第24話 妖人アシュトン・ラズウエルにまつわる話
ジュリアスの依頼は面倒な仕事だった。
家系図の改竄から始まり、過去の日付での養子縁組。さらに各方面に手を回しての無理な調整など、そこそこ苦労する仕事である。
法務官は法の認めるやり方だけをするものではない。
筆者は不正をしている訳だが、司法取引とも言える。
囮としてもちょうど良い具合に痕跡を残しておいた。
さて、何が釣れるか。
人形の祠に関係している間であれば、個人的な恨みであっても上が握りつぶしてくれるというのは、実に安全でやりやすい。
いつものごとく騎士ミランダ・ギルスネイが扉を蹴破らんばかりの勢いで執務室に突入してくる。
「騎士ベイル・マーカス、ついに尻尾をつかんだぞ」
得意満面といった様子で、ふんすと鼻息も荒いミランダに、筆者は苦笑で応えた。
「ほお、私の何をつかんだというのですか?」
「
「ほほう、書類が読めましたか、あなたに?」
小憎らしく言ってやると、顔がみるみるうちに朱に染まる。
「ここで斬ってやろうか」
あ、本気だこいつ。
騎士ミランダの瞳には明確な殺意がある。おちょくりすぎたかもしれない。
「一等法務官を処断したとなれば、皇帝陛下の
「皇帝陛下に、認めてもらえるか……」
恍惚とした顔でミランダは言った。
いかんな。
本気で不味い。馬鹿な猪をおだてて梯子を外したヤツが恨めしい。
「分かったよ。一分でも生き延びることができる方がいい。洗いざらい自白しよう」
頼むから乗ってくれ。
こんなところで死にたくない。
まだ、人形の祠の話を全部集めていないのだ。
「ようやく認めたな、ベイル・マーカス」
にたりと嗤うミランダに、苦笑しそうになるのを堪えた。
飾りの剣を外して手を差し出せば、えらく強い力で罪人縛りと呼ばれる両手首を胸の前で拘束する縛り方をされた。
襟首を乱暴につかまれて執務室から引きずり出される。
壁に飾る幽霊少女の絵を見てみたが、やはり語りかけもしなければ表情が変わるということもなかった。
得意満面に伯爵の前に突き出されてからは、逆にミランダが拘束されることになったのは、自明の理というやつか。
さてと、これはこれで面倒なことになった。
色々な手配に頭を悩ませる。
アシュトン・ラズウエルとの約束まであと四時間しかない。
それまでに、ミランダが始末されないように色々と走り回ることになった。
◆
ジジジジジジと、夏の虫が鳴いている。
トリアナンの夏はむし暑い。
宅師のロブを呼び、約束の時間に間に合わせるように無理を言えば、呆れた顔で承諾してくれた。
「旦那、あの人形はまだ持ってますか」
「ああ、いつも持ち歩いているよ」
そう返すと、呆れたような顔になった。
人形を手放した後でも腕に衰えは無いようである。気の持ちようというものか。
「それから、以前にお乗りになった時に書付を忘れていらっしゃいましたよ」
ロブが差し出したのは、確かに筆者の書きつけである。
ずっと忘れていたものだが、これはこれで貴重な話を記述していた。
以下はトリアナンで蒐集したアシュトン・ラズウエルの話を、小説として纏めたものである。
ほんの一時だけ信仰を集めて忘れられる新興宗教のようなもので、帝都にも『止め石』と呼ばれる病気除けの巨石や、『一目坊』という流行病除けの妙な札が流行ったことがある。
トリアナンの場合には亜人のシャーマンや、帝都から流れてきた山師が考案した妙な宗教というのが流行ったことがあった。
とある商家が見出した奇妙な信仰もまた、それに似たものであったという。
その商家の屋敷には、立派な穴倉があった。
魔除けの像に入り口を守護させて、穴倉には神様を祀っている。
代々続いたという訳ではなく、商家に嫁いだ婦人が持ち込んだ田舎の風習であるそうだ。
さて、穴倉の中に何があったかといえば、茸である。
様々な茸が栽培されていて、非常に高値で取引されるものも混じっていたとか。
茸は多産の象徴とされており、商家や貴族家で祀るものとしては間違ってはいない。
どこにでもある話で、姑がこの信仰を非常に嫌っていたそうだ。
茸を栽培するなど、商家が直接やることではないと言ってなんとか穴倉を潰そうとしていたようだが、上手くいかない。
商家の主と婦人の仲は良好だ。
そんな折に、姑はとある新興宗教の教祖より茸の殺し方を教わった。
実に簡単なもので、穴倉に預かった聖なる胡麻を撒くだけで良いというのだ。
言われた通りに新月の夜に胡麻を撒いた。
しばらくして、茸の多くが食い荒らされる。
婦人は悲鳴を上げて嘆いたというのだが、穴倉には大きなナメクジが何匹も這い回っていたそうだ。
必死でナメクジを殺すが、一向にナメクジは減らない。
姑がほくそ笑んでいたのも束の間の話であった。
今度はナメクジが屋敷の中を這い回るようになってしまった。
慌てて教祖にお願いに行くものの、金子をせびられたあげくにこう言われた。
「うちの神様を分けたんだから、そりゃあ神子様も増えるというもの。商家も金を増やすものなんだから、そういう加護もありますぞ」
姑は非常に悪いものに力を借りてしまったのだと気づいた。
さて、こうなってくると怖いのは姑である。
嫁憎しでとんでもないものに頼ってしまったのではないか、今後も金を強請られるのではないかと心配になった。
正気に返ったというものであろう。
姑が頼ったのは神官崩れの霊媒師アシュトン・ラズウエルである。
節操の無いことだが、宦官である霊媒師は熱心に話を聴いてくれた。
アシュトンが提案したのは嫁と仲直りすることである。
姑も渋っていたが、アシュトンが同席するということもあって渋々ながら承知した。この辺りにアシュトンという男のなんともいえない詐術性を感じる。
当然のことながら、嫁は激怒した。
アシュトンが仲裁に入り、何をするかと思うと姑の頭を軽く叩いた。
なんという無礼か。
商家の主人と当事者の嫁姑までもが唖然としたが、今度は驚きのため息が漏れる。
アシュトンは姑を叩いたのではない、姑の頭に乗っていたものを叩き落としたのだ。
大人の掌もあろうナメクジが床でもがいていて、アシュトンはそれを踏みつぶした。
「性質の悪い山師に妙な
それは奇妙な方法であった。
トリアナンの天道教会聖堂の裏手にある水路に大きな雨蛙がいるので、それを捕まえてこいというのだ。
僧たちが読経している時に熱心にそれを聴いている蛙がいるから、蛙に事情を説明して連れ帰れというのだ。
半信半疑ながら、姑がその役目を請け負った。
嫁への負い目がそうさせたものであろう。
はたして、その雨蛙は本当にいた。水路にある石の上で読経を聴いている一際大きな雨蛙に姑は、なんとか助けてくれるように頼みこむと、「げこ」と承ったというように力強く鳴いた。
手に取る時もおとなしく、よくよく見てみれば人の瞳をしていることからも、何やら神通力を得た蛙であるようだ。
「ささ、次は茸の神様にお願いして蛙殿と共にいて頂かねばなりません」
この役目は嫁が行った。
穴倉の中にある茸の一つを取り、蛙に差し出す。すると、蛙は茸としばらく見つめ合っていたが、舌を伸ばして茸を食べてしまった。
蛙はぴょんと跳ねて庭へと消えた。
その後、ナメクジは数を減らして、いつのまにかその姿を見なくなった。
代わりに、屋敷の水場に大きく成長した蛙が現れるようになったが、商家では神様であるとして大切に扱ったとか。
茸は以前のように数を増やし、蛙という新たな守り神も屋敷に居ついた。
蛙は天道教会の聖句に感銘を受けてただの蛙ではなくなったというので、教会に寄進して季節の変わり目には僧を呼んで読経を行ってもらっている。
アシュトンは報酬として多少の金子と茸を一本貰って立ち去ったという。
去り際にこう言った。
「蛙様は修行の途中のようなので、しばらくしましたら水路に帰して下さい。お家の守り神としては強すぎますので、くれぐれもお忘れなく」
姑は蛙をいたく気に入り可愛がったとか。
その商家も、今は無い。
数年前に店を畳んでおり、主と嫡男はドーレン領へと移り住んで小さな商いをしている。
蛙様のお力が強すぎたものか、運気は上向いたものの、姑は死した後に蛙となって屋敷に居ついた。
嫁は身体に茸の生える奇病を患い、いつしか人の形をした茸になってしまったとか。
主と嫡男は恐れをなして、店を畳んでドーレン領へ逃げ出したといわれている。
その商家で少年から青年へと至るまでを過ごした丁稚に聞いた話である。
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