第40話 シルセン子爵邸を調査した時の話

 幽霊屋敷や廃墟に怪しげな噂が立つことは珍しくない。

 筆者は仕事や趣味で何度も足を踏み入れているが、ひやりとする出来事というのは、幽霊よりも老朽化した建築物の危うさでしか経験したことがない。

 シルセン子爵邸宅の解体を行う前日、期待でなかなか寝付けなかった。

 おかげで眠い目をこすりながらの立会い調査となってしまったのは、なんとも情けない話である。



 ◆


 立会い調査には、筆者とミス・ステラ、教会からは老僧カルマン、そして、解体を依頼したギルドから派遣された職人数名が参加した。

 一同は朝の早い時間に集まり、老僧カルマンの奇妙にアレンジされた聖句で清められた後に、ミス・ステラが亜人の部族から教わったというまじないの儀式を行った。

「いやはや、拙僧を指名して頂けるとは、このカルマン恩義に報いますぞ」

 筆者と同じく心霊マニアの老僧カルマンは、しわくちゃの顔を綻ばせてそう言った。

 カルマンとは気が合う。年上の友人だ。

 幽霊話で盛り上がる筆者とカルマンを、職人たちは何か得体の知れぬものを見る目で見ていた。

 弁明などしない。仕事にも多少の愉しみは必要だ。

 幽霊屋敷を見やると、なかなか良い。

 この手の幽霊やお化けの出るいわくつきの廃墟には二種類がある。

 悪童や破落戸ごろつきが侵入を繰り返し荒らされきったものと、多少は荒れているが近隣住民が無いものとして扱っているものだ。

 後者は本物であることが多い。

 不可思議なものや都合の悪いものというのは、記憶から追いやり無かったことにしてしまう。街中にぽつんと取り残された場所には、そんなものもある。

「うん、荒れてないところを見ると、本物だな」

「ニヤニヤして何を言ってるのよ? 壊すんでしょう」

 ミス・ステラは責めるように言った。

「ああ、そうなんだが、実地調査はわくわくするだろう?」

「理解できないわ」

 女はいつもそう言う。

「マーカス先生は変わったお方ですなあ」

 カルマンにまで言われて、筆者は苦笑した。

 筆者ことベイル・マーカスの考え方が独特なものであるのは分かっている。

「そうかな?」

 筆者が言えば、カルマンもまた笑みを浮かべた。どこか狂気的な光が瞳の中にある。

「マーカス先生は、信じているのに信じておられない。職業柄というものかもしれませんが、先生は現実を信奉していらっしゃる。なのに、相反する霊や魔もまた現実の一部としているのではありませんか?」

 何を当たり前のことを言うのか。

「そこにいるなら、それもまた現実でしょう。色々な話を集める内に行動範囲や思考というのはある程度理解したつもりですが、それでも分からないことだらけです」

 ミス・ステラとカルマンは揃って引き攣った笑みを浮かべた。

 そんなにドン引きさせることを言っただろうか。

「あなた、やっぱりおかしいわ」

「イカレてると言わないだけでも、気を遣ってくれていると分かるよ。それじゃあ。まず庭園の池から始めようか」

 職人たちに声をかけて草だらけの庭へと進む。彼らもまた、気の荒い職人だというのに腰が引けていた。

 庭木が伸びすぎて、どこもかしこも薄暗い。

 陰鬱な印象だが、職人の棟梁が言うには手入れされていないからそう思えるだけで、そこにあるもの自体は悪くないのだそうだ。

 手入れさえすればこの印象も変わるのだろうか。

「厭なところね」

 ミス・ステラはぼやいて、笑みを作った。強張ったそれに緊張が表れている。

 彼女の半身を覆う包帯の下、鱗状の皮膚疾患はこの庭園でもたらされたものだ。

「なあに、幽霊だって万能じゃない。教会の神じゃあないんだから」

 神は全知全能である。

 あくまで筆者だけの考えだが、全知全能というものほど信じられないものは無い。なんでも綻びはあるだろう。きっと、この世界にあるものが調和して存在しているということこそが、我々が共通して持っている妄想だ。

 藪をかき分けて進み、件の池が見えてきた。

「これは、凄いな。個人の邸宅にある規模じゃないだろう」

 農地のため池のような広さだ。もちろん、農地を基準にするなら小さいだろうが、邸宅の庭には大きすぎる。

 水面には水鳥と水草に座す蛙。落ち葉がぷかりぷかり。

 職人たちに調べさせると手持無沙汰になり、そこかしこを歩いて見てみたが、ただの池だ。

「何か、見つかった?」

 問うたミス・ステラは自らを両手でかき抱いていた。

 返答しようとした時、びゅうと強い風が吹く。

 涼やかな風で残暑の蒸し暑さが和らいだ。悪くないじゃないか。

「いいや、特に何もないな」

「そう」

 木々に囲まれて暗いせいで、池というより沼の風情だ。

 そこかしこに自生する蒲の穂が揺れる情景もまた、うら寂しさに拍車を掛けていた。

 薄気味悪いが異常は感じ取れない。

 辺りを調べていた職人たちが戻ってくる。

「法務官様、かなりしっかりした造りになってますんで、潰すのはもったいねえかと」

 職人の棟梁が曰く、かなり本格的な造りであるとのことだ。

 元々あった湧水に水路の水を混ぜているのだとか。飲用には向かないが、景観さえ整えれば美しい庭園となるだろう。

「造りを少しいじくりゃあ、いい庭になりますぜ」

「よろしい。任せる」

 こういうものは本職に任せた方がいい。

「ちょっと、この池は」

 ミス・ステラが声を荒げた。まあ、分からないでもない。

「ただの池みたいだよ。後でアシュトンにも風水フ・シェンだったか? 庭の位置取りに問題ないか確認してもらうよ」

「でも、ここは地獄を作っているって」

「キミがなんともないなら、大丈夫なんじゃないか?」

「……」

 不服のようだが、彼女は黙った。

「幽界を模した庭園だというが、整えてやったらただの庭になる。気の持ちようだよ。呪われた物品というのは、どれもこれもそんなものさ」

 執務室に飾っているそれらは、筆者の手中ではただのガラクタだ。

 残念なことである。

「でも、屋敷は取り壊すのでしょう?」

「隠し部屋のついた屋敷なぞいらんよ」

 シャルルもミントも、これからは新しい生き方に慣れてもらう。古いものは不要だ。あらゆるものは、いつか死ぬ。延命ができないなら、それは遺体でしかない。

 シルセン子爵邸もまた、巨大な亡骸といえよう。

「さて、中に入ろう。ミス・ステラ、地下の霊廟の真偽についてはカルマン殿に調べてもらう。あの方の見識は確かだよ。多少、偏りはあるがね」

 教会の学僧としてカルマンの脳には膨大な情報が詰め込まれている。古い信仰と、世に隠れた邪宗を深く知る研究者だ。

「そんなのがアテになるのかしら?」

「さて、どうかな。知らないってことは怖いことだ」

 未知の恐れもまた、幽霊や魔への恐怖と質を同じくしている。見えないものほど怖いものはなく、正体の知れぬものほど不気味なものは無い。



 屋敷に足を踏み入れると、中は荒れ放題である。

 職人たちが先導して腐った床や柱を確認していく。

 廃墟というものは幽霊を気にする前に、崩落の危険性を考慮せねばならない。こんな場所で足でも折って動けなくなったら助かる見込みは無い。

「ふむ、扉の印は邪宗のものに似ておりますな」

 カルマンが指差すのは、部屋の扉や壁にペンキで描かれた記号だ。

「あれは、目印のためにわたしが……」

 どんな部屋なのか見分けるために、半ば正気を失ったミス・ステラが記したものである。

 浄化を請け負い、この屋敷に住んでいた短い期間のことは悪夢の中の出来事のようである。しかし、現実であった証拠がそこにある。

「ふむ、知らぬ内に邪宗の印を描いたということでしょうな。誰に教わるとなく『成る』というのもまた、魔の所作でしょう。マーカス先生も。そうは思いませんか?」

 カルマンはにやりとして言う。

 頼りになる爺様だ。些か狂気じみているが、彼はアシュトンよりも信用できる。

「確かに、よく聞く話ではあります。ささ、行きましょうか」

 まずは屋内からだ。

 三階建ての大規模な邸宅である。

 職人たちの見立てでは、全て壊す必要は無いとのこと。そう易々と崩れる普請では無いということだが、邸宅を解体するのは決定事項だ。

「ミス・ステラ、気配はあるかな?」

 やはり、筆者にはただの廃屋に見える。

「無いわ。ただの空家ね」

 彼女の右目は『かみさま』により穢され、幽界を捉える。しかし、それで見えないというのなら何もいないのだろう。

「おころも様は、目的が達せられたと判断したのかもしれないね」

「ベイル・マーカス、あなたのことが分からないわ。あなたは信じているっていうのに、まるで信じていないように見える」

「私は幽霊も魔も信じているよ。……実を言うと、見たことがない。絶対に見えるという評判の所でも、その、完全にそうだ、というものを見たことが無い」

 情けなくて言えないが、筆者以外の全員が見ているという状況でも筆者だけには何も見えなかったことがある。

「きっと、あなたは見えない性質タチなんでしょう。絶望的に」

「見たいんだ。あの恐ろしいものを」

 理解してくれる者はいないだろう。

 邸宅の調査は早く進んだ。厠の隠し部屋も見たが、特に怪しい何かは無い。ただ単に人の痕跡があるだけだ。

「マーカス、あっちよ」

 ミス・ステラは唐突に言って小走りに歩く。

 二階の元は使用人部屋だったところに行き着いて、朽ち果てかけた寝台に積まれていた腐った布を取り払うと、死体が出た。

 子供のものだろう。小さな身体はすっかりミイラ化していた。

 人のミイラというのは、悲しげに見える。特に子供のものはそうだ。

「……着ているものからすると浮浪児か」

 職人たちが悲鳴を上げた。腰を抜かしている者もいる。

「静まれ。浮浪児がここで餓死したんだろう。後で運び出す」

 老僧カルマンが聖句を吟じれば、筆者も、ミス・ステラも、職人たちも、皆が祈りを捧げた。

 こんな寂しい廃墟で死んだ子供のことを想うと憐れだが、スラムでは珍しい話では無い。むしろ、僧の読経で供養されるだけマシかもしれない。

「廃墟ではよくあることか」

 飼い猫は死期を悟ると姿を消すと言うが、人も似たところがある。流浪の民や浮浪児が誰もいない廃墟で死するということは珍しいものではない。

「まだ、ありそうよ」

 ミス・ステラの霊感とでも言おうか、その言葉に従って捜してみると五つの死体が見つかった。幸いなことに、どれもミイラ化していた。腐乱していると悪臭で仕事にならなかっただろう。

「こいつは、壊した方がいいですなあ」

 職人の棟梁はいかにも気まずいといった顔でそんなことを言った。

「冬が来るまでに全て壊してしまおう」

 屋根を確認すると、見事な黒竜魚の像があった。魔除けとしてこれだけは再利用しようということになった。



 さて、最後はお待ちかねの地下室と霊廟である。



 かび臭い地下は食糧の貯蔵庫とワインセラーとなっている。

 今となってはその面影は無い。

 ランタンを持って立ち入ると、ひんやりした空気に出迎えられる。

「この下か?」

「ええ」

 職人たちも息を呑んでいる。

 筆者とミス・ステラ、そして老僧カルマンが先頭に立って進んだ。

 元々は隠し扉だった霊廟へ続く道は開け放たれていた。

 人数分のランタンの灯りで足元を照らし、先へ進む。

 石造りの階段で立ち止まり、筆者とカルマンは壁を調べる。職人の棟梁も加わり、建築様式を確かめてみるが、どうにも妙だ。

「法務官様、そこまで古いもんじゃありませんぜ」

「やはり、そうか」

 棟梁が言うように、トリアナン成立時に造られたとすれば、新しすぎる。補修を加えてそうなったというものでもなさそうだ。

 階段を降りて、ミス・ステラの話にあった霊廟へと行き着く。

「ひぃぃっ、なんてこった、神様、バケモノがっ」

 若い職人は腰を抜かして叫んだ。

 筆者も驚いて叫びそうだったのだが、若者が先にやってくれたおかげでなんとか軽く驚いたくらいに装うことができた。

 ランタンの灯りに照らされているのは、祭壇に縛り付けられた怪物のミイラだ。

 それが何かと問われれば怪物としか言えないだろう。

 獣の四足を持つ下半身に、屈強なオーガの如き上半身。そして、巨体には不釣り合いな人間大の頭には山羊のような角が生えている。

「落ち着け、ただのミイラだ」

 ランタンで照らせば、それは物言わぬ干物だと知れる。決して、この姿で生きているというものでは無い。

「これ、ちょっと、無理……」

 ミス・ステラは冷や汗を垂らしてその場にうずくまる。

「あ、キミ、彼女を外へやってくれ。錯乱すると不味いから、ずっと横について。走ろうとしたら無理矢理止めていい」

 職人に言って、ミス・ステラを外に出すよう指示する。

 こういう現場にも幾度か立ち会ったことがあるのだが、霊媒は取り憑かれると突拍子も無いことをしてしまう。錯乱したところを見失って、短い間に自死するということがあった。

「少し調べてみます。カルマン殿、これに似たモンスターや怪物というのはご存じで?」

「い、いえ、キメラというものに近いようですが、この有様では悪魔が近いかと」

「悪魔か。そんなものが果たしているものなのか」

 祭壇に足を掛けて上り、ミイラと間近で相対する。

 触ってみるとダメになった干し肉に似ていた。いや瘡蓋に近いか。

 ランタンで照らしながらよくよく調べてみると、首と頭の間に継ぎ目がある。

 なるほど。

「安心してくれ、これは紛い物だ。首と胴体が縫い合わせられている。なんだ、下らんな。ただ単に、色々な動物のミイラを繋ぎ合わせただけの人形だよ、こいつは」

 祭壇から下りると、皆一様に異様なものでも見るような目で筆者を注視する。

「さ、別に危険は無い。カルマン殿、他に邪宗の儀式の痕跡が無いか調べて下さい。かつての家臣団に邪教の関係者がいるか調べないといけなくなる」

 ああ、面倒だ。

 霊廟への興味が急速に失せていく。

 ここは、ただの古い墓でしかない。

 このミイラは邪宗の儀式にハクを付けるため、歴代の当主の誰かがこしらえた人形だろう。下らないことだ。

「マーカス先生、そのようなものをよく」

「ただの人形ですよ」

「い、いや、しかし、それは明らかに」

「こんな場所にあるから恐ろしく見えるだけですよ。一度外に運んでみましょう」

 嫌がる職人に金を握らせて外に運ばせた。

 生きた心地がしないといった顔で彼らはおっかなびっくり運ぶのだが、これが恐ろしいというなら干し肉を商う旅商人はもっと恐ろしいのではなかろうか。

 庭先にミイラを出すと、それを見て仰天したミス・ステラは気を失ってしまった。

「何が怖いというのか。ただの紛い物だというのに」

 陽光の下では、継ぎ目の縫い合わせがはっきりと分かる。

 下半身の獣の部分は馬に似たモンスターのもので、胴体はオーガのものだろう。そして頭や手足もまた何らかのモンスターか亜人のものだ。

「供養ということでさっさとやってしまいましょう」

「こ、このようなもの、拙僧一人に出来るものでは……」

 カルマンもすっかり怖気づいてしまっている。

 まいったな。

 これでは土地の伝説を払拭できない。

「ではどうするのですか」

「帝都大聖堂で、鎮めの儀式を。マーカス先生、これは表に出せるようなものでは……」

 ないと続ける前に、筆者はそれを遮った。

「そこまでやったら赤字ですよ」

 こんなものがそんなに怖いのか。

 辺境の文化である。

 どれだけ経済が発展しても、未だトリアナンは辺境に過ぎないということだ。非魔法的な迷信が根強く残っている。

 筆者は耳講奇譚集で何度も幽霊や魔は現実に干渉できないと説いた。もし、干渉するとしたら、それは人の心を通したものでしかない。

「まあ処分は後で考えましょう。来週からは解体を行って欲しいが、これがあったら無理だろうな……。よし、これは私の執務室で預かるよ」

 皆、唖然とした顔だ。

 人足に金をばら撒いてミイラを戸板に乗せて運ばせたところ、見物人の集まる騒ぎとなった。

 庁舎まで見物人が押し寄せて、ミランダたちが対処に当たったのだが、後で大いに嫌味を言われる結果になったのは言うまでもない。



 ◆


 このままミイラを貰ってコレクションに加えてしまおうかとも考えたが、それはできそうにない。

 見物人たちが悪魔の死体だと騒いだ結果、あんなものがあったら街に災厄が降りかかるのでないかと苦情が殺到している。

 教会は教会で、今回の件については敗北を認めているというのに、しおらしい態度で騒ぎの責任を筆者に押し付けてきた。

 夜半、休憩がてら立ち寄った夜鳴き蕎麦の屋台で、鳥の羽を食べる。

 トリアナンの料理は全体的に味付けが濃い。

 筆者の口には合わないのだが、鳥の羽だけは気に入った。

「郷に入れば、か」

 迷信には迷信をぶつければいい。



 それから、三日間徹夜して予算の申請書と台本を書き上げた。

 執務室に飾るミイラに見つめられながら、それの処分方法を書くというのも妙な話だ。

 もしも、本当にこのミイラに超常の力があるというのなら、筆者は不思議な力で死んでいただろう。



 全てが終わった後になって聞いたことだが、霊廟でミイラを調べていた時、あのミイラは目をぎょろぎょろと動かして筆者を睨みつけていたそうだ。

 ミス・ステラ、老僧カルマン、職人たち、皆が同じものを見ている中で筆者だけは平然としていた。

 見えないから当たり前だ。

 他にも、棺から影のような手が伸びて筆者の足を掴んでいたという。


 ああ、見てみたい。どうして筆者には何も見えないのか。

 はっきりと、幽霊というものを、そこにいる魔というものを感じてみたい。

 実に、残念である。

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