第四章 巫と覡(4)



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 犠牲となった子どもたち全員の弔いが終わる頃には、既に日は西へかたむき、ハヴァイ山脈の向こうへ隠れようとしていた。

 篝火は小さくなり、ぶすぶす不平をもらしながら、黒い煙をあげている。祭壇の装飾はとりはらわれ、丸太やトレン(板琴)は片付けられた。

 葬儀に参加した男たちは、各々の家族のもとへ帰っていった。キシムも、巫女の装束を脱ぎ、女たちの用意した食事をとると、自分で建てた仮小屋へひきこもった。

 ときおり、チューム(円錐住居)のなかから嗚咽が洩れ聞こえることはあったが、ナムコはおおむね落ち着きを取り戻していた。

 集落を棄ててきたアロゥ族の人々は、そのまま、ワイール族のもとへ身を寄せることになった。コルデたちは彼らの村の場所を知っているので、再び襲撃される惧れがあるからだ。――もっとも、コルデの許にはトゥークがいるので、ここも安全だとは言いきれない。

 ワイール氏族の長は、残った二人の仲間たち(ロコンタ、シャナ族長)に、苦い声で告げた。

「我らは、この地を離れようと思う」

 カムロ(シャナ族長)は、咄嗟にロコンタ族長と顔を見合わせたが、反対する言葉は思い浮かばなかった。そんな彼を冴えた瞳で見据え、ワイール族長は続けた。

「奴らが追って来られない、森の奥へ……。サルゥ(川の名)を遡り、ハヴァイ(山)の懐に隠れるつもりだ。女と子どもたちを、危険にさらすわけにはいかぬ。奴らの動向を見極めてから、次の手を考えよう」

「そうだな……。それがよかろう」

 ロコンタ族長は、長い顎髭を片手でしごき、重々しく頷いた。

「奴らが、か弱き子どもたちすら容赦しないということが、これで解ったのだからな……。持てるものを全て持ち、氷河を越えたところで落ち合うことに、我らとしては異存はない」

 そう同意を求めてシャナ族長を見遣ったが、カムロは視線を落とし、すぐには頷くことが出来なかった。二人の言うことは理に適っている。氏族を率いる者として、ここは仲間の安全を確保することが最も重要だと、理解していても。

 王を護るつもりで砦に向かいながら、何も出来なかったという事実――。家族を奪われたエビたちが、生命を賭し、戻れないことを覚悟のうえで復讐に向かった姿が、胸に焼きついている。

 ロコンタ族長が、そっと彼の肩に触れた。

「シラカバの弟(シャナ族長)よ。口惜しさは解る……我らとて、何ゆえこちらが逃げねばならぬのかと、はらわたが煮える思いだ。だが、自重しよう。王とのちかいを、忘れてはならぬ」

 ワイール族長が、低い声で付け加えた。

「我らが無事でさえあれば、戦いに赴いた者たちの行く末にも、希望があろうというもの」

 カムロは、さっと顔を上げ、猛禽を想わせる男の顔を見た。ワイール氏族長は、厳しい表情で彼を見返し、頷いてみせる。黒い瞳の表面で、金の陽光が反射する。その輝きを目にしたカムロは、この男もまた、身のうちに嵐を抱いていることに気付いた。

 カムロは唇を噛んだ。握った手に力をこめる。

 若者の反応を見守っていたロコンタ族長が、静かに言った。

「明日、我らはナムコへ戻り、準備をととのえよう。本当の闘いは、これからだ……」


       *


 ビーヴァは、チュームの傍らに腰を下ろすと、集めてきたマツの枝を積み、石を打ち合わせた。ソーィエとセイモアは、おとなしく彼の仕草を見詰めていたが、スレインは、石のぶつかる音にビクッと身を縮め、青年の靴の間にうずくまった。

 やがて、緋色の炎が薪を包み、地面を明るく照らし始めると、ビーヴァはブドウツルの袋を取り出した。途端に、ソーィエとセイモアが、そわそわ尾を振りはじめる。口を開けてだらりと舌を出し、期待をこめて彼を見上げる。

 ビーヴァは、干し肉を割いて二頭に与えた。小さくちぎったものをスレインの鼻先に差し出すと、仔犬は躊躇いながらぺろりと舐め、それから頭を振ってかじりついた。

 ビーヴァは、三頭の食事風景を、ぼんやり眺めていた。それから思いついて自分用のシム団子を焼き、煮炊き用の革袋を火に架ける。怪我人のために、食事を作らなければならなかった。何を作ればいいだろう……。

 王が死に、エビが去った今。ビーヴァは、マシゥの世話をするのは自分の役目だと感じていた。誰かに言われたわけではない。ワイール族の女たちには余裕がなく、マシゥにとって、その方がよいのではと思われたのだ。

 焼いたシム団子を崩して水のなかに入れ、干したホウワウ(鮭)の身とヌパウパ(ヤマニラ)の葉で味をつけた。すこし考えて、なけなしのウオカ(酒)を注ぎ、シラカバの枝でかき混ぜる。

 あたたかな粥の匂いに、ソーィエとセイモアが、鼻をひくつかせた。

 ビーヴァの胸には、なんの感情もわいてこなかった。――身体を動かしていた方がよかった。義務を果たしているうちは、悲嘆や絶望にとらわれずにすむ。

 そんな彼の足元に、人影がさした。

「ビーヴァ」

 ソーィエが、甘えた声で吼え、腰ぜんたいを揺らして尾を振った。顔をあげる前から、ビーヴァには相手が分かった。

 金と紫のまじった夕暮れの日差しに身体をふちどられたキシムは、片手を腰にあてて彼を見下ろすと、けだるく顎をしゃくった。

「話がある。入っていいか?」

 ビーヴァに断る理由はなかったが、キシムの方も、本気で許可をもとめたわけではなかった。脚にまとわりつく三頭をかきわけ、彼の傍らをすり抜けると、チュームの入り口を被う毛皮をめくった。当然のように。

 ビーヴァは、出来たばかりの粥を椀に入れ、彼女のあとに従った。


 キシムは、薄暗い部屋の中心に立ち、死んだように眠る男の顔を眺めていた。木の枝を並べたうえに樹皮を敷き、ユゥク(大型の鹿)の毛皮を重ねてつくった寝床。そのなかに、マシゥは半ば埋もれるように横たわっていた。

 頬はこけ、閉じた瞼のふちには、暗い翳がよどんでいる。唇は藍色がかり、血の気をうしなった膚は、蒼白いのをとおりこして土気色に変わっている。ところどころが擦り切れ、赤黒く腫れていた。

 無論、毛皮におおわれたところにも、目で見える以上の傷を負っている。ビーヴァがその一つ一つを洗い、軟膏をすりこみ、折れた骨に副木をあてたのだ。髪には白いものが雑ざり、疲れきった身体に精気はなく、ロマナ湖畔にうちあげられた流木のようだった。

 ビーヴァはキシムと並んで立ち、粥を入れた椀をさし出した。キシムは、首を横に振る。ビーヴァは溜息をつくと、マシゥの側に片膝をついた。

 彼がマシゥの口に粥を流しいれようとしているのを見て、キシムは片方の眉を持ち上げた。

「目を覚ましたのか?」

 ビーヴァは手を休めず、返事の代わりに、ちらりと彼女を一瞥した。キシムは肩をすくめ、口を閉じた。

 ビーヴァは、シラカバのさじで粥をつぶし、ひとすくいずつ丁寧に運んでいった。マシゥは眼を閉じたまま、時折こぼしつつ飲み込んでいく。根気の要る作業を、キシムは立ったまま見守った。

 チュームの外で、セイモアたちがふんふん鼻を鳴らす音が聞こえた。

 しばらくして、キシムが口を開いた。

「ひとつ訊くが、あのロカム(鷲)は、お前の知り合いだったのか?」

「…………」

 ビーヴァは、今度は手を止めた。首を横に振る。キシムは、音のない溜息をひとつついた。

 ビーヴァが顧みると、彼女は複雑な――憐れんでいるような、畏怖しているような、同時に、やや羨望の入り混じったような眼差しを、彼に当てていた。

「ビーヴァ」

 胸の前で腕を組み、おもむろに、彼女は繰り返した。

「お前の巫力は、凄いと思う。だが……お前は、テティ(神霊)に対して無防備すぎる」

 ビーヴァは項垂れた。キシムはマシゥを見遣り、軽い舌打ちとともに付け加えた。

「ムサ(人間)に対してもだ」

「…………」

「あんな風に、いきなりシャマン(覡)にのりうつられて、テティが無事に済むと思うのか。お前もだ。無理な憑依をするものではない。元に戻れなくなったら、どうするつもりだったんだ?」

 ビーヴァは、椀を持った手を下ろし、改めて彼女に向き直った。

「戻れなく、なる……?」

 キシムは、むずかしい顔をして肯いた。

「テティのちからが強すぎたり、身体から遠く離れすぎたり、時間がながすぎたりすると、戻れなくなることがある」

「…………」

「それだけじゃない。ロカム・テティに憑依して、お前、どうするつもりだった? まさか、何の関係もないテティに、ムサ(人)殺しをさせるつもりだったわけじゃないだろうな」

 ムサ殺し。再びうつむきかけていたビーヴァは、この言葉にはっとして面を上げた。

 キシムは、眉間に皺をきざみ、頷いてみせた。

「それはケレ(悪霊)だ。お前は、すんでのところで、あのテティをケレにしてしまうところだった。そうなれば、お前もロカムも、もう戻れない」

「…………」

 キシムの言うとおりだった。


 ビーヴァの脳裡に、セイモアの家族を惨殺した牝ゴーナ(熊)の姿がうかんだ。かつて実父を殺し、王の片脚を傷つけたゴーナも。――狩をするもの同士、えものではないテティを殺めたり、ムサを殺したりしたテティは、ケレ(悪霊)に堕ちてしまう。

 ケレに堕ちたテティは、いきものを殺すことしかできなくなる。

 夢中だったとはいえ、己が陥りかけていた危険に気づき、ビーヴァの頭から血がひいた。冷たい汗が背を伝う。

 彼の表情の変化をみていたキシムは、ふと口調を和らげた。

「わかればいいんだ。今度は、気をつけろよ」

「うん」

 頷きかけて、ビーヴァはいぶかしんだ。

「……今度?」

 キシムは黙って、彼の前に小さな革の袋をさしだした。白いユゥクの腹仔の革の表面に、生命の樹をぬいとりした、特別なものだ。彼には見覚えがあった。

 ビーヴァはその袋を見詰め、キシムの顔を見て、また袋を見詰めた。しだいに、意味がわかってくる。

 彼は、呆然と呟いた。

「キシム」

「オレよりお前の方が、これが必要だと思う」

 男装のシャム(巫女)は、静かに言った。

 ビーヴァは、ゆっくり立ちあがった。手にした椀の存在は、すでに頭から消えていた。

「キシム……」

「行くんだろう?」

 それは質問ではなく、確認だった。

 ビーヴァは、キシムが自分以上に自分の考えを理解していると知り、ごくりと唾を飲んだ。いちど下がった血液が、再び頭にあがってくる。身体が熱をおびはじめる。

 つよい意志を秘めた瑪瑙色の瞳をみつめ、彼は肯いた。


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