第三章 真の王(3)



          3


 風を切って飛んだ矢は、吸い込まれるように、キツネの喉を射ぬいた。茂みのなかでうずくまっていた《彼》は、その姿勢のまま崩れ、息絶えた。

 男は、ゆっくり獲物に近付くと、まだ温かい身体に手をかざし、霊魂をテティ・ナムコ(神霊の世界)へ送る聖句を唱えた。

「エビ」

 呼ばれて、振り返る。男の顎を、伸び放題の無精ひげが覆っている。なめしていない毛皮の外衣は、ところどころが破れ、縫い目がほつれていた。直すつもりはないらしい。

 呼んだ男の恰好も、似たようなものだった。二人は並んで立ち、エビの手のなかの獲物を眺めた。

「流石だな、エビ」

「いや、痩せている。やはりここは、いい狩場ではない」

 エビの口調は苦い。彼らは、ニチニキむらが見える森の外れで、狩りをしていた。エクレイタの連中の動向を見張るため、離れるわけにはいかないのだ。

 得られる獲物の乏しさに、男たちは苦労していた。もう、この界隈で獲れるものは、獲りつくしてしまったかと思える。既に、連れていた狩り犬は食べてしまった。あとは、魚とわずかな木の実に、期待するしかない。

 エビは舌打ちした。マグ(アロゥ族の男)が、不安げに呼ぶ。

「エビ……」

「ああ。いや、何でもない」

 トゥークの行方を見失ったことを、エビは悔いていた。まったく……刺青のないあの子どもは、狩人たる訓練だけはちゃんと受けていたらしい。足跡を消され、ニチニキ邑への秘密の入り口を得ることは出来なかった。


 ニチニキは、大きな集落だった。

 エビたちは、数日をかけて、邑全体を囲む塀の周囲を、ぐるりと巡ってみた。森の民のナムコ(集落)を三つ四つ合わせたほどもあろうか。ロマナ湖岸の原野を拓き、広大な領域をかこんでいる。

 先端をとがらせたベニマツの丸太を並べた壁は、周囲を掘り下げ、さらに高くそびえていた。塀から少なくとも三パス(約十二メートル)は、草木の生えていない荒れ地で、身を隠せる場所はない。

 壁の内側に、居住区と《畑》があり、人と《家畜》が棲んでいた。犬だけではない。――エビは、マシゥから聞いた話を想い出した。《畑》を耕す《ウシ》という動物や、人や荷物を運ぶ《ウマ》、食べるための《ニワトリ》などだ。

 出入口は、二箇所しかなかった。テサウから来た連中が入っていった北の門と、反対側の南の門だ。一方、外敵を警戒するやぐらは、六箇所もあった。

 王の首級しるしは、コルデによって持ち去られ、行方がわからなくなっていた。しかし、霊威はあきらかで、エビたちは、門に近づくことが出来なかった。

 中に入れない代わりに、彼らは、待ち伏せする作戦をとった。

 農耕民のエクレイタ族とはいえ、全く狩りをしないわけにはいかない。魚を獲ったり、鳥を射たり、木の実を採集したりするため、塀の外へ出てくることがある。

 エビたちは、容赦しなかった。相手が男でも女でも(流石に、子どもが出てくることはなかった)、見つけしだい射殺した。時には、喉をかき斬ることもあった。エクレイタ族は怯え、独りで出歩く者はなくなったが、十人程度であれば、狩人たちの敵ではなかった。

 昼なお暗い森の中を、物音ひとつたてず動きまわり、影のごとく現れて仲間を殺し、風のように消える。おどろおどろしい仮面をかぶった彼らを、エクレイタの民は、闇の神ギヤの化身のごとく恐れた。(エビの方は、自分たちが何にたとえられようと、どうでもよかったが……)門を閉ざし、外へ出て来なくなるまで、長くはかからなかった。

 我慢くらべになった。


 ある夜、火事が起きた。

 塀のなか、夜空を焦がす勢いで炎を噴きあげ、燃える建物があった。エビたちは、森の中から様子を観ていた。人々が逃げまどい、犬たちが吼え、男たちが怒号をあげる。消火のため、ロマナ(湖)の水を汲んで走りまわる騒動を――ある者は茂みのなかから、ある者は木の上から眺め、何が起きているのか考えた。

 その夜から、ニチニキ邑の門は、ますますぴったり閉ざされた。壁のわずかな隙間にも石や布を詰め、侵入者を拒む。……偏執的ともいえる防備を、エビは、冷めた気持ちで観察した。

 所詮、奴らの方から外へ出なければ、生きて行くことは出来ない。テサウ砦に居る者へ、食糧を運ばなければならない。パンサ(麦)だけで生きることは出来ず、肉や魚、毛皮や、焚き木も必要だ。

 連中が耐えられなくなるまで、じっくり待てばよい。一人ずつ、殺すまでだ……。

 トゥークの姿は、全く見かけなかった。ニチニキの内にいるのか、森へ逃げ込んだのか。判らないのは気懸りだったが、目前の復讐の機会を逃すほどではないと考え、探すことはしなかった。

 ――それが、起こるまでは。


          *


 よく晴れた昼さがり。ニチニキの門扉がひらき、数人の人影が現れた。先頭には、頭から外衣をかぶった女。その後ろを、布と毛皮にくるんだ長い荷物を掲げた四人の男たちが続く。

 五人は、身を隠すもののない荒野に、ゆっくり歩み出た。

 エビたちは、早速、木々の下生えに身をひそめた。矢を弓につがえ、射る準備をする。

 門と森のちょうど中間で、女は立ち止まった。男たちが、荷を下ろす。緊張した面持ちで、辺りを見まわしている。

 女が頭にかぶった布を外すと、二本に編んだ黒髪が肩から胸へこぼれ落ちた。頬には、ワタリガラスの刺青がある。

 エビの隣に居た男が、呟いた。

「ルシカだ」

「ルシカ?」

「エールベ(犬使いの男、トゥークの父)と一緒に、氏族を追放された女だ。生きていたとは、な……」

 ワイール族のユイは、こう呟くと、かまえたやじりの先端を女に向けた。弦を引いたものの、すぐに射ることはせず、動きをとめる。

 同氏族のルーナが、首をかしげた。

「どうした?」

「……何か、喋っている」

「…………?」

 ルシカは、エクレイタ族の男たちと話をしていた。何事かを訴えているようだ。そうして、彼らから数歩前へ出て、顔をあげた。

 湖をわたる風が、唸り声をあげて木々を揺らし、ルシカの頬を叩いた。あおられた外衣がばさばさ音をたて、黒髪がなびく。荒野の表面を、砂煙が舞った。……それらがおさまるのを待って、ルシカは声をはりあげた。

「そこに居るのだろう。聴いているのだろう? 森の民の兄弟よ!」

 彼らの言葉で、彼女は言った。ルーナが、舌打ちする。

「裏切り者が。よく言う……」

「まあ、待て」

 エビは、片方の腕を伸ばして彼の肩に触れた。聞いてみようという気になったのだ。

 ルシカは、疲れた土気色の頬を風にさらし、ややかすれた声で続けた。

「兄弟たちよ……。ここにいるハルキは、子を亡くし、やまいによって息絶えた。エクレイタ族の病だ」

 アロゥ族のサンが、はっと息を呑み、マグが、ぎりりと歯を噛み鳴らした。ハルキは、彼らのナムコ(集落)から連れ去られた女たちの一人だ。

 ワイール族とシャナ族の男たちが、顔を見合わせる。

 エビは眼を細め、次の言葉を待った。

「ハルキは、裏切ったわけではない。お願いだ。心あるならば、彼女を連れ帰り、とむらってやってくれないだろうか。」

「……なんだと?」

 サンが呟いた。男たちは、さらに顔を見合わせた。


 エクレイタ族の男たちは、テサウ砦で十数人の子どもたちを殺害し、ディールを撲殺し、遺体をロマナ(湖)へ投げ込んだ。彼らの王の首を、生きながら刎ね、さらした。同胞のマシゥさえ、なぶり殺そうとしたのだ。

 残虐極まりない連中が、何故今さら、一人の女を弔えと言うのか。

 何かの罠か。それとも……?


 ルシカは、細い、消え入りそうな声で続けた。

「ハルキは、還りたがっていた。どうか、願いを叶えてやって欲しい」

 彼女の後ろにしゃがんでいたエクレイタ族の男が、ルシカの衣の裾を引き、何事かを告げた。男たちが、立ち上がる。遺体を残し、先に塀の内側へ戻るつもりのようだ。

 ルシカは、彼らを去るに任せた。両手を胸の前で握り、もう一度、森に向かって立った。

「エクレイタ族の病は、彼らにとってはとるに足らないものだが、我々にとっては命取りとなる。……兄弟よ、ハルキを連れ帰り、もうここへは近づくな。どうか、聞き容れて欲しい」

 エクレイタ族の男たちは、森へと警戒の視線を注ぎながら、後ずさりをして門へ向かった。ルシカも、名残惜しげにハルキを振り返りながら、戻って行く。

 弓弦をひきしぼったまま、ユイが問う。

「どうする?」

 エビは、彼の腕に手を添え、首を横に振った。

 男たちは、ルシカとエクレイタ族の男たちを射殺すことはせず、彼らを去らせた。後には、遺体をくるんだ包みがぽつんと残された。

「…………」

 エビは、軽く溜息をつくと、胸の前で腕を組んだ。ベニマツの根元に腰を下ろす。指示を待つ仲間たちに、ぼそりと言った。

「見張りがいる。今、出るわけにはいかない。夜まで待とう」

 男たちは、手にしていた武器を下ろし、頷いた。



 太陽がハヴァイ山の尾根を越え、空が藍色に染まりはじめた頃。エビは、仮面を用意した。くぐもった声で問う。

「ハルキは、たしか、ロキと同じ。ロコンタ族の出身だったな?」

「そうだ」

 ロコンタ氏族のチャンクが、重々しく頷いた。

「俺たちの姉妹のために、仲間を危険に曝すわけにはいかない」

「いや。それは、ないだろう」

 エビは、肩をすくめた。

 罠と言うには、危険の大きいやり方だった。ルシカがいなければ、彼らはとうにエクレイタの男たちを殺していたからだ。――ルシカがいても、そうしたかもしれない。貴重な労働力である男を四人も犠牲にするくらいなら、連中は、遠慮なくハルキを湖へ投げ込んだだろう。

『すると――』 エビは、ルシカの言葉が気になった。『あれは、どういう意味だ?』


『エクレイタ族の病は、我々(森の民)にとっては、命取りになる。』


 病を癒やす森のテティの霊力が、及ばないということか。彼らをニチニキ周辺から立ち去らせるための、詭弁きべんか……?

 ハルキが還るべきアロゥ族のナムコ(集落)は既になく、遺体を持ちかえることは出来ない。そうでなくとも、今のエビたちは、森の民のナムコへは近づくことが出来ない。

 しかし、遺体を放置しておくわけにはいかなかった。

『……ラナ様は、どうしている?』

 エビは、木製の仮面をかぶりながら、乾いた唇を舐めた。砂と血の味がする。

 ルシカの言葉が、言葉通りとして……ハルキの弔いを行うべきシャム(巫女)は、ニチニキ邑の中にこそ居るはずだった。それなのに、わざわざ遺体を運び出した理由はなんだ? シャムがつとめを果たせなくなっているのか?

『時間をかけすぎたか……。』

 エビは、ほぞを噛んだ。女たちを人質にとられたため、ニチニキを攻めあぐねた。塀の内へ入れないため、待ち伏せを選んだ。――その間に、何か重大なことが起きた。

 ルシカは、彼らにそれを伝えるため、出てきたのかもしれない。

 エビは、仲間たちに声をかけた。

「ワンダ、チャンク、手を貸してくれ。マグとサンは、援護だ」

「わかった」

 男たちは口々に応え、復讐の面に表情をかくした。


 上弦の月が、藍色の夜の底を照らす。波のない湖面のような荒野に、遺体は、顧みられることのないキィーダ(小舟)さながら横たわっていた。

 ニチニキ邑の門扉と塀がおとす影の中を、エビを含む三人の男たちは、足音をたてずに進んだ。残る六人は、森に身をひそめている。

 門に最も近いやぐらの上で、動く影があった。見張りだ。ちろちろと、灯火が揺れている。

 エクレイタ族の夜目がどれほどのものか、エビは、試してみたくなった。

 仮面の男たちは、細くうがたれた穴ごしに、互いの目を見た。軽く頷き、足元の小石を拾う。一人が、わざとヒュッと音をたて、塀の向こうに投げ込んだ。

「…………!」

 櫓の人影が緊張するのが判った。人数も。二人の男がひそひそと話し、塀の内側を指ししめす。返事がした。少なくとも二人の男が、応じている。

 エビたちがいるのと反対の方角から飛んできた矢が、櫓の上にいた男の喉を射ぬいた。

 叫び声があがった。灯火が増え、櫓に人影が登ってくる。二本目の矢が、次の男を正確に射落とす。

 エビは、塀の陰にひそんだまま、仮面の内側でほくそ笑んだ。第三・四の矢は外れたが、月明かりの下でも、エクレイタ族は森の民の敵ではないと判明したのだ。

 エビたちは、ゆっくり荒れ地を横切り、遺体へ近づいて行った。もし、見張りの誰かがふりむいても、岩かと見まごうほどの緩慢さで。

 櫓の上には灯火が集中し、今や真昼のような明るさだった。男たちの怒号がひびく。応戦するエクレイタの男たちを、マグたちは恐るべき冷静さで、一人、また一人と射落としていった。

 エビは遺体に近づくと、顔を覆う布の端をめくってみた。念には念を入れたつもりだった。――見覚えのある女の顔を確認すると、すぐに布をかぶせた。彼の肩を一本の矢がかすめて飛び、土埃をたてた。

「********!」

 見張りが叫ぶ。途端に、降ってくる矢の数が増える。

 チャンクは落ち着いて応戦した。背に負った矢筒から、先端にスルク(毒)を塗った矢を取り出し、確実に当てていく。

 ワンダは、エビとともに遺体の回収にかかった。二人で抱え、走り出す。ハルキの身体は、驚くほど痩せて軽かった。そんな場合ではなかったが、エビの胸は痛んだ。

『ロキは、どうしているだろう』

 ハルキと同じ月の刺青をさした顔を想いかけ、首を振った。



 エビたちがハルキの奪還に成功した頃。ニチニキ邑の反対側で、もうひとつの門の扉が開いた。

 二人の旅装の男たちが、馬の手綱を曳いて現れる。周囲の闇にうかがうような視線を投げると、馬に乗り、鞭を当てた。

 彼らが南へ駆けていくのを見送ることなく、扉は急いで閉じられた。



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