不思議な小太鼓(3)
3.
”しばらく駆けたのち、女は、少女を山の斜面に下ろした。
イバラの茂みの陰に、洞窟のような入り口があった。そこが、女の家だった。
『おはいり』
と、女は少女を促した。
女の子は、おそるおそる、彼女について中に入った。そこは、思いがけず明るかった。壁や天井のそこかしこに、光るコケとキノコが生えていて、淡い黄色の光を放っていたのだ。
床には干した草やユゥク(大型の鹿)の毛皮が敷かれ、乾いて気持ちがよかった。
女は、少女を部屋の真ん中に座らせると、コケモモやキイチゴの実を出してくれた。水も、甘い蜂の巣もあった。
女の子は、おなかが空いていたので、喜んで食べた。女は、その様子をじっと見守った。
やがて、女の子がおなかいっぱい食べ終わると、女は、ゴーナ(熊)の毛皮で彼女をくるみ、こう言った。
『疲れただろう。今日はおやすみ。私は、会合に行ってくるからね。眠っているんだよ』
女の子は、女の親切に感謝しながら、眠りについた。”
王は顔をあげ、背筋をのばした。左手に太鼓を持ち、右手に持った
トレンの曲調もかわった。穏やかで、安らいだ雰囲気に。
主人公のようすを語る王と、少女を探す唄をうたう女たちの、掛け合いが始まった。
”その日から、女の子は、赤毛の女と一緒に暮らした。
女の家は暖かく、清潔で、居心地はよかった。
女は、毎日 山を下り、水や木の実を持って帰ってきた。
ときには、ユゥク(大型の鹿)やホウワゥ(鮭)の肉もあった。
女の子は、遠出をすることはなく、女の家の周りで暮らした。
だから、ナムコ(集落)のひとびとがどうしているか、知らなかった。”
毎日、友だちは、女の子を探した。
『どこにいるの? どこにいるの? 答えてちょうだい』
毎日、祖父母は、女の子を探した。
『どこにいるの? どこにいるの? 帰っておいで』
”ある日、女の子は、赤毛の女に訊ねた。
『どうして、私に親切にしてくれるの?』
女は、答えて言った。
『私にも、子どもがいたのさ。小さな可愛い坊やが。
その子は、今年の春、牡のゴーナ(熊)に食べられてしまった。
そいつは、坊やを殺しておいて、私に結婚を迫った。私は、奴から逃げて来た。
あのまま放っておけば、お前は、奴に殺されていただろう。可哀想だと思ったのさ』
女の子は、身ぶるいをして、女に礼を言った。”
夜も昼も、友だちは、女の子を探した。
『どこにいるの? どこにいるの? 答えてちょうだい』
泣き暮らす祖父母は、テティに祈った。
『可愛い孫娘は、どうしているだろう。
飢えていまいか、凍えてはいまいか。
我らがモナ(火の女神)よ、あの子を守りたまえ……』
”赤毛の女は、少女にゴーナの毛皮の衣を与え、毛皮の
木の実や、食べられる草の根のありかを教えた。
星や風のテティを
女の子は、ナムコの暮らしを忘れていった。”
王が謎の女と少女の暮らしを語るときと、女たちが、行方不明の少女を探す唄をうたうときとで、トレンの音程は変わり、曲は変化した。
ビーヴァが見ると、エビは、ウオカの器を膝に置き、右手の指の背で床を叩いて、拍子をとっていた。彼が口ずさんでいるのは、女たちの唄だった。
語りは終盤にさしかかり、男たちの演奏は、盛り上がっていった。
”冬が近づくと、女の子は、祖父母のことが心配になった。
毎年、冬支度の手伝いをしていたので、どうしているだろうと思ったのだ。
友だちのことも思い出した。あたたかな炉も思い出した。
けれども、女の親切をおもうと、帰りたいとは言えなかった。
赤毛の女は、少女の気持ちに気づいていた。
彼女は、女の子がおもうよりも親切だったので、こう言った。
『ナムコのことが気になるかい? おじいさん、おばあさんのことが』
『気になるわ。でも……』
不思議な女は、女の子に背をむけて、腰をかがめた。
『お乗り。連れて行ってあげよう。しっかりつかまっているんだよ』
女の背はひろく、あたたかく、心地よかった。
女の子は、背負われている間に、眠ってしまった。
それで、どこを通ったか知らないうちに、ナムコの近くへたどり着いていた。
ナムコでは、友だちと祖父母が、女の子を探していた。
その様子を木陰からみた女の子は、涙を流した。
赤毛の女が言った。
『帰りたいかい?』
『ええ。私、帰りたいわ!』
『では、これを持っておゆき』
女は、懐から、ゴーナの革を張った太鼓をとりだした。
シャム(巫女)がテティを召喚する小太鼓だ。
『私は、これから眠らなければならないから、
お前は、モナ(火の女神)の炉辺で暮らす方がよいだろう。
ただし、覚えておいで。
お前は、私の家でいく夜も過ごした。
ムサ・ナムコ(人間の世界)では、その間に、長い時間が経っている。
お前は、成長した己を知るだろう。
困ったことがあったら、太鼓を叩き、私が教えた唄をうたいなさい。
テティ(神霊)は、応えるだろう。
さあ、おゆき! さようなら』
女の子は、赤毛の女に背中を押され、ナムコへ向かって歩きだした。すると、どうだろう。
友だちと祖父母に駆けよる間に、女の子の背はのび、腕は袖から突き出した。
髪は長くなり、胸は膨らんだ。
女の子は、娘へと成長していた。
別れた日より年をとった友だちと祖父母は、たいそう驚いたが、
娘が誰かわかると、涙を流して喜んだ。
祖父母と抱き合いながら、森を振り向いた娘は、
シラカバの木立のなかへ、赤毛のゴーナ(熊)が去っていくのを見た。
美しい牝ゴーナは、女の子がムサ(人間)の仲間にうけいれられたのを確認して、去ったのだ。”
王は、少女がナムコに帰りついたことを語り終えると、ほっとしたように、男たちと微笑みを交わした。ウオカ(酒)を口に含み、太鼓を掲げる。
女たちの手拍子が大きくなった。明るい調子で、成長を
アロゥ(氏族)のむすめ、ゴーナ(熊)のむすめ。
テティ(神霊)の加護をうけ、帰って来た。
ごらん、黒い髪はワタリガラスの羽のよう。
しなやかな脚はユゥクのよう。
アロゥのむすめ、美しいむすめ。
シャム(巫女)の太鼓をもらい、帰って来た。
王は太鼓を叩き、声を大きくした。太鼓を、しだいに速く叩いた。
シャム(巫女)の呪術のように、トレンの音と手拍子も、速くなっていった。
”ゴーナに護られた娘は、たしかに、不思議なちからを授かっていた。
彼女は、嵐がくるのを予言したり、ユゥクの居場所を言い当てたりした。
ゴーナの太鼓を娘が叩くと、その夜は、不思議に楽しい夢を見ることが出来た。
しかし、赤毛の女は、二度とすがたを現わさなかった。
数年後、タイガ(森林)に棲む多くの氏族が集まって、祭りを行った。
祭りの場では、各氏族のシャム(巫女)とシャマン(覡)が、
誰が、もっともつよい
誰が、もっともテティの加護を受けているのか。
それによって、シャムの王を決めようというのだ。
ある者は、
すると、玉の欠片はあつまって、元どおりになった。
ある者は、マモント(マンモス)の大牙をギリギリと捻じ曲げ、裏返しにしてみせた。
それを観ていた娘は、
『私も、術くらべに出たいわ』
と言い出した。
祖父母は、彼女が不思議なちからを授かったことを知っていたので、
『やりたいなら、やってごらん』
と言った。
その会話を聞きつけた他の氏族の長老たちは、
『なんてあつかましい娘だろう。本当のシャマンたちの邪魔をするだけじゃないか』
と囁いた。
娘は、宴の真ん中に進みでると、太鼓を叩いて歌いはじめた。ゴーナの女に教わった唄だ。
すると、外からざわざわという音が聞こえて来た。
音はだんだん近く、大きくなり、やがて、家の窓という窓から、
どどおーっと水が流れ込んできた。
娘が太鼓を打つ手を速めると、水はひいて、
家の中にはたくさんの水草とホウワゥ(鮭)が残った。
氏族のものは、その水草とホゥワウを料理して、客にふるまった。
お客たちは、ただただ眼をまるくしていた。
娘は、
すると、ヌパウパ(ヤマニラ)やフウロソウ、キイチゴといった食べられる草が、辺り一面に生えて来た。
氏族のものは、その草を料理して、また客にふるまった。
ひとびとがごちそうを食べ終わると、娘は、太鼓の桴を、家の柱に突き刺した。
すると、その穴から、きれいな水がこんこんと湧いてきた。
氏族のものは、この水をひしゃくに汲んで、客たちと一緒に飲んだ。
ひとびとは、こんな不思議なことは今まで見たことがないと言って、娘を誉めそやした。
それ以来、シャマンの術くらべには、娘が出ないわけにはいかなくなった。
これが、アロゥのシャム(巫女)と、魔法の小太鼓のはじまりだ。”
王が語り終わると、男たちは床を叩いて拍子をとり、トレンを奏でた。掛け声をあげて歌う。なかには、立ち上がって踊りだす者もいた。
ポヤン レルヌグォ ポヤン レルヌグォ(速く叩こう 速く叩こう)
トゥグル ホグングォ トゥグル ホグングォ(火の周りで 火の周りで)
女たちが、合いの手をいれる。手を叩き、声をそろえ、身体をゆすって語り手を称えた。
タミラが立ち、ラナの手をとって踊り始める。エビとニルパも立って、歌いだす。
王は声をあげて笑い、太鼓を叩いた。ケイジがトレンの音を合わせる。王は、娘の手に太鼓と桴を持たせると、身振りで叩き方を教え、一緒に踊りだした。
ビーヴァは、その様子を眺めながら手を叩き、男たちと唱和した。
ポヤン レルヌグォ ポヤン レルヌグォ(速く叩こう 速く叩こう)
トゥグル ホグングォ トゥグル ホグングォ(火の周りで 火の周りで)
蒼白い夏の夜空に、ひとびとの歌と笑い声が、高くたかく響いていた。
~『不思議な小太鼓』 完~
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