第26話 妖人アシュトン・ラズウエルの語った話 序 

 アシュトン・ラズウエルの邸宅は、ジュリアスから聞いた話の通り清潔で整えられた印象のある作り物めいたものであった。

 ただ単に、筆者が彼を妖人と思い込んでいるためにそう見えるだけかもしれない。実際には、元は神官をしていたというのが頷ける小ざっぱりとした家に過ぎないのだろう。

 先入観というものはなかなか捨てられるものではない。

 目の前のアシュトン・ラズウエルもまた、身なりの良い文化人然とした宦官であった。

 決して派手ではないが仕立ての良い高価な服装。

 丸みのある身体から、宦官特有の厭らしさは感じない。

「随分とお若いのですね」

「ふふ、もう六十歳になるのですよ」

 目の前の宦官は、筆者と同年代か年下に見える。にわかには信じられないことを言ってくれた。

「夕食は済まされましたかな?」

「はい。急にお願いした手前、そこまで甘える訳にはいきませんので。手土産に茶を持って参りました」

「それはいい、頂きましょう」

 霊媒の類と会う時は、出されたものを食べないようにしている。

 大抵において、拝み屋の類は麻の胡麻を焚く。

 詐術とは言わないが、魔法使いですら麻の煙には騙されるのだ。用心するにこしたことは無い。

 応接室に案内されて、席に着く。

「さて、マーカス先生、一つ頼みがあるのですが」

 そう言ってアシュトンが取り出したのは、耳講奇譚集である。ここにも、焚書を逃れたものがあったか。

 帝都を離れて高値で取引されているというのも妙な話だ。

「サインを頂けませんかな。実に素晴らしい内容でした」

「したいのはやまやまですが、焚書の憂き目に遭ったものです。一等法務官として見逃すことはできても、サインまではできませんよ」

「そうですか、残念です」

「また本を出せた時には、進呈しますよ」

 アシュトンは子供のような笑みをみせた。

「マーカス先生、なんでも『ダリオの嘆き谷』と『人形の祠』、それに『シルセン子爵家』のことを調べていらっしゃるとか」

「その件で色々とお聞きしたいのです」

「……ははあ、なるほど。マーカス先生なら、大丈夫かもしれませんな」

 アシュトンは筆者にしばらく待つように言って、何かを取りにいった。

 さて、懐に忍ばせた人形は無反応。がっかりだ。

 魔力反応を検知する魔道具で辺りを探るが、幻術の気配は無い。茶器に薬を塗るという古典的なことをしている可能性も捨てきれないために、試験紙と銀棒で試してみたが、こちらの色も変わらなかった。

 やはり、外に冒険者でも連れてこさせたほうがよかったかと後悔する。ジュリアスに紹介してもらった手前、ギルドに護衛依頼は出せなかった。単身で乗り込むことになってしまったが、相手がやり手の詐欺師であったら何をされるか分かったものではない。

「お待たせしましたな」

 アシュトンが持ってきたのは、高価なガラス瓶に入れられた何かの標本、小さな頭蓋骨、小人のミイラといった典型的な呪いの物品である。

「これらは?」

「全て本物なのですが、どう思われますか?」

「詐欺に使う小道具ですな。例えば、その標本は願いを叶えるものとして金貨五枚から百枚といったところで売りつける。次はその頭蓋骨ですが、邸宅の玄関にでも埋めてから、法師の紛争をして屋敷が呪われているとでも言って玄関を掘らせる。こんなものが出てきたら、弱気になっている人は信じてしまうでしょう。金貨でもいいし、その人物に取り入ってもいい。その小人も、聞かせましょうか?」

 詐欺としてはごく普通の内容だ。

 こういった寸劇を行う詐術というのは、信じさせるための前準備に費用をかける。金貨十枚を準備に遣って、五十枚にしておさらばというのが玄人くろうとの仕事だ。

 最近は準備に金もかけずにお手軽に大金をせしめようとするチンピラが増えた。

「むむむ、マーカス先生は強固な現実に生きていらっしゃるのですなあ」

「アシュトン・ラズウエルさん、あなたは公的には六十歳の老人なのに私より若く見える。あなたは陽光の下を歩き、聖堂に祈りにも行く。だから吸血鬼であるという可能性は捨てました。ではエルフなどの長命種とも考えましたが、姿隠しの魔道具を使っているとも思えない」

「では、どうだとお思いなのですかな」

「元々あなたは老いてなどいない。若返ることはできなくても、歳を経たように見せかけることはできる。あなたが何をしているかには興味がありませんよ。大きなことさえしなければね」

 細作というものは、自在に見た目を、性別すら変えてみせる者がいるのを知っている。

「いやはや、先生は妙なお人だ。私は、魔や精霊を喰らって不老長生を果たしているという結論には至らないのですかな」

「それは、飛躍しすぎではありませんかね。耳講奇譚集を作った時にも散々に霊媒から忠告されましたけど、特に何もありません」

 筆者の考えるところだが、幽霊やお化けは物理的な力を持たない。非常に稀に命を奪うといった話もあるが、元々死にそうな者のところに現れているだけに思える。

 幽霊というものはかすかな存在だ。。

 受け取る側がそれをどう取るかで変わる。

 詐欺の被害者は、儲け話に騙されるのではない。自らが信じた幸せを得るために金を吐き出す。

 受け取る者がそう思えば、ガラクタの標本は願いを叶える呪具に、小動物の頭蓋骨は不幸をもたらす呪物と成り得る。

「アシュトンさん、美人局というのがあるでしょう?」

 女についていったら男がいて、俺の女に何をしてくれるんだと凄んでくるというヤツだ。

「ええ、ありますね」

「本物の詐欺師、玄人というのは金を払った男に夢を見させてやるんですよ。この金で彼女は人生をやり直すなんて、そんな幻想を見せてやるんです。被害者は満足している。美しい夢の対価として見合っているんなら、それは詐欺ではない」

 アシュトンの目を見れば、彼の目は爛々と輝いていた。柔和な笑みは、どこか狂気じみたものに変わっている。

 やっと仮面を脱いだか。

「いやはや、帝国に十人いないという一等法務官なだけはありますな。実に、実にあなたは恐ろしいお方です」

「はは、そう言われたのは初めてですよ」

「ま、真実など受け取り手次第というのでしたら、この私も手を出せなかった人形の祠の地権者を教えてさしあげましょう」

「怪談話を聞きたかったんだが」

 アシュトンは朗らかに笑った。

 笑みを絶やさない男を信用してはいけない。宦官はどうなのだろうか。人間はどれも同じかもしれない。


「ギルスネイ家ですよ。あなたの同僚、ミランダ・ギルスネイの兄上に当たる人物が地権者です」


 なるほど、どうりで外様の筆者がいくら調べても出てこない訳だ。

 トリアナン庁舎のほとんどが敵であったか。

 まともな情報が集まらない上にミランダに全てが筒抜けになる。

 騎士として尊敬を集めるギルスネイ家に、帝都から来た法務官が難癖をつけようとしている。

 トリアナンの騎士たちが敵に回るには充分な理由だ。協力している者たちも、多くは知らされてはいまい。

 ミランダが筆者を斬ったとしても、トリアナンの騎士たちはミランダの正当防衛だとでも証言するだろう。そして、筆者がミランダを投獄すれば義憤の仇討として斬る理由になる。

「まいったな。面倒なことになった。アシュトンさん、あなたの口から言ってもよかったのですか?」

「宦官を斬ろうという騎士はおりませんよ。それに、なんとでもなります」

 笑ってしまった。

 悪党なのは間違いなさそうだ。

「では、ギルスネイの話をしましょうか。マーカス先生のどちらの欲求も満たせる話ですよ」

「聞きましょう」

 すっかり冷めた茶を飲む。

 手土産の茶は値段で選んだ逸品だというのに、苦味が強く口に合わない。

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