第38話 トリアナンの都へ戻り準備を整える

 一足先にトリアナンの都へ戻る。

 夕暮れ時の街の喧騒は相変わらずで、世界とは一人や二人が消えたところで何も変わらないものだと思う。

 まだ分からないことはあるが、だいたいのことは分かった。そして、対処もしてある。

 強欲は身を滅ぼす。

 そのように言われているが、実のところ強欲と身の破滅は無関係だ。

 身を滅ぼすのは秘密を持つことだ。秘密には嘘が付きまとう。嘘は嘘を呼び込み、その嘘を真実にするためには、無理を行わねばならない。

 庁舎に戻ると、オズマ・カーディアスが駆け寄ってきた。

「ベイル・マーカス、戻ったのか」

「ただいま、と言うべきかな。オズマ、お前がやったな」

「なんのことだ」

 オズマは顔色も変えず、口元には笑みを張り付けたままだ。

「食事をしよう、オズマ・カーディアス」

「どこにする?」

「庁舎の食堂にしよう」

 旅姿を解くことなく、筆者とオズマは食堂へ向かった。

 庁舎の食堂を騎士が使うことは少ない。兵士や三等法務官といった下級の役人は使うことも多いが、騎士ともなると外で食事をするのもまた仕事の一つだ。

 辺境の地ともなれば、武力こそが治安となる。騎士が街にいることを知らしめねばならない。

「久しぶりだよ、ここで食べるのも」

 オズマはそう言って、硬いパンとスープだけの食事が出てくるのを待った。

 本来は自ら取りにいくものだが、騎士には給仕が運ぶというサービスが付く。

「私は初めてだよ」

 スープは塩辛く、硬いパンも美味いものではなかった。だが、腹は膨れる。

「どうして気づいた?」

 率直にオズマは尋ねた。

「暗殺者はミランダを犯そうとしていた」

「殺す前に役得が欲しくなったんじゃないのかな」

「暗殺者はそんなことはしないよ。依頼でもされない限りはね。もっとシンプルにやるのがよかったんだ。ミランダを確実に殺害し、私を適当に痛めつけるだけでもよかった。妙な絵を描いたのは失敗だったな」

 この場合の絵とは、計画を示す。

「……」

「取調べ中に強姦されたミランダが刺し違えて私を殺す。それか、私がミランダを強姦したと見せかけるだけでよかった」

「殺すつもりはなかった」

 言ってから、オズマは手に持っていたスプーンを放した。

「騎士として尊敬を集めるミランダに乱暴狼藉を働いたとなったら、私はタダでは済まない。オズマ、濡れ衣を着せられた私をこっそり逃がすつもりだったろう?」

 そうなれば、筆者は帝都へ逃げ帰ることになる。

「そうだ。血を流す気はなかったんだ」

「強姦魔扱いされたら、それこそ私は身の破滅だ。血を流す方が気楽だよ」

 冗談として言ってみたが、オズマが笑うことはなかった。

 スープを一口。塩辛さに閉口する。帝都の下級役人向けの食堂でも、これよりはマシだった。

「ベイル・マーカス、事情があるんだ」

「血を流すつもりは無かったと言ったな、オズマ・カーディアス」

「……」

「嘘は身を滅ぼすぞ、特にこういう時はな。最初からミランダを害するつもりだったんだろう。それに、シャルルもだ」

 オズマは目を閉じて長い息を吐いた。

「ギルスネイ家が潰えれば、シルセンの呪われた血はなくなる。そうしたら、俺はミコを」

「嘘をつくなよ、オズマ。それだけなら、こんなことをする必要は無かった。欲を出したな」

 押し黙る。

 それが肯定を意味するかは分からない。

 シルセン子爵家とその分家が潰えれば、遺産を相続するのはエリザベス刀自の生家であるカーディアス家だ。

「拘束させてもらうぞ」

「もはやこれまで、かな?」

 オズマは騎士剣に手をやったが、それは剣帯を外すためだ。

 テーブルに剣を置くと、オズマは片頬を上げて笑みをつくる。そして、こう言った。

「騎士になど生まれるものでないな」

「悪いことばかりでもないさ。食べないのか?」

「最後の食事をこんなものにしてくれるとは、ベイル・マーカス。お前も人が悪い」

「馬鹿なことを言う。伏兵も護衛もつけてないさ」

 オズマの目が驚きに見開かれる。

「なぜだ」

「間諜になってもらう」

「あの連中にどれだけ恨まれると思う」

「命あっての話だと思うよ。それに、ミコだったか。彼女が生きているなら、諦めるには早いな」

「どこで間違えた、俺は」

「一挙両得なんて美味い話は無いもんさ。博打に敗けただけだよ」

 オズマは小さく笑った。

 冷めてしまったスープには口をつける気になれなかったが、貧乏性の筆者はパンを持ち帰ることにした。

 固くて不味いパンだ。

 待遇改善などとは言わない。筆者も三等法務官のころはこんなものをよく食べた。そして、二等法務官になっても時間が取れずに食べていた。

「食事くらいだな、よくなったのは」

 それでも、味気無いと思うことが多い。


 ◆


 宅師のロブは筆者がトリアナンへ戻ったことを知ると大層喜んだ。

 持ち馬車は整備中とのことで、天付き馬車に乗り込んで街を往く。

「旦那が留守ってえんで心配してたんですよ。大事件じゃないかってね」

 夜闇に包まれた道を進むのには確かな技術を必要とする。

 ロブは人形を手放した後も一流の宅師であり続けた。幽霊や怪異というのはそれくらいに頼りない。

「そんなに波乱万丈な仕事じゃないよ」

「ははは、あの女中のお嬢ちゃんも留守っていうんで、もう戻られないかと思っておりやした」

「多いかな、そういうのは」

「へえ、色々あるんでしょうねえ」

 贔屓にしていた商人や貴族がぱたりと消息を絶つこともある。

 複数の資源迷宮に囲まれたトリアナンは、それくらい日常茶飯事だ。帝都よりも経済は活発で荒っぽい。


 向かったのはアシュトン・ラズウエルの邸宅だ。

 たどり着くと、予想に反して売家にはなっていなかった。

「ロブ、小一時間で済む。金は払うから待っていてくれ」

「へい、ようがす」

 ドアをノックすれば、したり顔の宦官が招き入れてくれた。

 以前と同じく、客間に通されて茶での持て成しである。

「アシュトン・ラズウエル、久しぶりですね」

「ようこそいらっしゃいました、マーカス様」

 宦官は柔和な笑みを湛えている。

「単刀直入に聞きましょう。アシュトン・ラズウエルさん、あなたはどちら側ですか」

「……はて、どういう意味でしょうか」

 火傷しそうなほどに熱い茶を啜る。濃い味だ。

「教会とは今も繋がっているのか、それとも一人の山師であるか、それをお聞きしたい」

「ふむ、霊や魔の話ではないと」

「今日は一等法務官として来ました。言い忘れていましたね」

 アシュトンは苦笑いを浮かべる。

「教会とのお付き合いは無い訳ではありませんが、……まさか、独力でそちらに気付くとは」

「おころも様よりも、そちらの方が単純でしたよ」

「あなたは不思議なお人です。霊にのめり込むと、それを主体に考えてしまうというのに、あなたはそうでは無い。信じているのに、信じていない。そんな矛盾を抱えていらっしゃる」

 筆者もそれを感じることがある。

 以前にお話を伺った心霊マニアの老僧カルマンのように、霊を研究し始めると全ては霊が行っているという結論に行き着く。筆者の蒐集した話にも、霊の導きがあったとしか思えないものもたくさんあるのだが、どうにもそう思えない。

 霊のやることと、実際の人間の行いは別なのだ。筆者の中では完全な隔たりがある。

「アシュトン殿、ただの山師というのなら協力して頂きたい」

「断ったら?」

「重要参考人ということで、拘束させて頂く」

 アシュトンは剃りあげた頭をパチンと叩いた。

「参りましたなあ。信用されていないようだ」

「ははは、あなたは手駒にするには使い辛い。今だけの協力でいいですよ」

「本当に?」

「私の目に止まることをしなければ、ね」

「降参ですよ、マーカス法務官」

 アシュトンは人懐っこい笑みでそう答えた。



 それから十日ほどかけて、準備は整った。

 蒸し暑さも少しずつ和らぎ、夏の終わりを感じるようになった。

 洗い屋に出していた騎士礼服が戻ってきた。袖を通すとピンと張っていて、きちんと仕上げてくれたと分かる。

 髭を剃り、髪を整えて、剣を佩く。

 馬子にも衣装とはよく言ったもので、似合っていないのは分かるが、正装をすると背中がしゃんとする。

 花屋でとっておきの薔薇と、女性に人気だという菓子を買って馬車に乗り込んだ。

 ロブもまた依頼に応えて、貴族用の高級馬車で迎えてくれた。

「旦那、キマってますよ」

「大仕事でね、たまにはキメてみせたのさ」

 トリアナン大聖堂が近づいてきた。

 手土産を喜んでくれるだろうか。

 聖女ミントに、再び会う。

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