第一章 麦の民(6)



          6


 コルデは、少女の手首を掴んで立たせると、酔った部下たちには構わず歩き出した。広場の喧騒に背を向け、例の木戸をぬけて、《女の庭》を後にする。むらさきと藍の影にひたされたむらの中を、大股に進んでいった。

 ラナは、無残に裂かれた衣を片手でかき合わせ、片方の手首を引かれてゆきながら、絶望的な気持ちになっていた。単に、苦痛が先延ばしにされただけのことだ。――ハルキは大丈夫だろうか? ロキは。ニレはどうしているだろう。――案じてはいたが、どうすることも出来ない。殴られた頬の痛みと、己の無力を噛みしめた。

 似た建物がならぶ通りを、コルデは迷うことなく歩き続け、ある小屋の前で足を止めた。女たちの家の大きさに比べれば、小屋と表現するのがふさわしい。特別な違いがあるわけではない――しかし、それが開拓団長の住処だった。

 コルデは、扉を開くと、火の気のない部屋の中にラナを引きいれ、乱暴に突き飛ばした。

 テサウ砦と同様、石と土で築かれた小屋の床はむき出しの地面で、石づくりの寝台が置いてあった。突き飛ばされてよろめいたラナは、寝台に重ねられた枯れ草と布の上に倒れこんだ。

「…………!」

 慌てて身をひるがえす少女の上に、コルデは無造作にのしかかった。息を呑むラナの華奢な腕をまとめてつかみ、抵抗を封じると、音をたてて衣を裂く。暗がりにしろく浮かび上がる少女の膚と、そのおもてを飾るテティ(神霊)の紋様をあざけるように、小さな乳房をもみしだき、ほそい首すじを舐め上げた。

「いや! あ」

 ぞわぞわと背筋を這い上がる悪寒に、ラナは仰け反った。

「やめて……離して」

 弱々しい抵抗をかえって面白がるように、コルデは、彼女の乳首を口に含んだ。おののく腿をなであげ、未熟な身体に指をさしいれる。

 ラナの身体が跳ね、悲鳴とも嗚咽ともとれる高い声があがった。限界まで反らされた背中が、こきざみに震えはじめる。

「……あぁ……」

 喘ぐ息に、溜息が混じった。己の意思に関係なく、翻弄されてしまう。嫌悪感に固く眼を閉じるラナの脳裡に、懐かしい幼馴染の顔が浮かんだ。

 火焔ほのおの刺青も鮮やかに、精悍な狩人のすがたを思い浮かべる。彼女の胸に、衝撃が走った。

『ビーヴァ』

 今頃になって、どんなに彼が自分を大切にしてくれていたのかを知ったのだ。その庇護の意味を。

『ビーヴァ。私――』

 ラナの頬を、涙が伝い落ちた。


 その時、

 扉を、性急に叩く音がした。気づいたラナが、呼吸を止める。バリバリと乱暴な音をたてて、うすい扉が破られた。

 コルデは、少女をもてあそぶ仕草を止め、胡散臭げに振り向いた。

 ラナは、激しい胸の鼓動を感じながら、男の肩越しにそちらを見た。

『トゥーク?』

「……なんだ。お前か」

 不機嫌なコルデの口調にも、表情を変えず。少年は、扉を蹴やぶった姿勢のまま、そこに立ちつくしていた。赤紫の宵を背に浮かぶ輪郭に、ラナは、異様な気配を感じた。

 コルデは、苛立ちを隠そうとはしなかった。

「何の用だ。扉を閉めろ」

 言い捨てて、再び少女に身を沈める。喘いで背を反らすラナの耳に、凍るような声が響いた。

「親父はどこだ?」

 コルデの動作が止まったので、ラナは、うすく眼を開けて彼を見ることが出来た。そうして、トゥークの瞳に宿る光の鋭さに気づく。

 少年は、ラナの存在にも、開拓団長のふるまいにも、全く動じていなかった。

『トゥーク……?』

 くらい不安を感じて、ラナの項の毛が逆立った。

 コルデは、うんざりした様子で振り向いた。

「何だと?」

「親父をどこへやった」

「ああ」

 馬鹿にした声をあげた後で、少年の思いつめた気配に気づいたのだろう。コルデは舌打ちして、彼に向き直った。と言っても、相変わらずラナを身体の下に敷き、横たわった姿勢のままであったが。

 ラナには、エクレイタ族の言葉が解らない。コルデの口調に含まれる嘲りの響きから、会話の内容を推し量った。

「どこへ隠れたと思っていたら。今まで探していたわけか、あいつを」

「…………」

「奴なら、湖の底だ。とっくに骨になっているだろうよ」

「…………」

 ざわり。

 戸口から吹き込んできた生温かい風が、佇む少年の黒い輪郭を揺らし、ラナの頬をなでた。トゥークの顔は、仮面のように動かなかった。

 コルデは、ふんと鼻を鳴らして嗤うと、さらに勝ち誇って続けた。

「お前が、使者(マシゥ)と一緒に出かけた後だ。こいつらの居場所を吐かせるために、少々痛めつけてやったのさ」

「…………」

「面白かったぞ。最初は、テティ(神霊)と王を裏切れないなどとぬかしていたくせに。お前と女(ルシカ)の生命とひきかえに、あっさり王の居場所を吐いた。……ワイールだったか? お前の氏族の住みかも、他の仲間の居場所も白状した。礼を言うぞ。これで当分の間、俺たちは、喰うものに困らない」

 ぴくとも動かない少年に、コルデは、侮蔑と冷笑を吐きかけた。

「親父に免じて、貴様と女の生命は助けてやる。何処へでも消え失せろ」

 その途端――

 石さながら立ちつくしていた少年が、うおーっとも、わあーっともつかぬ大声をあげた。驚いて眼をみひらくコルデに、黒い影が覆いかぶさり、鈍い音とともに血が飛び散った。愕然とするラナの頬に降りかかり、むせかえる生の匂いをたちのぼらせる。

 コルデは、一瞬、己の身に起きたことが信じられぬといった表情で、腹に刺さった槍の柄を見下ろした。みるまに、その顔が苦痛と憎しみに歪んだ。

「き、さ、ま――!」

「うわぁーっ!」

 トゥークは吼え、一度抜いた槍を、再びコルデの腹に突き刺した。噴きあがる血をものともせず、男の上に乗りかかり、二度、三度と突き立てる。彼を止めようとしたコルデの手は、虚しく空をつかんだ。ラナの身体をのりこえ、どす黒い血を盛大にまき散らしながら、寝台から転がり落ちる。

 トゥークは、攻撃をやめなかった。五度、六度と突き、九度、十度と殴りつける。肉が裂け、骨の砕ける音が、土の壁に響いた。

 ケレ(悪霊)に憑かれたゴーナ(熊)さながら攻め続けていたトゥークが動きを止めた時、コルデは、床に出来た血だまりの中で、ひくひく動く肉塊と化していた。


「…………」

 トゥークは、しばらくの間、肩で息をしながら死体を見下ろしていた。血に染まった両手で、トウヒの枝から削り出した粗末な槍を握りしめている姿は、まるで、コルデが息を吹き返すのを恐れているようだった。――やがて、それがないと確信したのだろう。彼の肩がゆっくりと下がり、腕から力が抜けるのを、ラナは、呆然と見詰めていた。

『コルデが、死んだ……?』

 長衣を胸元にかきよせ、信じられない気持ちで考える。

『え……。トゥークが、殺した?』

 マシゥとともにナムコ(村)に現れ、自分たちを欺いた少年。碧眼の男(コルデ)の言うなりに、タミラを殺し、父王を死に至らしめた。女たちを幽閉し、子どもたちを殺された母親の憎しみを、一身に浴びている裏切り者――トゥークが。

『どうして?』

 少年の内心の動きを知る由もないラナには、全くわからなかった。

 と。

 トゥークが振り返り、ラナは、はっと息を呑んで眼を伏せた。しかし、少年はシャム(巫女)には興味がないようで、殺したばかりの男に視線を戻すと、左手の甲で口元をぬぐった。死体から目を離さず、慎重な足取りで周囲をめぐり、炉へ近づいていく。

 ラナは、ごくりと唾を呑んでその様子を見守った。

 トゥークは、なおもコルデへ視線をそそぎながら、炉の中の灰へ槍を突っ込み、掻きまわした。隠れていた小さな火種が、顔をのぞかせる。ちらちら瞬き、槍に細く絡みつく。藍色のしめった煙が立ちのぼり、穂先に緋い火が点った。

 トゥークは、右手で槍をかかげると、左手を伸ばし、寝台の上の枯れ草を無造作につかみとった。コルデの血が染みたそれを、炉の中に投げ入れる。――森の民の感覚では、火の女神モナを穢し、怒らせる行為なので、ラナは身ぶるいした。

 炎が勢いを増し、二人のこわばった頬を紅く照らしだした。

 そして、

「…………!」

 トゥークが手を伸ばし、ラナの腕を掴んだ。血まみれの爪が肌にくいこみ、ラナは悲鳴を呑んだ。

 トゥークは、怯える少女を気遣う風もなく、彼女をぐいと引きよせた。

 ラナは、一瞬抵抗しかけたものの、引かれるままに寝台から降りた。感情の窺えないくらい瞳に、逆らわない方がよいと感じたのだ。

 トゥークは、左手で彼女を捕まえ、右手に掲げた槍で、寝台に火を点した。寝乱れた草の山が、ぱちぱち音をあげはじめる。

 少年に引かれて小屋を出て行きながら、ラナが振り返ると、コルデの姿は炎に包まれて、黒い塊にしか見えなかった。



 北の地の夏の夜空は、低い太陽に照らされて、鮮やかな朱に染まっていた。建物の影が、威圧するようにそびえている。生あたたかいクルトゥク(南風)が、ヒューッと乾いた音をたてて、谷間を駆け抜けていく。

 ラナは、ぞっとして立ち止まった。トゥークに掴まれた腕が、じんと痺れている。

 トゥークは身を反らして勢いをつけると、くすぶり続けている槍を、コルデの小屋の屋根めがけて放り投げた。

 槍は、うすむらさきの煙の尾をひきながら、草葺きの屋根に乗って、見えなくなった。ラナは、小屋の中の火の勢いがしだいに激しくなっているのが気になったが、トゥークは踵を返して歩き始めた。

 ラナは、腕を引かれ、つまづきながら歩きだした。

 直後に、ぼんっと音をたてて小屋の屋根から炎があがった。かわいた木のはぜる音と、燃える風の匂いに、ラナは、振り返りたくなる衝動を必死に抑えた。

 犬たちが吼え始める。火事に気付いた男たちの、叫ぶ声がする。

 トゥークは、一切振り返ろうとはしなかった。建物の間をぬう細い路地を進んでいく。歩調は徐々に速くなり、ほとんど小走りになった。

 背後の騒ぎが、しだいに大きくなっていく。いまロキたちを救いに戻ることは、不可能だろう。――ラナは、引きちぎられそうな腕の痛みに耐え、走り続けた。

 どれくらい進んだだろう。

 小屋の集まる場所を抜け、邑を囲む壁のところまで来て、トゥークは立ち止まった。ラナは、息切れを起こしていた。

「待って。お願い……。逃げないから、はなして」

「…………」

 トゥークは、感情のうかがえない平板な眼差しを少女に当てると、掴んでいた腕を離した。しかし、それはラナに懇願されたからではなく、壁をかたちづくる柱の一部を、横へずらす為だった。

 膝の高さに突然ひらいた三角形の穴を、ラナは驚いて見下ろした。トゥークが肩を押して促す。腰をかがめて穴を通り抜けながら、ラナは納得した。

 エクレイタ族とともに、長く暮らしていたトゥークだ。邑の中と森を繋ぐ、このような抜け穴を、いくつも知っているのだろう……。

 壁をぬけると、外には、少女の背がすっぽり隠れるくらいの深い溝が、壁に沿って掘られていた。立ちすくむラナの腕を、後から出てきたトゥークが再び掴む。ずらした柱の位置を元へ戻すと、少女を連れ、斜面を半ば滑りおりた。

 溝の底へつくと、トゥークは、先に立って歩き出した。ラナがよろめくのも構わず、ぐいぐい腕を引いていく。溝が浅くなっているところで、邑と反対側の斜面を登り、森を目指す。

 ここまで来て、ラナは、ようやく振り返ることが出来た。コルデの小屋の燃える煙が、黒い渦をまいてあかい空へ上っている。犬の吼える声と、男たちの叫び声が、辺りに木霊している。

 腕の痛みに、抗議をこめてトゥークを見遣ったラナは――歯を喰いしばる少年の頬に、涙が流れ、細い顎が小刻みに震えていることに、気付いた。

 トゥークは、片方の腕でぐいと目元をこすり、歩き続けた。

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