、炉の枠を拍子木で叩きはじめた。ケイジたちが、トレン(板琴)を奏でる。次の曲が始まった。
物悲しい曲に合わせ、王は語り始めた。
”女の子が独りで泣いていると、ベニマツの木陰から、若い女が現れた。
背の高い、赤毛の女だ。
女は、髪の毛と同じくらい赤いゴーナ(熊)の毛皮の衣を着ていた。
頬には、風と星の刺青があった。
シラカバの杖をついた女は、少女に声をかけた。
『お前、何を泣いているの?』
女の子は、知らないひとに話しかけられて驚いたが、顔をあげて答えた。
『食べられる草の根をさがして、森へ来たの。霧が出て、友だちとはぐれてしまったわ。みんなもう、私を置いて帰ってしまったでしょう』
そう言うと、両手で顔を覆い、また泣き出した。
赤毛の女は、困って周囲をみわたした。
『まいったねえ。今日は、森のテティ(動物)たちが、月のテティ(神)の許へ集まる日なんだよ。姿が見えないように、闇を集めているのさ。
お前、こんなところにいたら、捕まってしまうよ。ムサ(人間)のナムコへお帰り』
そう言ったが、女の子は帰る方向が分からないと、ますます泣きだしてしまった。
女は溜息をついた。
『仕方がない。私のうちへおいで。かくまってあげよう』
赤毛の女は、こう言うと、片方の腕で女の子をひょいと抱き上げた。
女は細かったが、驚くほど力があった。
女の子が息を呑んでいる間に、女は、さっさと闇のなかを歩きだした。
彼女の琥珀色の瞳は、明かりがなくても見えていた。”
ケイジは、トレンを縦に支え、一本の絃に爪をあて、細かくふるわせて音を奏でた。女たちが、声をころし、はっはっと合いの手を入れる。
それは、闇のなかで
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