第三章 真の王

第三章 真の王(1)



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 チューム(円錐住居)の立ちならぶ集落の中心には、いくつも篝火が焚かれていた。それを囲むように据えられた丸太の椅子に、氏族長たちが腰をおろしている。各家の代表者である年長の男たち、女たちも。

 明かりが届かない夜の森とのさかいには、ワイール氏族と、避難してきたアロゥ氏族の人々が、息を殺して様子をうかがっていた。

 ワイール氏族長、ロコンタ氏族長よりも上座に、少女は坐していた。ふたつに分けた黒髪を額帯ひたいおびで被い、真新しいユゥク(大型の鹿)の毛皮の長衣に身を包んでいる。清楚でつつましやかな外見とは裏腹に、黒曜石の瞳は煌めき、頬はわずかに紅潮して、高ぶる感情を表していた。

「私たちを、見捨てるつもりだったの」

 確認する。細い声は、ふるえていた。

「捨てて、逃げるつもりだったの……」

「そうではない。シャム(巫女)よ」

 ワイール氏族長が言う。口調も表情も、苦りきっていた。

「落ち着いて、話を聴いて欲しい」

「生き残った者たちを、守るためだ」

 ロコンタ氏族長が、ゆたかな髭を揺らし、口を開いた。

「ラナよ。アロゥ氏のナムコ(村)は、奴らによって破壊された。汝の氏族の者たちは、ここへ身を寄せている。……まずは、その者たちの身の安全を図るのが、先決ではないか」

 ロコンタ氏族長は、ラナの父・アロゥ氏族長の実弟だ。彼を見詰め、ラナは囁いた。

「叔父上」

「これは、汝が父の遺言でもある」

 白髪のまじる眉を寄せ、ロコンタ氏族長は、哀しげに続けた。

「我らは、王にちかいを求められた……テティ(神霊)の掟にしたがい、決して、戦いを仕掛けることはするな、と。我らの方からは――」

「王が、あそこに居るのに?」

 かすれた息で遮る。少女の声は、悲鳴に近かった。

「父さまの首が! 取り戻し、弔いを行おうとは、考えなかったの。私たちが、いるのに……!」

「…………」

『これは駄目だ』 ロコンタ氏族長のとなりに座り、会話を聴いていたカムロは、胸の前で腕組みをした。口の中で、舌打ちする。

 ラナは、感情的になっている。いかりのあまり、冷静な判断ができていない。氏族長たちが何を言おうと、言い訳にしか聞こえないのだ。

『それに――』 カムロは眼を細めた。ラナの背後に隠れるように坐している、男の姿を見ようとする。刺青のない顔にうかぶ、表情を。

 族長も氏族の者たちも、彼の存在が気にかかっていた。

 トゥークだ。


 復讐のためにナムコを去った、九人の勇者たち。もとは十人(アロゥ族のエビとサンとマグ、ワイール族のディールとユイとルーナ、シャナ族のカナとホウク、ロコンタ族のチャンクとワンダ)だったが、ディール(トゥークの兄)を喪ったため、九人になった。――彼らではなく、トゥークがラナを救い、連れ帰ったことは衝撃だった。

 正直、彼をどう遇すればよいのか、判らない。

 いまのラナの心情……怨みには、トゥークがすくなからぬ影響を及ぼしているのだろう。だが、問い質そうにも、彼はラナの傍らを、ひと時も離れないのだ。

 まるで、『王の娘は自分の所有物だ』と、ひとびとに知らしめるかのように……。


 カムロは、嫌な汗が背中を流れるのを感じた。まったく、ぞっとする話だ。よりによって、トゥークが! 俺たちの王になる、だと?

「今すぐ、発つのです」

 鞭よりも鋭く、ラナは言い放った。ロコンタ氏族長をはじめ、居合わせた者たちが息を呑む。

「女たちを、救けに行って。 ロキを、ハルキを」

「ラナ。待て、それは――」

「みんな、まだ生きているのよ!」

 ロコンタ氏族長が宥めるほど、ラナは激高した。手がつけられない……。

 代わりに話した方がよいだろうかと考え、カムロが顧みると、ワイール氏族長はうなだれ、己の膝に両手をついていた。誇り高いワタリガラスの族長が、言葉を失くしている。握った拳が、小刻みにふるえている。

 カムロはおもてをあげ、腰を浮かせた。口を開け、喋ろうとしたとき、誰かが、その肩を掴んだ。

「…………?」

 キシムだった。背後からカムロの左肩をつかみ、押さえ、座らせる。爪が衣ごしにくいこみ、カムロは顔をしかめた。

「……何故、あいつ(トゥーク)をナムコ(村)へ入れた?」

 氏族長の肩をぎりりと掴み、彼(彼女)は囁いた。耳のそばで、舌打ちする。極限までおし殺した声だった。

「あれ(トゥーク)は、ケレ(悪霊)だ。シャムは、ケレに憑かれている……。解らないお前たちじゃないだろう?」

 吐き捨てるように言って、踵を返す。キシムが立ち去る気配を感じながら、カムロは奥歯を噛みしめた。

『ああ、解っているさ』

 胸の奥で、言い返す。彼は、波立つ感情を必死に抑制した。ワイール氏族長の苦悩を慮り、エビたちの行方に思いを馳せ、かろうじて、己を保つ。

『わかっている……。だから、どうしろと?』


           *


 篝火に背を向けて歩きながら、キシムは苦虫を噛み潰した。

『あれは、ケレだ。悪霊をナムコへ入れるなんて! どうかしているぞ。氏族長たちは、何をしていたんだ』

 藍色の闇にしずむ森の中を、男装のシャムは、イライラと歩きつづけた。ナムコから少し離れたところに建つ、ビーヴァのチュームへ向かう。

 青年は、シャマン(覡)の杖を作るために、穢れを祓い、マシゥとともにこもっていた。

『ビーヴァを連れていかなくて、良かった』 と、キシムは思った。あのラナを前にしたら、彼は何と言ったろう。

 テティ(神霊)の世界を訪ね、マモント(マンモス)の大牙を授かったシャマンが、この世を呪う悪霊の憎しみにふれたら、どうなるか。

 それとも……ビーヴァなら。トゥークすら、慰めようとしただろうか。

 目的のチュームの前に来て、足を止める。キシムは息をつき、躊躇した。ラナとトゥークのことを、二人にどう説明すればよいか、判らない。――考えがまとまらないうちに、入口の幕を掻きわけ、マシゥが顔を覗かせた。

「おかえり、キシム。どうだった?」

「…………」

 キシムは肩をすくめた。


 部屋の中心には、火が燃えていた。清めのモナ(炎の女神)だ。シラカバの樹皮の脂を吸って、あかあかと焔をあげる。傍らでは、セイモアとソーィエの二匹が、ユゥクの毛皮の上に寝そべっていた。彼(彼女)を見上げ、嬉しげに尾を振る。

 二匹にじゃれついていた金赤毛のあいのこ(スレイン)が、キシムの足元に駆けてくる。

 マシゥは、火の周りに、ウォカ(酒)を入れた木筒を並べていた。スレインを抱き上げるキシムに、温まった一本を手渡す。キシムは、礼を言って受け取り、腰を下ろした。胡坐を組み、ビーヴァに話しかける。

「調子はどうだ? ビーヴァ」

 火を挟んだ向かい側に座っていたビーヴァは、作業を止め、微笑んだ。手にしていた、作りかけの杖をさしだす。

 マモントの牙から、芯の部分を削り出したものだ。二ナイ(約八十センチメートル)ほどの長さで、表面は未だ荒かったが、すでに鋭利な先端を備えていた。

 キシムは、ウォカを口に含み、感心してみせた。

「もう少しだな」

「どこまで削ればいいか、分からないんだ。キシムの杖を、見せてもらっていいか?」

「お前がいいと思えば、それでいいんだ」

 腰に提げていた杖を抜き、柄の方を差し出しながら、キシムはこたえた。

「シャム(巫女)によって、杖は違う。オレのは、たまたまこういう形だっただけだ。オレが作ったわけでもない。……ユゥクの角のように枝分かれしていたり、曲がっていたり。鳥や、環の形をしているものも、あるそうだぞ」

「腕環のようにですか? 面白い」

 マシゥは興味津々だったが、ビーヴァは黙っていた。まっすぐなキシムの杖を眼前にかざし、鋭さを確かめる。同じマモントの牙から削り出したもののはずだが、キシムの杖はやわらかな乳白色で、ビーヴァのものは灰色がかっていた。

 ビーヴァは、柄に巻かれた滑り止めの皮をほどき、刻まれている歴代のシャムたちのしるしを指でなぞった。眼を細める。

「……いや」

 皮をていねいに巻きなおし、杖をキシムへ返すと、この青年には珍しく、いたずらっぽく微笑んだ。

「俺の師は、キシムだから。キシムにならうよ」

「…………」

 キシムは、一瞬 毒気を抜かれ、言葉を返すことが出来なかった。その表情を確認して、ビーヴァは、牙を削る作業に戻った。


 ラナのことが気にならないと言えば、嘘になる。しかし、今、自分が彼女のために出来ることは何もないと、ビーヴァは考えていた。

 もとより、自分はただの乳兄妹だ。ラナが王として立つとき、何かを主張できる立場ではない。

 今後のことは、氏族長たちの判断に任せるしかない……。

 黒曜石の刀と、ユゥクの角製のやすりで、マモントの牙を加工する。先端の芯から得られた部分を、杖にするのだ。残りの部分は、マラィ(長刀)や腕環にすることが出来る。

 マシゥに手土産のひとつでも作ってやりたいと、ビーヴァは考えていた。故郷で父の帰りを待っているという、幼い子どもの為に――。


 マシゥは、キシムに向き直った。

「カムロたちは、どうしている?」

 ビーヴァの作業を眺めながらウォカを飲んでいたキシムは、眉をくもらせた。

「風向きが悪い。ラナ様は、エクレイタの民に対し、戦いをしかけるつもりだ。未だ捕らわれている女たちを、救い出せと」

 ビーヴァは手を止め、キシムを見た。キシムは、ひょいと肩をすくめた。

「トゥークが、けしかけているのかもしれないがな」

「そんな……」

 マシゥは、溜息を呑んだ。

 コルデたちと森の民の衝突を避けようと、努力してきた。代償は大きかったが、まだ希望は残されていると思いたかった。――故郷へ還り、エクレイタの王に、現状を報告する。コルデたち開拓民の窮状も、森の民の惨状も。平和裏に、開拓民を引き揚げさせることがことが出来れば、と、考えていたのだ。

 森の民の方から戦いを仕掛けては、事情が変わってしまう……。

 マシゥは、背筋が寒くなるのを感じた。――エビ。彼らは、どこにいるのだろう?

 ビーヴァは首をかしげ、別の質問を返した。

「トゥークが。何故?」

「…………」

 キシムは今度こそ、お手上げだ、という風情で首を横に振り、二人に横顔を向けた。苦虫を噛み潰す。

『あいつはケレ(悪霊)だ』と――言うのは簡単だが、マシゥには、意味が分からないだろう。ビーヴァには、また違った意味となる。

 シャム(巫女)がケレに憑かれているなんて、ビーヴァに報せて、どうするのだ。


 キシムがこたえなかったので、ビーヴァは、独りで考えた。トゥーク……あの少年に対しては、不思議と、何の感情も動かない。

 マシゥを連れてきた、刺青のない少年。彼らが自分たちを欺き、コルデを連れて来たのだと誤解していた間は、怒りもわいた。しかし、そうではないと理解し、ディールの事情を知った時は、気の毒に思えた。

 ディール。――ビーヴァは、焔を見詰めているキシムの横顔を見遣った。――直に言葉を交わしたことはなかったが、責任感の強い、誠実な男だったと思う。父と弟の所業に、苦しんでいた。

 ……気の毒な、ディール。エビの息子とロキを救うために、己の命を投げだした彼の行為を想うと、ビーヴァの胸は痛んだ。

 最期まで、弟の身を案じていたのに。ラナを救けたとはいえ、兄の死後に還って来たトゥークは、いたたまれないのではないだろうか。少年の母は、まだワイール氏族のナムコ(集落)にいるはずだ。どうしているのか……。


 薪のはぜるパチンという音が、部屋にひびく。ソーィエとセイモアが、そっと鼻を鳴らした。キシムの懐で、スレインがあくびをかみ殺す。

 三人は、しばらくの間、それぞれの思いに沈み、黙りこんでいた。


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