第30話 妖人アシュトン・ラズウエルの語った話 4
拉致した女は、頭に麻袋を被せて椅子に縛り付けてある。
ギルドは責めるための空家を用意してくれた。
死体の始末という仕事が追加されたら、拉致よりも多くの金貨が必要とのことだ。
「神官さんも、随分と怖いことをなさる」
あばた面の悪漢が言う。
「元、だよ。今は神に仕えていないさ」
足代ということで幾らか余分に支払ってやると、悪党は「まいどあり」とニヤついて立ち去った。
準備は万端だ。
人に口を割らせる方法は幾つかあるが、拷問は効率的ではない。
皮肉なことに教会で学んだのは効率的な方法である。
護摩を焚く。
護摩とは、植物の葉を加工して作る麻薬のことだ。
とろりとした顔で惚ける醜女たちは、安らぎの世界に漬かっている。
なんでも話してくれる状態に至るまでに、常人の倍以上の時間がかかった。
◆
二人の醜女は姉妹である。
シルセン子爵家の陪臣というだけで、古い家系の貴種はその異相を無いものとして接する。しかし、開拓以後にやってきた者たちは醜悪な容姿をあげつらう。
幼いころから姉妹は石を投げられて育った。
憎しみはあったが、それを上回る優越感を持ち得ている。
太古から根付く人間たちの知らぬ真実を学び、この地の平穏の護り手であると知るからだ。
わたしたち姉妹は石を投げられて育ちましたよ。
この面相ですからね。
女は醜く、男は美しく生まれるのが、シルセン子爵家に仕えるわたしたちの宿命ですからねえ。そりゃあ、辛いですよ。
辛いなんてもんじゃあないですよ。
子供の時から、古い古いしきたりや儀式を学びます。
二月のお祭りがあるでしょう?
ええ、されこうべのお面を被って練り歩くアレですよ。
トリアナンの地下深くを走る屍喰鬼の回廊。あれが二月には緩むのです。屍喰鬼たちを鎮めるための儀式ですから。
教会はそんなこと認めやしませんけど、トリアナンにはそういう古いものが根付く土地なのです。
シルセン子爵家というのは、トリアナンの地に眠る者たちを鎮める役割を持っていたのです。
おころも様が現れるまでは、そのお役目を果たしておりました。
◆
おころも様、なんとも不気味な響きだ。
「お気づきになりましたか? 口の裂けた少女こそがおころも様ですよ」
筆者は口元が引き攣れるのを抑えられない。
これはきっと、今まで集めたもののなかで最大の奇談となる。名前のついたお化けなど、それこそお伽噺にしか現れないものだ。
「変わったお方ですな」
燭台の灯りに照らされたアシュトンは優しげな笑みを浮かべた。その笑顔の裏には侮蔑めいたものがあると気づく。
「アシュトンさんには言われたくないですよ。おころも様というのは、どんなものですか」
がっつくな、とでも言うかのようにアシュトンは茶を入れ直してくれた。
苦い茶もいやに美味く感じる。
「呪術師のいうところの、使役魔のようなものです。詳しくお話ししまょう」
いいぞ。
続きを。
◆
シルセン子爵とクラウディア姫の婚約が決まったのはお互いが八歳のことである。
幼い子爵とクラウディア姫は、幼いながらに好き合った。微笑ましい子供時代は、暗い影を落とすこととなる二人にとって最も輝いた時間である。
正式な婚約を祝う宴は親類のみを集めた小さなものだった。
幼い二人に送られた祝いものの中に、その人形はあった。
名工の作と思しき少女の人形。
クラウディア姫は愛らしい笑みを浮かべる人形を大層可愛がったという。
子爵を交えたおままごとを大人たちは微笑ましく見守ったものだ。
シルセン子爵家で見慣れぬ子供が見受けられるようになったのは、このころだ。
ありふれた怪談話である。
見受けられる少女はあの人形と同じ服を着ている。
醜女の姉妹はその時のことをよく覚えている。
クラウディア様から生気が失われていくのが分かる。
少女が幼い姫君の背に張り付いて、裂けた口から伸びる舌でその肢体を舐め回す様を。
姫様が気づかず元気に振る舞われるのは、より痛々しく悍ましい。
獣人の末裔である子爵家の人々には見えていた。
見えぬは、外から嫁いだ女たちと当のシルセン子爵のみ。
魔祓いは幾度も行った。
それこそ、古く力ある儀式で魔を退去させようとしたが、そのどれにも効果は無かった。
正攻法とでも言うべきだろうか。
魔を鎮める最後のやり方。
屋敷神としてお祀りすることである。
醜女の毎日は、おころも様に奉仕する日々に変わった。
おころも様は祭壇を作るように命じられた。
分家であるギルスネイ家が所有するダリオの嘆き谷の山荘に隠し祭壇を作り、
使用人が欲しいというから、人形を奉納した。
毎月一つ。
人が入らないようにしていたが、冒険者たちの噂に乗っていつしか人形の家と噂されるようになった。
噂は止められず、いつしか持て余した人形が捨てられるようになった。
シルセン子爵の邸宅にも穢れた霊や魔が増えていく。
何度も浄化と調伏を試みたが、全てに効果が無かった。
おころも様は裂けた口で嗤う。
失敗する度に、依代の人形に着せるドレスをせがむ。
ドレスの作成が遅れれば、クラウディア姫は病に伏せる。
名を秘するため、おころも様と呼ばれるようになった。
醜女たちは、そこまでを淀みなく話した。
その後のことを尋ねると、激しく動揺しておいおいと滂沱の涙を流す。
「よかれと思ってしたのです。あのようなことになるなど……。あの日、シルセン子爵家の命脈は途絶えてしまいました。その責はわたしたちにあるのです」
涙ながらに獣人の末裔は語る。
霧の出た夜でした。
蒸し暑い夏の日のことです。
おころも様のお姿はどんどん濃くなり、クラウディア様にかぶさり、その体を意のままにすることまであって、わたしたちは、神子様におすがりすることにしたのです。
シルセン子爵家の地下室に秘密の入り口がございます。
神子様を、我々が本当に祀るべき荒ぶる大神、地下深くの
獣人たちに羽交い絞めにされて地下へと運ばれる姫。
先祖と異形の眠る地下の霊廟。その奥の奥へと進み、祭壇に幼き姫を縛りつける。
あの時のことは思い出したくもありません。
神子様はおころも様を滅ぼすどころか、何も応えてくれなかったのです。
悪鬼のように白目を剥いて哄笑を上げる姫様に、わたしたちは何もできず、蜘蛛のようなお姿で這い回る姫様に、わたしたちは、あああ、あの時、わたしたちは、どうしてよいか分からなかったのです。
だから、だから、あのとき、なんとか眠らせようとしたのです。
おころも様の狂気じみた嗤い声は今も耳を離れません。
恐ろしいことだけはたくさん、たくさん起きました。
おころも様は、わたしたちの汚れたことを知っていて、あああ、それを言い当てるのです。
気が付いたら、姫様の首を絞めていました。
わたしたちの愛していた姫様は、冷たい躯に成り果てておりました。
うう、おいたわしや。
病死ということにはできました。けれど、わたしたちは取り返しのつかぬことをしたのです。
あれから、おころも様に奉仕するようになりました。
それ以外に、何が残っているというのでしょうか。
尊き大神は我らを見捨てたのです。おころも様におすがりする以外に何があるというのでしょう。
御当主様がご乱心するずっと以前に、シルセン子爵家は潰えていたのです。
◆
獣人の血により醜女として生まれついたのは、天帝の罰だと伝えられている。
人と恋をした天女は天帝の試練に敗けて、胎の子供と共に死した。その亡骸から迷宮と魔物が生まれたと伝説にはある。
獣人たちはその先を知る。
天女の亡骸より這い出した人と天女の合いの子は、哀れなダリオを貪り喰らう。
憐れな合いの子は異形の鬼となり果てて、トリアナンの地を支配した。
獣人は鬼の子孫である。
シルセン子爵家の始祖と契った神子とは、異形の鬼。
ダリオの嘆き谷で死した天女が孕んでいた胎児そのものである。
アシュトンはため息をついて、筆者の背後を見やった。
「私の調べたことも含めて、これが真相というものでしょう」
空になった杯に、茶を注ぐ。
ぬるいが、乾いた口にはちょうど良かった。
「醜女は、そのようなものでしたか。続きがあるのでしょう? おころも様とやらは、どうしてシャルルに子を造らせようとしてるのですか」
続きが聞きたい。
他に何があった。何も無いはずが無い。
「このアシュトン・ラズウエルも、焦りすぎました。失敗したのですよ」
「どういうことです」
「醜女たちを解放しましたが、翌日にあの姉妹は首を吊りました。醜女の死体と、話題になりましたよ」
アシュトンは深いため息をひとつ。
「わたしの目には見えています。今も、マーカス先生の背中の辺りで、姉妹仲良くぶら下がっています」
筆者は悲鳴を上げてしまった。
とんでもない脅かしだ。無論、振り向いても何も無い。
「な、何をいいますか」
「シャルルとはあれから距離を置きました。今のままでは、おころも様には歯が立たないと分かりましたし、待っていたのです」
「……何をですか?」
「マーカス先生、あなたのような方を、お待ちしていたのです」
全く意味が分からない。
それでも、アシュトンの瞳には嘘が無いように見えた。
政治的な意味でも、人形の祠の真相を知るためにも、ギルスネイ家に対処せねばならない。
厄介なことだが、おころも様を想像すると胸が躍った。
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