第32話 騎士ミランダ・ギルスネイとの遅い食事 ※怪談ではありません

 食事は楽しく行うべきだ。

 筆者は独りで食事をすることが多い。

 味気無いという人もいるが、筆者にとっては独りの時間をたのししめる上に味わうという楽しみまでもがある。

 ミランダと食べる食事というのは、なんとも妙なものだ。


 夜の鳥屋、というものを読者諸兄のやんごとなきお方はご存じ無いと思われるために説明をしよう。

 トリアナンの城塞から先にある山地では、亜人によって蕎麦が栽培されている。

 帝国人は肥沃な大地で栽培した麦を主食としてきたが、開拓地であるトリアナンでは古くから蕎麦を食す習慣があった。

 腸詰肉に入れたりクレープにしたりという食べ方もあるが、開拓後に小麦が入ってきたことで蕎麦と小麦を混ぜたパスタが生まれた。

 口に合わない蕎麦粉に小麦を混ぜて代用としたのが発端である。

 二・八の割合で混ぜても小麦色ではなく蕎麦色が強く出るため、鳥の羽と呼ぶ。トリアナン近郊に多く生息するミミズクの羽色に似ているためだ。

 帝国人は蕎麦など食わぬというやせ我慢から呼ばれるようになったとか、蕎麦でベンネを打ったところ鳥の羽のように見えたからだとか、語源については諸説ある。

 蕎麦の色から夜に食べるのが良いとされて、夜半の屋台として『夜の鳥屋』と『鳥の羽』が生まれたのである。


 パー、プー、という間抜けな笛の音と、ミミズクが描かれたランタンが目印の屋台に辿り付くと、筆者とミランダは長椅子に並んで座った。

「ここは美味い。あと、店主の口が堅い」

 ミランダはぶっきらぼうに言うと、多めの金を渡して貸切の札を出させた。

「塩気の強いものをくれ」

 筆者が言えばミランダはついと怒ったような顔をする。

「ベイル・マーカス、そんな頼み方があるものか。黒鳥と腸詰を頼む。こいつにも同じものだ」

「ご、強引なことを」

「作法を知らん帝都者め。黙って従え」

 ため息をつきたくなったが、やめておく。

 ミランダの頼んだ黒鳥というのは、鳥の羽の形に似たパスタだった。小麦のそれよりも硬く、蕎麦の匂いが強い。

 スープに浸した状態で、スープと共に食うものらしい。横目で見やった彼女がそうしているのだが、お行儀が良いとは言えない。

 こういうのは苦手だ。

 マーカス家の家格は大したことないが、古くからの世襲騎士爵家である。礼儀作法については格式高い教育を受けている。

「啜りながら食べるのか」

 そんなこと、やったことも無い。

「ふん、帝都の連中はそんなこともできんのか」

 挑戦的な物言いに反応してやってみると、すごくやり難い。なんだこれは。

「味は美味いが、食べるのが難しいな」

 音を立てて食べることに抵抗がある。

 ミランダは啜るように食べているが、これもトリアナン流というやつか。

「ベイル・マーカス、話とはなんだ?」

「食べ終わってから話そう。冷めるともったいない」

 何が可笑しいのか、ミランダは笑った。

「法務官もそんなことを言うんだな」

「書類片手に湿気たパンでも食べると思っていたかな」

 法務官は金勘定と粗探しに忙しく、ものを食べる暇も無い。

 法務官を快く思わない者たちが使う嫌味だ。人の血が通っていないから、味なんておかまいなしにものを食う。実際には、忙しすぎてまともな店に行く時間が無いだけだ。

「そう思っていたよ。お前には助けられた、礼を言おう」

「ミランダ・ギルスネイ、私がキミを嵌めるために芝居を打ったとは考えないのか?」

「そうなのか?」

「そんな面倒なことはしないよ」

「そうか。なら、助けられたことに変わり無い」

 さも当然といったふうに言ってくれる。

 小娘め。聖女ミントやミス・ステラ、アシュトンなどよりも、よほどやり難い。

「美味いな、蕎麦というのも」

 帝都では食べたことの無い味だ。

「鳥の羽だ。蕎麦などと言うな」

「それも作法か」

 鳥の羽を食す時、食べるとは言わない。たぐる、または、啜る。そのようにトリアナンでは表現される。

 辺境の雅か。


 蕎麦、いや、鳥の羽を食べ終わってから話をすることになった。

 ミランダは怪談話の裏を調べているということ自体の意味をよく理解していなかったが、話がシルセン子爵家とギルスネイ家に及び、さらに兄にまで話が進むと眉間に皺を寄せてうなり始めた。

「ベイル・マーカス、そのよく分からんが、兄上が悪いことをしているということか」

「ああ、その理解でいい」

 ミランダは涙目にうなる。

 ひどい育て方をしたものだ。

 こういうのは本当にイライラする。法務官になったことを後悔したくなるのは、こんな瞬間だ。

「とにかく、兄上殿と会いたい。ミランダ・ギルスネイ、頼めるか」

「承知した。ベイル・マーカス、わたしのことはミランダでいい」

「これからはミランダ、……と呼ぶよ」

 さん、ちゃん、殿、どれも付けるには適当ではない。殿を付けるのは家格の差からしても厭味にあたり、さんもよくない。そして、ちゃんは論外だ。

「騎士ベイル・マーカス、ええい、仕方ない。ベイルと呼ぶぞ」

「あ、ああ、構わない」

 礼儀としては殿が適当なのだが、それを言う気にはなれなかった。

「今まですまなかった。兄上のことはギルスネイ家に責がある。わたしも手伝おう」

「心強いよ」

 分かったことがある。

 胸を張って言うミランダに邪心は無い。

 ギルスネイ家の、代々騎士を輩出するという看板のために育てられた娘だ。

 表看板として、騎士はこうあるべきとだけ。それだけを教え込まれたのだろう。だから、こんなにも真っ直ぐで汚れていない。

 貴族家やそれに連なる家系には珍しい話ではない。

 こんな若者と出会う度に、やるせない気持ちになる。

「シャルル兄は」

 ミランダの言葉に、意識が現実に向いた。

「シャルル兄は、わたしには良い兄であったよ」

 騎士ミランダ・ギルスネイの言葉は弱々しくて、そこにいるのは兄を想う妹なのだと知れる。

「罪に問うような話じゃないさ。お化けの話を聞くだけなんだから」

 笑顔を作って言ってみたが、筆者のそれは引き攣っていたのだろう。

 ミランダは頷いただけだった。



 その後、ミランダとアリスを筆者の執務室に泊めた。

 このように記述すると誤解を生みそうなため明記しておくが、ただ単にソファと寝台を貸しただけだ。あの騒ぎで二人目の暗殺者が放たれるのは考えにくいが、オズマに頼んで信頼のおける騎士を見張りにつけてある。

 筆者の執務室には薄気味悪いもので溢れているために、女性二人は微妙な顔だった。

 彼女たちが寝入ってから、書類を精査する。

 歳を重ねるにつれて、徹夜も厳しくなってきた。

「こんな娘がいても、おかしくない年齢になったか」

 筆者も兄のことが無ければ、結婚して家庭を持っていたかもしれない。

 そんなことを思うのが妙におかしくて、口元に笑みが浮く。

 過ぎ去った年月は取り戻せない。たるんだ腹が良い例だ。

 同じように、積み上げられた会計書類も取り戻せない記録として残っている。

「一等法務官らしい仕事をするか」

 数字は嘘をつかない。

 利益の絡む事件は足し算と引き算である。だからこそ、見えてくるものがある。

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