第5話 今回の結末

 結論から言えば、失敗した。

 私の足元には、モノとなりはてた秀臣の姿があった。見上げれば、彼の住まいとなる場所にベランダが見える。次第に騒々しくなる中、秀臣の最も側にいる我々に違和を感じるものはいない。


「さぁさぁ、天ちゃん……いや、あえて司書、時空天ときそら てんって呼んじゃおうかねぇ」


 隣に立つ虎子が楽しげに手を差し出してくる。指をくいくいと動かし、私に行動を促してきた。

「彼の……邪馬中秀臣やまなかひでおみの本をこちらに渡してもらえるかなぁ?」

「わかりました。特に拒否する理由もありません」


 手にしていた革製表紙の本を渡す。その題は、金の箔押しで「邪馬中秀臣」となっていた。その題字は、金色が次第にくすみ、表紙に吸い込まれるようにして薄れていく。人の死であり、本の死である。

 受け取った虎子は徐に本を開いて、最後の一文を見る。そこには彼の死亡日時や死因が書かれていた。状況から察するまでもなく、自殺――である。


「まぁ、最初から失敗するとは思っていたけどねぇ」

「それでも、やらねばならないのですよ」

「ふむふむ、ところで――天ちゃんは失敗の原因を運命のせいにしちゃう?」


 いたずらっぽい笑みで、虎子は問いかける。周囲に制服を着た警官が集まりだし、ブルーシートがかけられる。秀臣の死体に、シートがかけられたところで我々はその場を後にした。


「本に書かれた結末を変えることは容易ではない――ということでは運命でしょう。ですが、虎子が告げているのはそういうことではないでしょう?」

「そうだねぇ……もしかしたら、もっといい手段があったんじゃないかって思うだけだよぉ。同じことは、同じ人間が生まれてこない以上、起きないだろうねぇ。だけど、私はこう思うのさぁ。考えることをやめたら、それは、抗うことをやめるのと同じなんじゃないかってねぇ」


 では、と口にしてタブレットを取り出す。

 ストーカーが喉から手が出る程欲しがるであろう、一人の人物にフォーカスを当てた映像記録。この装置の未来的あるいは超科学的な機能をフル活用して、私は思考を戻すとしよう。あのとき、あの場所――まずは秀臣が死んだ瞬間に――。



 死亡日時――×月××日××時××分。

 これは揺るぎない日付、揺るぎない時刻である。何によって決められたのか、と問われれば、応えることは出来ない。あえて、誹りを引き受けて告げるなら、神様によって決められたと言うべきなのだろう。


 予め決められているのならば、この瞬間を見届けるのは簡単である。じっとタブレットを覗き込み、彼の姿を観察する。死亡する数分前――彼は起きてすぐに携帯電話を開いた。電話時間の約束、たった5分だけという無為な約束を彼は守り続けていた。しかし、次第に終了するタイミングで手が震えて汗を額に浮かべているのを私は確認している。


 だが、その日の彼はスッキリとした表情だった。穏やかといってもいい。柔らかな笑みを浮かべ、双眸は前をしっかりと見ていた。終始にこやかに話をしていたが、問題が一つ――彼は話しながらベランダに向かっていた。通話が限界に近づく数秒前、彼はついに手すりを乗り越えた。


 ゆっくりとした時間の流れを感じつつ、私は秀臣の体が落ちていくのをタブレットの画面越しに眺めていた。携帯は彼の手を離れ、並行して落ちていく。私は一時停止を行い、その表情を伺った。


 死にゆくものにしては、あまりにも安らいでいた。祈るように目をつむり、口角はゆるやかに上を向く。笑っているのだ。そして、地面と彼は衝突する。映像はそこでブラックアウトした――。


 私は、天を仰いで嘆息する。いつもの図書館のような場所――革張りのソファに背中を預けて額に手を当てた。

 虎子のいわんとしたことが、なんとなく察せられた。考えをまとめながら、私はゆっくりと語りだす。


「恋愛の感情は、必ずしも不純なものではないでしょう。むしろ、純粋にすぎることがあるほどです」


 虎子はソファに寝そべりながら、にやにやと笑みを浮かべて、私の言葉を聞く。


「そう、つまり、秀臣はあまりに純粋に深白を求めすぎたわけです。なるほど、私は確かに彼を活かすために『希望』を与えました」

「希望ねぇ。まぁ、一時的には希望だろうねぇ」


 秀臣の本に、私は黒インクで一筆を追加した。当初の予定であれば、彼は絶望の中で自殺をする。ならば、希望をあたえてやればいいという考えのもと、「条件付きで深白の声が聴こえるようになる」ようにしたのだ。運命というべき、本への介入は一定のルール内であれば可能である。


 その一つに、対象以外の運命に干渉することは不可能というものがある。つまり、私が秀臣に対して行使できるのは、秀臣だけに影響のある範囲だけだ。だから、あのルール――五分以内に誰にも見られない状態で、誰にも話してはいけない――というものを制定した。


「私は、彼が深白の声を幻とはいえ聞くことで、希望を見いだせると考えていました」

「だけど、それは無意味だった」

「それは違います。死に抗わせるという部分では、たしかに無意味だったといえます」


 ――私は否定する。


「ですが、彼は、少なくとも絶望ではなく希望の中で死んでいきました。私は……それは意味があったと思います」


 そう、全くの無意味と否定することで私は自らの行いを正当化する。正当化しなければ、続けることが出来ないと私は知っている。私は、弱い。弱くて仕方がないから、抗うのだ。何にと問われれば、自らの境遇とこの運命という糞みたいなシステムに――。


「恋愛は、依存なのか信仰なのか」

「それらを考えることに意味はあるのかなぁ?」

「意味があるかどうかは、わかりかねます。ただ、私は考えることを止めないだけです。類似事例があったとき、依存であるか信仰であるかで対処方法は変わるでしょう。単なる依存であったなら、秀臣は死ななかったのではないかとも思うのです」


 依存が対象不在により絶望へ向かうのなら、信仰は対象不在から希望を見出して進む。ただし、向かう先が同じ場所なだけだ。


「あの世というのがもしあれば、願わくば、彼らがまた出会えることを望みます」


 私の言葉に、虎子は皮肉たっぷりに――こう告げた。


「ロマンチスト、だねぇ」

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時空天のライフブック―人生図書館― @mikage_NT

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