第25話 ベイル・マーカスが帝都で見合いをした折に聞いた話
紛失していた過去の覚書より書き起こした内容となる。
唐突かと思われるだろうが、帝都での話であることを先に明記しておく。
訳ありの女と見合いをしたことがある。
筆者は三十歳近くになって兄の死によって騎士爵を継承した。
甥が元服するまでは騎士爵を維持する立場にいるため、あと十年ほどは騎士を続けねばならない。
騎士爵など親戚筋にくれてやりたいのだが、マーカス家は色々と難しい立場にあるためそれもままならない。
そのような事情があり、甥が病に倒れた時のためにスペアとなる跡継ぎをなんとしてでも造らねばならないという急務があるのだが、一等法務官の職務で忙しく後回しにしている。
このような不良物件の筆者にも見合いの話が舞い込むことはままある。
◆
筆者は三十五歳である。
この年齢に釣り合うとなると、夫に先立たれた未亡人か出戻り娘。または、何か特別な問題のある女性となる。
帝都を発つ少し前に舞い込んだ見合い話は、未だ十五歳の娘である。
断るつもりであったが、仕事上の付き合いでどうしても会うだけ会わねばならぬということになった。
腹の出てきた中年男にしなを作らされる少女というのは、想像するだけで痛ましい。
法務官は世間様が思うほどに権力のある地位ではない。
実情より印象がモノを言うのは世の常である。
顔合わせは帝都の大聖堂で行った。
教会の運営する貴族向けサロンで異常に高額な茶を飲んで待っていると、婆やに付き添われた少女がやって来た。
「ベイル・マーカスと申します」
あえて礼儀を欠く挨拶をすれば、着飾った少女はぎこちなく微笑んだ。
「クロエと申します」
ブロンドの髪をした可愛らしい少女である。
上目使いに筆者を見て、今度は嬉しそうに笑んだ。
親に言われてやっているのだとしたら、気に入らない。そんなことをさせてしまう自らに罪悪感が募る。
婆やはそんな我々を見てそそくさと席を外した。
「私はキミくらいの年齢が苦手なんだ。親御さんには私の我儘で断ったことにするよ。聖堂の芝居を見て、あまり話をしてくれなかったとでも言ってくれればいい」
大抵の場合、これくらいの少女はホッとした顔で頷くのだが、その時ばかりは様子が違っていた。
「あ、あのう、マーカス様、こ、これに、さ、サインをお願いします」
女物の小さなカバンから取り出したのは、出版したばかりの、この時点で三週間ほど後に焚書される耳講奇譚集であった。
「は、キミ、これを買ったのか」
「はい、とても素晴らしい内容でした。マーカス先生」
「せ、先生はよしてくれ」
照れる。顔が笑みを作ってしまいそうで、こんな少女にそんな顔は見せられない。騎士らしく仏頂面をしたいのだ。
色々と感想を聞かせてくれたのですっかり嬉しくなってしまった。
しばし談笑した後のことだ。
「ねえ先生」
「ん、何か」
「わたし、不思議なものを見るんです」
美しい顔で笑みながらクロエは言う。
がっかりした。
こういう手合いがいるが、筆者にとっては嬉しいものではない。
幽霊や異形の者、それらとの邂逅で何が起きて何があり、どのようにして今があるか。それを知りたい。
特別な人間だから、幽霊が見える。そんな話はうんざりするほど聞いてきた。
「ほう、何か面白い話はあるのかね」
大抵において、この手の人間はどこかで聞いたような話を披露するだけに終わる。
「はい。あの婆やのことですけど。足に子供を四つも絡み付かせていて、みんな干からびた赤ちゃんなんです」
にこにこと笑って、クロエは言った。
「そ、それはまた、凄いな」
いい意味で予想は裏切られた。
短い言葉だか、そこにある穢れには筆者を惹きつける魅力がある。
「そんな人は多いのですけれど、婆やはあの干からびた子供を持ったままみたいで、たまにあれはこっちにも来るんで蹴飛ばしてやるんですよ」
全く普通のことのように、クロエは続けた。
「子供のころからずっとなんで、もう慣れてはいるし、皆様が厭な顔をするという気持ちもあまり分からないのです。だから、わたしは、どうにも嫌われてしまうのです」
「確かに、そんなことを食事時に言われたら嫌だな」
「うふふ、ふふふ、こんな話ですけど、聞いて頂いてもよろしいかしら?」
「もちろん」
クロエは花が咲いたような笑みを浮かべた。
芝居を観るのはやめにして、帝都をそぞろ歩くことにした。
年齢の離れた夫婦というのは珍しいものではない。特に、貴族ともなればなおさらだ。
数百年前の皇帝陛下だが、十三歳で即位して三十歳の側室を最初に得たお方もいらっしゃるほどだ。
わたしは、三つの時に病にかかって酷い熱を出したのです。
寝台に伏せっていましたら、妙なものがやってきて暗い方向に手を引くのですけど、駄々をこねていきませんでしたの。
熱は下がったのですけれど、それからずっと見えるようになってしまいました。
おかしなことを言う子供でしたから、十のころに学院へ放り込まれたのです。十五歳を過ぎた方には学術ですけど、それ以下となると躾にお稽古ですから……。
あそこは、とてもヘンなんですよ。
以下は、クロエから聞いた話を小説として纏めたものである。
◆
十三歳になり卒業か学術の科目へ進むかの選択を迫られた。
砂が水を吸うように学問を吸収したクロエは、教師たちからは天才か秀才か見極めの難しい子供と評されている。
クロエ自身は学問は嫌いではないが、一日を何もせずぼんやりと過ごせと言われたら喜んで、実際にそうして過ごしてしまう怠惰さを持っていた。
寝食を忘れて没頭できるものが無い。
クロエがお化けを見るのも、優秀な能力を活かせないが故の鬱屈から出たものであろうと学院の医学術士が見立てたものだが、彼女自身はただそこにあるモノだと認識していた。
ぼんやりと過ごしていたが、ある時に学士の一人にしつこく口説かれるようになった。
口説き文句は「僕の子供を産んで欲しい」である。
それも悪くは無いと思ったが、どうにもその男はよくないものに付き纏われていた。
鼠ほどの大きさをした女が、死んだ子供を抱えて足元できいきいと鳴いている。
男に捧げるように、子供を持ち上げて哀れっぽく鳴くのだ。
泣くのではない。鳴いている。もう言葉も忘れたのだろうか。
男は研究室で働く学士だったが、あまり優秀ではない。
見目麗しい男なのだけれど、仕事はできない。
女たちが手助けしてくれてなんとか一人前という男だった。
そんな男から口説かれるものだから、女たちからはきつく睨まれる。
ある時、そんな女の一人に詰め寄られた。
「ねえ、あの人をどうやって誘惑したの?」
人気の無い研究室で詰問されて、クロエは口元で笑った。
「……別にそんな気はないんですけど」
「イラつくのよ、あんた。そういうの迷惑だし。子供のくせに、生意気だし、あと幽霊とか見えるなんて、頭おかしいんじゃない?」
クロエは笑ってしまいそうになった。
この女は自分がどんなことになっているか気づいてないらしい。
女の腹には、大きな、それこそ赤ん坊ほどの、蝉の幼虫のようなものがしがみ付いている。
「お腹痛いでしょう。それ、取ってあげる」
さっ、と手で払うと蝉の幼虫が落ちる。
踏みつぶすと、赤ん坊のような声で鳴いて、溶けて消えた。
「あああああ、いたっ、いたい」
女が絶叫してうずくまる。
太ももに血が伝って、ああ、落ちたかと分かる。下着の中でさっきのあれの肉が出てきたのだろうなと思った。
「人を呼んでくるから、じっとしててね」
女は妊娠していて、突然に子が流れたということになった。
あの男の種だな、と分かる。
どうしてこんなことになったか詰問されて、あったことをそのまま言ったら退学処分になった。
教授たちの間では、天才で変わり者として知られるシオン教授の研究室への内定があったために、残念がられた。
女の見舞いに行ったのだけど、クロエを見ると悲鳴を上げてしまうために、詫びの一つも入れさせてくれなかった。
少しだけ悪いことをしたと思うが、あんなものを産むのも辛いことだろうと思う。
実家に帰るために寮の部屋を整理している時にも、男は現れた。
「あの子は気の毒だったけど、変な噂を流されて大変だったろう?」
魔女だなんだと言われているのは前からだ。
クロエには見えている。
男の後ろには、何か恐ろしい女たちがいる。それらの愛憎は、男を引き裂いてしまうほどに大きいものだ。しかし、それはできない。
幼子が大人に勝てないのと同じ理屈で、この男を害せないでいる。
「いいえ、前からのことですから」
「きみはとても魅力的だ。とても、
頬を撫でられて、背筋に
男は、見目麗しい顔付きをしており、その体もまた女を惹きつけるものがあった。それは、花が繁殖のために虫を吸い寄せる蜜を持つのに似ている。
「あなたの手はどうしてそんなにざらざらしているの?」
「え、何を言っているんだい」
男は笑顔だが、目か冷たくなった。
「あなたの長くてきれいな指には、どうして水かきがついているの?」
「馬鹿なことを」
「あなたの細い首とキレイな鎖骨の間には、どうしてお魚みたいな鰓があるの?」
クロエは言いながら、口が止まらなくなっていることに気付いた。
「あなたは、どうして女のお腹に卵を産み付けるの?」
男の顔は強張って、目はまるで魚のようになっていた。
ああ、見える。
こいつの背後には、何か異常なものがいる。
「あなたなんかキライよ」
クロエがそう言うと、顔を強張らせた男はくるりと背を向けて逃げた。
言い終えて、ふうううと大きく息を吐く。
寝台に腰かけて、もう少しで乱暴されるところだったと気づいた。
開けっ放しのドアがきいと軋む。
ふと見れば、ドレスを着た小さな女の子の後ろ姿があった。
あ、こいつが言わせたな、そう気づいた瞬間に、少女を見ないように下を向いた。
額から汗がじわりと滲み、したたり落ちる。
怖い。
幼いあの日、枕元に訪れた死に誘う何者か。あれと同じかそれ以上の恐怖がある。
これはなに?
生きているのか死んでいるかの区別もつかない。
何か、異常なものだと分かる。
「ふふ、うふふふ」
含み笑いが耳元で聞こえて、それから先のことは覚えていない。
気が付いたら、学院のカフェテラスにいた。
目の前には冷めた茶が二つ。
女中に尋ねれば、先ほどまで小さな女の子と談笑していたとのことだ。
ぶるぶると手足が震えた。
それと同時に、助かったと、幸運にも助かったのだと分かる。
その日の内に、実家に帰った。
それからは、幽霊を見ても見えないふりをして、人に話すことも控えるように努めた。
特に、この話をしたらまたあの少女がやって来る気がして、どうしても話す気になれなかった。
◆
庶民向けの甘味処で、焼き菓子を頬張るクロエは実に可愛らしく、今しがた聞いた話の印象が嘘のようだ。
「マーカス先生、この話は先生に聞いて頂きたかったんです」
「もし、その少女が出てきたらまた聞かせて欲しい」
なんともいえない異常な話だ。
裏は後で取るとして、その男というのも実に面白い調査対象である。
名前は聞いたし学院にいたというのなら、よほどの爵位持ちでなければ調べられる。一等法務官になっていて本当によかった。
「先生は、どうして耳講奇譚集を?」
「ん、ああ、最初は私も事の本質を見極めるための資料というつもりだったんだが、どうにも面白くて仕方なくなったんだ。理由といったらそうなるか」
「先生、小さな女の子に気をつけて下さい。きっと、わたしが話したのにも、意味があるんだと思います」
妙なことを言う。
「昨日、枕元にあの子が立ったんです。顔は怖くて見られませんでしたけれど。きっと、先生に話せということなんだと思います」
何か言う前に茶を口に含んだ。
硬いものが舌に当たって、吐きだすと魚の鱗である。
その日は、また会おうと約束して見合いもお開きの時間となった。
◆
馬車に揺られながら、かつての覚書を読みこむ。
「……繋がると言えば、繋がるか」
関連付けというのは、妄想の始まりだ。
特に、幽霊やお化けのことなど理からは遠いのに、勝手に理を作ってしまう。それは、狂気に繋がる危険なことである。
「ダンナ、そろそろ着きやすぜ」
宅師のロブの言葉に、思考を打ち切った。
妖人との約束には、時間ぴったりで間に合いそうである。
クロエに文でも書くかと、不意にそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます