第31話 騎士ミランダ・ギルスネイと話し合う前にあったこと ※怪談ではありません

 筆者は幽霊や怪奇な事柄に強く惹かれている。

 ここまで読み進めて頂いた読者諸兄はご理解頂いているだろうが、そうなったのは兄と兄嫁と姪が関係している。

 法務官などという職務についていなければ、あの歪な失踪事件を祟りや呪いだと言えたかもしれない。

 残念ながら、筆者の知る限り幽霊やお化けに消された人間は存在しない。

 祟りで病に伏せるというが、それは病か毒によるものだ。気力を削ぐために幽霊などをでっち上げて精神的に追い込んだのだろう。

 幽霊屋敷に住んでいた一家が家財道具を残して消えた。それは家か財産、家格の乗っ取りを目論んだ者が無頼漢か暗殺者を放ったに違いない。法務官や騎士の追及を避けるために幽霊屋敷の噂を立てたのだろう。

 迷信深い土地では、このような犯罪にとって『幽霊』『お化け』『妖怪』これらほど都合の良いものは無い。

 実際に、幽霊屋敷では刑事事件を調査する二等法務官と騎士がほとんど捜査しないということもままある。

 これらの例は、筆者が実際に立ち会った事件で使われた古臭い偽装工作である。

 そういうこともあって、筆者の蒐集する怪談というものは誰も得をしない内容にだけ焦点を当てている。

 耳講奇譚集はその点で自信作だったが、焚書の憂き目に遭った。

 後宮の話が非常に不味かった。だが、あれを除外するなど筆者の美学が許さない。

 やんごとなきお方の目に留まるということを重々に理解しているが、この文言だけは記載させて頂く。


 ◆


 アシュトンと別れてから、庁舎に戻って仕事を始めた。

 夜更けからの仕事で、今日と明日は眠れまい。

 権力に溺れて金と色に囲まれた生活は夢のまた夢。一等法務官というのは走り回っている内に歳を食うのだ。

 帝都で世話になった先輩にバスタル一等法務官がいる。彼は陛下の信も厚いという宮廷法務官だが、贈り物は全部断って中立を貫いていた。

 仕事にしか利用できない権力など、何が面白いのか。ああ、気持ちが暗くなる。



 法務官は書類屋と蔑まれることの多い職業である。

 筆者も事件というものを捜査する際は書類を精査することから始めるようにしている。

 最初に調べたのは、ギルスネイ家の財政状況と旧シルセン子爵家の財産などについてだ。

 庁舎の資料室から古い資料を引っ張り出していく。

「ダンナ、こっちの書類は片付けてもいいんですか」

「ああ、頼む」

 わざわざ自宅から呼んだアリスを助手にして、目当ての資料を集めていく。

 庁舎でエルフの少女に書類を捜させている法務官というのも奇妙な光景だ。じろじろと見られているが、誰も信用できない状況なら彼女に頼るしかない。

 多少の時間はかかったが、なんとか最低限は集め終わった。

 執務室に埃だらけの書類を運び込んで一息ついた。

「アリス、屋台で何か食べるものを買ってきてくれ。塩気が強いヤツだ。酒はいらん」

 腹が減った。

「分かりま、じゃなくて……えっと、かしこまりましたダンナ様」

「そういうのはいらんよ。それでキミの仕事は終わりだ。帰りはロブに送ってもらえるように手配しておく」

「え、その、馬車なんか使わなくても」

 アリスの遠慮は可愛らしく見えた。

「気にしなくてよろしい」

 アリスは頭を下げて執務室を出た。

 なりふり構わないという状況ではないと思う。アリスが襲われるということはあるまい。

「……杜撰な会計をしているな」

 理解せぬままにつけられた税務書類と資産書類だ。

 誰もこれを改める者などいないし、いたとしても古い家格の家にはそれが通じない。辺境独特の文化によって作られた正直な書類だ。

 しばらく書類のページをめくっていると、ドアの開く音がした。

「アリス、早かったな」

 振り向けば、誰もいない。

 たてつけが悪いのか、それともアリスが閉め忘れたのか。それとも暗殺者でもやって来たか。

 暗殺者なら詰みだ。

 その時はその時だが、一等法務官を殺害するとなれば帝都が黙ってはいない。筆者の死は鏑矢となり、法務官より厄介な者を呼び込むこととなる。

 扉が半開きになっているだけで、気配は無い。

「誰か、いるのか」

 外に出て確認してみたが、誰もいない。

 ドアは勝手に開かない。

 こうなると、誰かが何かを知らせるためにドアを開けたということになる。

 考えてみたが、疲れた頭のためか判然としない。

 その時、机に飾ってあったロブから譲り受けた人形がぱたりと倒れた。服を表す布がほどけて、棒そのものの人形が転がった。

 慌てて拾い上げて、服を着せてやった。

 そうか、開かない扉が開くというのなら……。

「ミランダか」

 杞憂であって欲しい。いや、その可能性が高い。

 廊下を走る。

 ミランダは拷問部屋に閉じ込めてある。当たり前だが拷問は加えない。

 もしも、朝になって拷問されて横死したミランダが発見されたら、筆者がそれを行ったということにされるだろう。いもしない目撃者が現れるのは目に見えている。

 辿り付けば、見張りにつけてある拷問官がいない。

 拷問部屋というのは、中からは鍵をかけられないようにしてある。

 扉を開けると、胸元を開けられて乳房を拷問官にまさぐられているミランダがいた。

「おいっ、やめろっ」

 振り向いた拷問官は見たことの無い顔だ。

 その手には短剣。

 しまった、筆者は丸腰だ。もしもあったとしても役に立たない。

「飛んで火に入る夏の虫たぁあんたのことだぜ。法務官さまよ」

「ふんっ」

 ミランダのくぐもった気合の声と共に、拷問官の後頭部に渾身の頭突きが叩き込まれた。

 ごすっという鈍い音と共に、ぐらりと拷問官は前のめりに倒れ伏す。

「な、なんて女だ……。あ、いや、いま、自由にする」

 後頭部にまともに頭突きを入れられた暗殺者はぴくりとも動かない。

 ふごふごと鼻を鳴らすミランダの手足を戒める鎖を解いてやると、彼女は自分で口に入れられていた布を吐き出した。

「死ねっ」

 自由になるや否や、短く吐き捨てると共に暗殺者の腹に鋭い蹴りを入れた。

「おい、よせ。そいつは尋問する」

「放せっ、ベイル・マーカス。こいつはわたしに乱暴しようとしたぞ。もう少しで春画みたいな目に合わされるところだった」

「気持ちは分かるが殺すなっ。頼むからやめろっ」

 押し合いしていると、突き飛ばされてしまう。咄嗟につかんだのは、彼女の胸元だった。はだけていた胸がさらに大きく開いてしまって、鍛え上げられた腹筋と乳房に目が行ってしまう。

「す、すまない。とにかく、胸を隠してくれ」

 背中を向けて両手を上げたというのに、尻を蹴られた。

「見るなっ、馬鹿っ」

「み、見てはいない」

「見ただろうがっ」

 衣擦れの音が聞こえて、なんだか筆者も恥ずかしくなってきた。

「騎士ミランダ・ギルスネイ、振り向いてもいいか?」

「い、いいぞ」

 振り向けば、頬の紅潮したミランダ・ギルスネイがいる。こいつもこんな顔をするのかと、少し驚いた。

「その、なんだ。大変だったのは分かるが、こいつが放たれた理由が分かるかもしれない。少し付き合ってくれないか」

 ミランダは騎士と拷問官を呼んで拘束した暗殺者を見張らせた。

 執務室へ連れだって歩くのだが、どうにもやり辛い。

 妙なことに、必要なことのはずなのだが、どうにも妙なことになった。

「おい、騎士ベイル・マーカス。お前も騎士というのなら、さっきのは忘れろ」

「わ、分かった。記憶から消すよ、剣に誓うさ」

「嫌味か貴様っ」

 やり辛いことこの上ない。

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