第29話 妖人アシュトン・ラズウエルの語った話 3

 古い家系図を辿れば、ギルスネイ家がシルセン子爵家の分家だと知れる。

 アシュトンはわざわざ家系図を持ち出してそれを証明してくれた。

「どこで手に入れました?」

「金に困っていたシャルル・ギルスネイから買い取ったのです。写しではありませんよ」

 シルセン子爵家を調べていたら、分家の末裔が法務官を嵌めるような真似をしてきたということか。

「霊や怪奇とは関係の無い話になってきたか」

 人が人を殺すのは、恨み、利益、はずみ、その三つが原因だ。それに当てはまらない殺しというのは、法務官が出るような話ではない。事故のようなものである。

「マーカス先生、あなたは現実主義者なのですね」

 何かの皮肉なのだろうか。

「霊や幽界も現実の一部と捉えていますよ」

 そうでなければ、人は死という無から逃れられない。

 筆者は死と無を恐れている。そして、死後があるとしたら、そこが無明の荒野であることもまた恐ろしい。




 ◆


 アシュトンがシャルルと出会ったのはトリアナンのとある酒場でのことだ。

 貴族が行くような場所ではない。

 薄汚れた連中の坩堝のような酒場であった。

 シャルルはそこの娼婦とねんごろになっていた。

 アシュトンも好き好んでそんな場所に足を延ばした訳ではない。どうしても断れないスジから店主を紹介されてお祓いを頼まれたのだ。

 店主は四十歳くらいの娼婦上がりの女だ。

 女が言うには、妙な鼠が住み着いて落ち着かないという。

「私を呼ぶよりも猫いらずを置く方が安上がりでしょうに」

 アシュトンが言えば、女店主は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「女たちも怖がっててね。猫より大きくて、人の顔が付いてんのさ。センセになんとかしてもらいたくて」

 吐き捨てるように言う女店主の顔は青ざめていた。その様を思い出したのか、二の腕をさする。

「ま、よろしいでしょう」

 アシュトンは営業中の酒場を歩き廻って、それらしきを捜した。

 何がしかの呪いでも受けているとしたら痕跡がある。

 店主と共に二階の連れ込み部屋から娼婦の部屋まで全てを見てみたが、それらしきは無い。

 二階から見下ろせば、酒場の盛り上がりとは裏腹に闇が深い場所があった。

 じいっと闇に目を凝らして分かるのは、娼婦らしき女といちゃついている軽薄そうな男前が悪いものを背負っているということだ。

「店主、彼は?」

「ああ、シャルルって名乗ってるロクデナシさ。いいとこのお坊ちゃんらしいけど、何が楽しいんだかここらの娼婦に声をかけてるよ。前金で貰ってるから文句は無いんだけどね」

 ああ、こいつか。

 アシュトンの視界において、シャルルに大きな魔はついていない。ただ、残り香のようなものがある。

「あれと手を切れば鼠は出ないでしょう。……店主、ほら、あれを見て」

 アシュトンが指差す先は、闇の奥だ。薄ぼんやりと、ランプのものとは違う灯りがあった。

「ひっ」

 女店主が悲鳴を上げる。

 小さな女がシャルルという男に赤子を差し出すように掲げている。しかし、当のシャルルはそれに気づかず娼婦の髪を撫でていた。

「センセ、あれは」

「あの男に憑いているのでしょう。金を返して追い出すか、我慢するかなさい。関わって得はしませんよ」

 悪意ある魔の気配は独特のものだ。

「……金は、そんなに残ってないのさ。センセ、なんとかしてくれやしませんか。ちらっと見えたけど、アレは怖いよ。アレはイヤだよ」

 男と女では恐怖するものが違う。

 宦官であるアシュトンには、子供を差し出そうとしている女の怪は『特別』ではない。魔ではあるが、それだけだ。

「大したことのできるモノではありませんが」

「それでも、あんなのは見たくないさ。センセ、頼むよ」

 この時、断らなかったのは間違いであったのだと思う。




 シャルルの隣に座り話しかけてみる。

 少し奢っておだててやると気持ちよく口を開いた。

 曰く、帝都で学院に務めていたインテリだが、跡継ぎのために仕方なくトリアナンへ戻ってきたとか。

 嫡男として最低でも二人は男子がいるとかで、結婚なぞさらさらする気はないという。

 悪ぶっているが底の浅いことの知れる男である。

 ただ、顔だけはすこぶる良かった。

 女を蕩かせる美形であるのだけは間違い無い。

「ふふ、僕の美形は先祖代々から受け継いだものなのさ。今ではなくなってしまったけど、あのシルセン子爵家の分家だからね」

「ほう、あなたが」

 それを聞いて、女店主の頼みを引き受けることにした。



 シャルルと仲良くなるのは難しいことではなかった。

 彼と話していると、美形とは裏腹に華奢な身体へのコンプレックスがあるとすぐに分かる。

 男とは話したくもないという様子を見ると、若い時は美形が足を引っ張ったタイプなのだろう。

 酔うと騎士である妹を悪し様に罵る。

 薄っぺらな男だ。

 家柄を褒めてやると、次に会う時には家系図を持ってきて自慢した。きっと、自分が嘘をついていないことを証明したがったのだろう。情けない男だ。

 彼と付き合いだして季節が一つ巡り、件の店には行かなくなった。

 娼婦がどうしても妊娠しないからだ。

「女の子はいらないんですよ。男の子がいるんです」

 シャルルは泥酔して言う。

「帝都でも、いい子がいたんですけど、どうしても子供ができないんです。出来ても女の子みたいで」

「私生児がいるのですか?」

「いやあ、分かるんですよ。女の子ができたら、あいつが食っちまうから……」

 そこまで言ってから、シャルルは口を噤む。

 背後に冷たい気配があった。

 アシュトンは振り向いた。

 今から思えば、魔などに負けないといい気になっていたのだろう。

 振り向くと、耳まで裂けた口を持つ少女がいた。

 じっと、それはシャルルを見ている。

「アシュトンさん、どうかしましたか?」

「いや、誰かいた気がしましてな。気のせいでしたか」

 見えないフリをした。

 あれはいけない。

 幽霊や魔の類は平面状に見えることが多い。

 この少女は確かにそこにある形をしていた。これは良くない。明らかに強いものだ。地獄にでも迷い込まないと見れるものではない。

「ああ、そうそう、冒険者の女と付き合ってるんですよ。ははは、硬い身体で、顔は悪くないんですが、どうにもねえ。いやあ悪い娘じゃあないんですが、戦士の女ってのはどうにもねえ。雅じゃなくて」

 シャルルは気持ちよく女の話をする。

 別の視線を感じて見やれば、ひどく醜い顔をした女がこちらを見ていた。暗い、湿った視線である。

「ははあ、女体というのもまた色々とあるのですなあ。宦官の私には縁が遠い話ですが、シャルル殿の美しさは分かりますぞ」

 その日もシャルルのつまらぬ話に付き合った。



 夜半、アシュトンはトリアナンの道を歩く。

 シャルルのご機嫌取りを終えた帰り道のことだ。

 視線がある。

 あの少女のものではない。生きたものの視線だ。

「先ほどから尾行していらっしゃる方、何者ですか」

 振り向けば、二人の人影がある。

 スカーフで顔を隠した二人の女である。

「神官殿、シャルル様には手出し無用にお願いしたいのです」

 二人の女はスカーフを外した。

 それは、醜い女であった。二人とも、顔かたちは崩れているように醜い。それこそ、トロルの血でも引いているかのような醜さだ。

「あなたたちは何者ですか」

 ただの女ではあるまい。

「シルセン子爵家に連なる者にございます。どうか、どうかシャルル様にはお手出ししないで下さいませ」

「仔細があるなら聞きましょう」

 女たちは背を向けて暗がりへ走った。

 追おうとして、袖を引かれた。


 だめだよ。


 あの少女がいた。

 美しいドレスを着た貴族の少女である。

 背格好からして十くらいか。

 顔には、口だけがある。

 耳まで裂けた口がある。


 教会の聖句を吟じたが、少女は歪に引き攣れた唇で笑むのみだ。


 きかないよ。


「住む所へ還れ」


 うふ、ふふふふ。

 邪魔しないでね。


 少女はくるりと背を向けて走った。闇の中に消えていく。

「バケモノめ」

 幽霊や魔というものが実際に人を害するなどということは、まず無い。あったとしても、それはただ人を怖がらせて参らせるというものだ。

「縁を結べば関係無しか」

 あれは、あまりにも強い存在を持っている。

 一目見る、絵姿にする、それだけでも縁を結んでしまうような魔であろう。あれが姿を消したのも、いつでもやれるという余裕からだ。



 この段階で、女たちはアシュトンをただの坊主崩れの霊媒師だと思っていたのだろう。

 それは大きな誤りである。


 あまりにも醜い女ともなれば目立つ。

 非合法のギルドに金を支払えば、すぐにその所在は知れた。


 少なくない金貨を支払って、女を拉致する。

 アシュトンのそれは、霊と魔にはできぬ行いであった。

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