第39話 ミントという名の女
座敷牢というのは不思議なものだ。
殺すこともできず、痛めつけることもできず、粗雑にも扱えず、大切に閉じ込める。
大と頭文字のつく貴族家や商家に座敷牢はつきものだ。人間の矛盾と苦悩を体現したかのように思える。
木組みの格子越しに、再び聖女と相対する。
締め切られた室内は、昼間だというのに燭台に火が灯されている。
薄暗い室内で嫣然と微笑む聖女ミント。妖女のほうがしっくりとくる。婀娜でありながら、清楚な部分があるように見えるのは、筆者の気の迷いか。それとも、それこそが聖女の手管か。
聖女の妖しさはシャルルの整いすぎた美貌とは趣が異なる。人間離れなどしていない。俗に、男好きのする、といった形容の顔立ちである。
「おじさん、また来たのね」
その声もまた、淫蕩さを感じずにはいられない甘さを含む。
「ああ、また来たよ。土産を持ってきたんだ」
手土産を格子越しに手渡せば、聖女ミントは些か芝居がかった仕草で薔薇の花束を抱きしめた。
花は貰った後に気軽に処分できて良いのだとか。
女はこわいものだ。きっと、幽霊よりもずっと。
「それと、流行のお菓子も持ってきたよ」
「気が利くのね。好きよ、そういう繊細な感じ」
「気に入ってもらえて何よりだ」
菓子の包みを受け取った聖女は、座敷牢の奥にあるテーブルにそれを運んだ。歩く姿勢は美しく、体重すら感じさせない。
「後ろ姿も美人だね」
「お世辞も上手になったの?」
「本当のことしか言わないよ」
くつくつと子供のように笑う。
「で、今日はどんなお話をして欲しいの?」
「本当のことを聞きにきたよ」
「ほんとうのこと?」
筆者は無理に笑みを作った。
片頬だけが吊り上る笑みになっているだろう。よくよく誤解されるが、これは格好をつけている訳ではない。ただ、上手に笑えないだけだ。
「まずは、キミの年齢から始めよう」
「いやあね。
「三十八歳というのは嘘だね。キミは二十五歳、また二十六歳だ」
「上にサバを読んでいるっていうの?」
「ああ、そうしないと矛盾が出る。神の加護で年をとらないなんていうのは、いかにも辺境じみた発想だよ。私の知る限り、老いを無視できるのは強烈な魔術師くらいさ」
以前に筆者の過去を紹介した折に登場した黄泉歩きのガラルは、聞く所によれば最低でも百年は生きているとか。彼ほどであれば、それも頷ける。しかし、聖女はそうではない。
「意地悪なおじさんはキライよ」
「でも、事実だろう」
「だったら、この前の話なんてできないじゃない。教えてあげたでしょう? あのひとのこと」
あのひとが示すのは、シルセン子爵のことである。
発禁の憂き目にあった芝居『トリアナン心中』の題材にされた美形の子爵。霊や魔がその死に絡んでいると思っていたが、蓋を開けてみれば当たり前の
「母親から聞いたんだろう? 性奴隷のミントは子爵の死後にキミを産んだ。キミは、シルセン子爵家の最後の一人だ」
「……さいご?」
「エリザベス・シルセン刀自は亡くなったよ。キミは名実共に、最後の一人で間違いない」
「いやぁね、変なことを言わないでよ」
聖女は婀娜な仕草で甘く囁く。下卑た冗談を聞き流す娼婦のように。
「キミの母親、この場合はただのミント……、だと語弊があるな。修道女のミントと呼ぼうか」
「何を、言っているの」
「帝国の法は奴隷商には厳しいんだよ。寒村の娘買いは地元の渡世人に顔が利く
「意味が分からないわ」
「女衒は教育などしないよ。花街の娼婦も職業であって奴隷じゃあない」
「……」
幼い少女を姓奴隷に仕立て上げるのは犯罪だ。大っぴらに売買できるものではない。しかし、抜け道はある。
「修道女というのも正しくは無い。性の手管を教え込まれた
帝国成立時から続く悪習である。
始祖皇帝は奴隷のための人狩りを廃絶しようと厳しい法を敷いた。だが、奴隷の需要は無くならない。そんな時に利用されたのが、修道院を介しての売買だ。
表向きは学僧を書生として招き入れる、または家付きの僧とするものとして、社会的に問題のある奴隷売買の仲介として利用された。
最初は心無い誰かの小遣い稼ぎだったのだろう。しかし、いつしかそれは大きな資金源へと姿を変えた。
「そこまで知っていて、どうして来たの?」
専門の教育を受けた性奴隷もいれば、特殊な技術を持つ亡命者もいた。時を経て、奴隷売買の仲介は、高級奴隷と密偵、そして、細作の育成機関へと変遷を遂げる。
「キミに会いたかったから。すまない、冗談だ」
「ふふ、おじさんってヘンな人だわ。ここで帝国法は力になってくれないのに」
「詐欺程度だったら私も来ないんだがね。トリアナンを乗っ取ろうというのは頂けないな」
聖女は笑みを深めた。
教会に乗っ取られた都市というのは少なからずある。領主はお飾りで、実際の運営を教会と教会騎士団が行うというものだ。
「トリアナン伯爵閣下は教会の動きに気付いていたんだろう。だから、私を呼び寄せた。キミが子爵家最後の一人なら、女子爵に叙されるのを法では止められない」
「そう。分かっていてきてたのね、おじさんのこと好きだったのに。仕方ないか」
聖女は懐から鐘を取り出して、振った。澄んだ金属音が響く。
「騎士を呼んでも来ないよ」
「……まさか、来るまでに騎士と細作をのしちゃったとか?」
「私は書類屋で剣なんて使えない。それこそまさかだよ。司祭長殿とは話をつけてあるんだ。我々だって教会との戦争なんて望んでないからね」
「アレがそんなことで止まるものか」
聖女の声音が変わった。
「あの司祭殿からすれば半生を賭した計画だったようだが、失敗したんだよ」
この計画自体はとてもシンプルなものだ。
分家であるギルスネイ家を抱きこみ、細作のミントが孕んだ子を当主として資源迷宮『ダリオの嘆き谷』の権利と歴史ある子爵家を手に入れる。
シャルルとミランダは生かしておいてもよかっただろうが、筆者が来た。そこで蜥蜴の尻尾切よろしくミランダを焚きつけたという訳だ。
「一挙両得なんてのは、なかなか無いものさ。いまごろ、ミランダが説得に向かっているよ。騎士を引き連れて、荒っぽくね」
証拠もつかんでいる。ミス・ステラは有能でよく切れる刃物のような女性だ。
内応していたギルドや貴族家の一斉検挙はミランダに任せた。
「内乱を引き起こすつもり?」
「それは飛躍し過ぎだよ。権益を多少削らせてもらうが、教会の乗っ取りなど、なかった、ことを思い出させてやるための説得だ」
「ベイル・マーカス、どうしてそこまで気づいたの」
「ダリオの嘆き谷で利を得ている者のほとんどが、教会に多すぎる寄進をしているんだ。教会への寄進は非課税だからなんだろうが、杜撰すぎる脱税だよ。それに、教会も教会で寄進に帳尻を合わせるために聖堂の修繕費と例祭の支出の金額が無茶苦茶なことになっている。辺境はこの辺りがザルなんだろうけど、どこに金が流れているかはすぐに分かった」
聖女は奥歯を噛みしめる。
「ふふふ、ベイル・マーカス。負けだわ、だから……」
筆者と彼女を隔てる格子の奥で、衣擦れの音。
ああ、このパターンか。
聖女は手早く服を脱いでいた。
「わたしは投獄なんてされたくないの。あなたにご奉仕するわ。おじさん、わたしは無力な女なの」
胸の乳輪は大きめで、優しげな色をしていた。ああ、男をダメにする乳だなと思う。修道女や聖女を穢すというのは、男なら一度は夢想することである。
「よせよせ。聖女ミント、あなたは還俗して人妻になるんだ」
「は?」
聖女はその意味を理解できないでいる。初めて見る、素の顔だ。
「内乱など無かったんだ。落としどころというのも必要なんだよ。シャルル・ギルスネイと聖女ミントの婚姻でシルセン子爵家を再興する。キミに拒否権は無い」
「シャルル? ギルスネイの、獣人が御執心だった分家の男、よね」
「脱税に気付き正義感から騎士を動かしたのは彼だ。……ということにする。公にはできないが多大な功績があったことにして、再興を許すんだ。キミは継承権の無い子爵の庶子だから、釣り合いも取れて理由にもなる。一挙両得だろう?」
聖堂を騎士と傭兵で取り囲み、血の海にすることもできる。しかし、それでは帝国と教会は今まで通りとはいかない。
この落とし所であれば、教会に釘を刺すだけで終われる。
「ふく、くふふふふふ、甘いことを。わたしとお母様には『おころも様』がついているわ。いつだっておころも様は、敵には容赦ないのよ」
筆者の好きな話になった。
追い詰められて神に頼るのもまた人間らしい反応だ。本物の聖女ではないことに安堵する。
「私も『おころも様』のことは信じているよ。だから、キミの勘違いを正そう。『おころも様』は屋敷神か家に憑くものだ。よく考えてみたまえ、『おころも様』が味方するのはシルセンの血筋の者にだけじゃないか」
おころも様と遭遇した者の多くはよくないことになっている。しかし、シャルル、エリザベス刀自、聖女ミント、当主の血を受け継いだ者たちだけは守護されている。
「そ、そんなこと」
「調べてみたが、クラウディアという婚約者殿の生家は婚約段階で経済状況が思わしくなかった。子爵家の遺産の一部を掠め取ったが、今ではすっかり落ちぶれているよ。だから、『おころも様』のお眼鏡には適わなかったんだろうね」
聖女ミントは虚空を見据えて、なんともいえない顔をした。そこにあるのは、様々な感情の合わさった色だ。
「そう、だったのね」
「服を着たまえ。風邪をひくよ。子供が産めなくなったら、『おころも様』の加護もなくなる」
彼女が服を着るのを待った。
不思議なものだ。脱ぐよりも着る時の方が、こみ上げるものがある。
「式の日取りが決まったら知らせるよ。シャルルは頼りない上に根性無しだが、根は悪い男じゃない。それに、
「結婚相手には悪くないって言うのね」
「ああ、結婚式は盛大にやる予定だ。楽しみにしておいてくれ」
「クソ野郎」
「ははは、よく言われるな。そろそろお暇するよ。仕事が残ってるんだ」
美人に嫌われるのにも慣れた。
聖女の収まる座敷牢から
『ベイルおじさま』
ふと、名前を呼ばれた気がして振り向く。
ほんの一瞬だが、ミントの隣に二人の少女がいるように見えた。
「え」
いくら見ても、そこには打ちひしがれる聖女しかいない。
いかんな、少し疲れているのかも知れない。
その後、教会に内応していた者たちのほとんどが説得に応じてくれた。
当主が隠居させられすげ変わったり、ギルド支部長の交代劇があったりと、少なからぬ大事はあったものの、それらはごく小さな規模での騒ぎでしかない。
筆者の仕事もまだ終わらない。
細かなことや、報告書に纏めた内容は割愛しよう。
シルセン子爵家の散逸していた財は返還され、一時的に伯爵と筆者が預かることとなった。
その中には、幽霊屋敷と化していたシルセン子爵家邸宅と人形の祠も含まれる。
老朽化が激しいため、両方を取り壊すことになった。
何事もなく、とは言えない事態があった。
その顛末を語ろう。
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