第4話 今回の考察

 人生、生き様、運命、エトセトラエトセトラ。

 人間を縛り付ける不可視な力というものがあるとして、さて、よくも、悪くも……誰もが漠然と信じている。そのよくわからない何かを、人はどこまで信じ切ることが出来るだろう。


 S県立大学キャンパスの購買前で、私はパックのミルクコーヒーに舌鼓を打つ。甘ったるくて仕方がないのに、何か惹きつけられるように購入してしまった。


「赤い糸を虎子は信じていましたか?」


 不可視の力の代表格といえば、「運命の赤い糸」は上位に来る存在だろう。


「青春真っ只中、麗しき美人女子高生であった私も、一瞬は運命の赤い糸を信じたものです」

「人の声真似を真似して捏造しないでください、虎子。私は、あなたが信じていたかを聞いているんですよ」

「ふぁあねぇ?」


 購買で買ったみたらし団子を頬張りながら、虎子は首を傾げる。


「そんな時代もあったかもしれないねぇ」


 指についた蜜をなめとり、ついてきた紙ナプキンで手を拭う。ほっと満足そうな顔をしていたかと思えば、抱きつこうとしてきた。するりと彼女の腕から抜け出して、私はジュッとミルクコーヒーを飲みきる。

 二人して一緒にゴミを棄てに行っていると、学生たちが学舎からわらわらと姿を見せる。その中に、数日前と打って変わって明るい表情をした秀臣の姿があった。


「それで、赤い糸がどうしたっていうのぉ?」

「いえ、彼にとって深佐和深白は運命の赤い糸で結ばれた相手だったのかと思いまして」

「天ちゃんがそれ言うと、皮肉っぽいよねぇ」


 いたずらっぽい笑みを浮かべ、虎子は歩き出した。彼女は秀臣を連れてきたときと同じく、やや露出気味の格好をしていた。

 私はそんな彼女にいわれるがままの服装だ。清楚に決めようとかなんとか。長袖のワンピースで露出が少ないのはありがたい。

 二人並べばかなりチグハグになるのだが、誰も気にする様子はない。秀臣ですら気づくことなく、まっすぐに歩いていく。いささか、早足。何を急く必要があるのか、人波をくぐりながら進む。


「すこーし、イヤな感じだねぇ」


 くすりと笑う虎子を横目に、私は秀臣の背中を追った。正直なところ、タブレットで彼の姿を追い続けるだけでことはたる。しかも、猶予はまだあるのだ。


「あの子、サークルに顔を出すかなぁ。人と会うかどうかは、一つの指標だよねぇ」


 虎子の笑みが、嫌な方向に深まる。こちらを見たかと思えば、眉間を指でなぞられた。手を払って、抗議の目を向ける。


「何をするんですか」

「さっきから、眉間、シワ寄せてるよぉ?」


 自覚し、反論はできず、無言で虎子から視線を外す。秀臣との距離があいていた。彼はキャンパス前の横断歩道を渡り、自宅への道を行く。


「あ」


 追っ掛けようとして、信号が変わる。気にする必要はないのに、慣れ親しんだ因習が体を縛る。

 踏み出せずにいると、虎子が私を抱えてきた。何をするつもりなのか聞くより先に、跳躍――いや、飛翔した。



 どこかのマンションだかビルの屋上で、フェンス越しに秀臣の姿を見る。足早に戻ってきた秀臣はそそくさと家の中へと入っていった。誰にも会わず、まっすぐに家に帰る。

 彼の行動に思考を走らせる前に、私は虎子に告げた。


「……あまり、無茶はしないでください」

「誰もあたしらに気づきはしないんだよぉ。別にいいじゃんかぁ?」

「万が一……ということもあります」


 万が一が起こってくれる方がいい、そんな気持ちを隠す。

 タブレットを開き、中の様子を確認する。案の定、秀臣は携帯で恋い焦がれる相手の声を聞いていた。5分経てば、最初に告げたルール通りに、会話が終わる。秀臣は電話を切ると、天井を仰いで呆然としていた。


 会話中はハツラツとした表情をしていたにもかかわらず、終われば意気消沈も甚だしい。躁鬱の気配はあるものの、大学での行動はいち早く家に帰るという一点を覗いて、不審な点は見られなかった。


「あるいは天ちゃんの目は節穴ってことかなぁ?」

「人の思考を邪推して、喋りかけないでください」

「ははは、ごめんごめん」


 まるで悪びれる様子なく、虎子は大きく笑い声を上げた。フェンスに背中を預けて空を見上げる。ふふりと笑みを静かにして、まだ、言い募る。


「まぁ、天ちゃんって変なところで純粋だよねぇ。悪いとは言わないけど、運命の赤い糸とかイマドキ小学生でも口にしない言葉だよぉ?」

「では、彼にとって深白さんはどういう存在と虎子は考えますか。残念ながら我々の手元にある情報では、秀臣は深白と恋仲であったぐらいしかないのです」

「いや、もっと情報があるし、天ちゃん自身気づいてるんでしょぉ?」


 もったいぶるように虎子は告げる。

 答えずにいると、虎子は「ほら、答えなさいよぉ」と私の脇腹を指でなぞった。思わず、恥ずかしい声を漏らした私を虎子は答えないとくすぐっちゃうぞと追い立てる。こんなところで、ふざけあっている暇が惜しい。


「彼は、秀臣は彼女をずっと追っかけるように動いていました……そのことをいいたいのでしょう。初恋を実らせようと、運命の赤い糸を感じていたと私は……解釈します」

「嘘つけ」


 一転、冷ややかな声で虎子はいう。


「虚飾に満ちた言葉で、本質を覆い隠そうとするな。本質を崩せないのであれば、運命に抗うなんて無理に決まってる……ってあたしは思うねぇ、ひひっ」

「あなたこそ躁鬱の気がありますよ。病院を紹介しましょうか?」


 遠慮しとくぅ、と虎子は答えて歩きだす。

 一瞬、秀臣の部屋の扉へ視線を向けた。まるで動きのない扉とその奥にいる、彼を睨む。本質、という言葉を口の中で転がして、虎子の背中を追いかけた。



 残り――一日と十三時間――。

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