第22話 熟達の冒険者ジュリアス・イサンクオンに聞いた魚類の瞳の話 中編二
シーナという少女とはそれきり、という訳にはいかなかった。
トリアナンへ帰り着いたジュリアスを待っていたのは、予想外の賞賛である。
自らでは太刀打ちできない魔物のひしめく迷宮へ少女を救いに走ったということになり、英雄的な行動を取れる男という評判が出来上がっていた。
そういうこともあって、ギルドのお偉いさんからは下品な姿や遊びはやめるようにと釘を刺された。
元々からしてジュリアスは伊達男気質のあった男である。
少なくない額の口止め料があったことから、普段なら買わないような高級な服で着飾ってみたところ、意外なことに貴族からお呼びがかかった。
夜宴に招かれて冒険の話をというので、以前に聞いたデタラメ染みた話を脚色して披露したところ、大層ウケだ。
本を読めるようになっていたことも大きく、粗野で知性的だというよく分からない評価を頂いた。
そうなるとさらにお呼ばれが増える。
どうにも芸人のように扱われている気がしないでもないが、小遣い稼ぎにはなるということで日夜ネタ探しに本を読み着飾るということを繰り返していると、自然と伊達男が素のようになってくる。
あの時は本当に、英雄様が社交界から距離を置きたがる気持ちが分かったものさ。
苦笑と共にジュリアスはかつてを振り返る。
実を言えば迷宮に行くのが怖かった。
あの海を思い出すと恐ろしく、どうにも足に力が入らない。
夢を見ることがあった。
あの海岸をぶらぶらと散歩している夢だ。
怖いとかそういう気持ちはない。
ただ、どうにも海の向こうが気にかかる。
遠くで燃え盛る炎の赤色は、とても暖かそうで、あそこに何があるか気になって仕方ない。
海岸を歩いていけば、小舟がある。
大人が一人で乗り込むには小さすぎるもので、こんなものに乗っていいものかと悩んでいる内に目が覚める。
夜宴で馬鹿話をして笑わせたり、冒険者と姫の切ない悲恋の物語を語っていると、そんな夢のことは忘れてしまう。
冒険などをするよりも。格段に楽にメシを食える。
芸人呼ばわりされることだって、苦痛にも感じなかった。
とある夜宴の帰り道、真夜中に流しの馬車で帰途についている折に妙なものを見た。
天付き馬車の宅師はそれをちらりと見ると何事も無い様子なのだけど、どうにも妙なものである。
裸の中年男たちが、服を奪い合っている。
男たちは痩せているのに腹が突き出しているというひどい有様なのに、服の奪い合いは手でつかみ口で噛みといった具合に獣じみていて、あまりにも常軌を逸している。
奇妙なのはそんなことをしているのに音が一切聞こえないということだ。
「なんだ、あいつら」
ジュアリスはつい声に出してしまった。
「お客さん。あんなもんは見ないほうがいい」
宅師の男が小さく咎めるように言う。
何か言おうとしたところに、牛の声が響いた。もおぉ、という太い声だ。
故郷の農村でよく聞いていたもので、間違いなく牛の鳴き声である。
「お客さん、見ない方がいいですよ」
暗がりから出て来たのは、法衣を着たモノだった。
人間と違うところがある。
頭部が、黒牛だ。人の身体に牛の頭がのっている。
ミノタウロスなどではない。かといって、亜人でもない。
馬車は速度を速めた。
ジュリアスは口を開けて遠ざかるそれを見る。
裸の男たちは牛の男に平伏していて、それきり遠ざかって見えなくなった。
「なんだ、あれは」
「あんまり見ると目が潰れますぜ」
宅師はそれきり口を噤んだ。
何を聞いても「はあ」とか「へえ」としか答えない。
不摂生な生活を始めて半年ほど経ったころに、とある夜宴で何度も語らされたシーナを救出した際の話を一席打つことになった。
いつもの内容で、その日も脚色しすぎて原型のなくなった話を笑いあり涙ありで締めた。
好評に幕を閉じて、談笑しながら酒を飲んでいると話しかけられた。
「もし」
と、問いかけられた。
「ん、あなたは」
振り向けば、宦官らしき男がいる。
宦官は性器を切り取るためか、輪郭が丸くなり顔付きも女性的になる。薄いがしっかりとある髭と丸い顔付きでそれと分かるのだ。
「アシュトン・ラズウエルと申します。ジュリアスさまのお噂はかねがね」
「はあ、アシュトン殿ですか」
ご婦人から声をかけられることは多いが、宦官というのは初めてだ。
妙な目で見てくるでもなし、柔和な顔で微笑んでいる。
「どうにも、お困りのご様子ですな」
「は、私は何も」
「いえ、地獄が随分と近いご様子」
息を呑んだ。
あの異様な海岸のことは誰にも言っていない。
「はは、怪談話でも御所望ですか」
「妙なものを見ているでしょう。気をつけなさい。あちらのものを見るのは、それに近づいているということです。これをどうぞ」
アシュトンが差し出したのは、木札である。
そんなものを受け取ることはないというのに、自然に手が出て受け取っていた。
白木には東方風に描かれた
「これは」
「魔除のようなものです。では、また」
アシュトンは言うと背を向けた。
追いかけようとして、木札からちくりと痛みを感じて顔をしかめた。棘でも刺さったかと思ったが、指はどうもなっていない。そして、視線を感じて振り返る。
給仕の少女がこちらを見ている。まん丸い魚類の瞳で。
「おいっ」
給仕の少女の手をつかむと、小さく悲鳴。
「ひっ、な、何か粗相を」
「あ、いや、なんでもない」
少女の瞳は、まったく普通のものだ。
奇異の視線を向けられたのでおどけてみたが、空々しい笑いが上がっただけだ。
居辛くなって、悪い酔い方をしたという理由をつけて帰った。
度々、街行く人の顔が魚の瞳に変じる。
その度に吐き気を催して倒れそうになるのだが、木札はどうしてか捨てられなかった。
しばらくして、ひどくやつれていることに気付いて、アシュトンの消息を尋ねた。
人づてに調べてみれば、元は帝都の大聖堂で神官であったということだが、還俗してからは詩吟の教師や霊媒の真似事で糊口を凌いでいる変わり者であるとのことだ。
年齢は今一つ分からなかったが、五十歳近いらしい。
見た目には三十代か四十代としか思えなかった。
アシュトンの住まいは使用人街の外れにあるこじんまりとした邸宅であった。
ワインを土産に尋ねると、坊主の愉しみであるという料理を用意して歓待してくれた。
快く出迎えてくれた宦官と、差向いで飯を食う。
薄味のスープに肉類は一切なく、他の料理も同様に肉と魚は使っていないのだとか。
物足りないという気はしたが、いやに美味く感じた。
不摂生な生活で染み付いた内臓の疲れが取れていくようである。
会話も無く夢中でスープを啜っていたジュリアスに対して、アシュトンは笑みを浮かべている。
「あ、いや、失礼をしました。あまりにも美味いもので。酒毒のせいか、最近はあまり食べられなくなっておりました」
「酒毒のせいではありませんよ。ほら、見なさい」
アシュトンは指で足元を見るよう示した。
何かと思って見やれば、フナムシのようなものが足元に転がっている。ひくひくとひっくり返って痙攣しているのだ。
「ひっ、こ、これは」
「地獄、それも海に行きましたな。悪いものに憑かれているご様子」
「こ、こんなことがあるはずがない。変な冗談はよしてくれ」
一番海に近いドーレン領からフナムシを持ってこれない訳ではない。だが、それには恐ろしい金額がかかるだろう。悪戯でやるようなものではない。
「何があったか、お話してくれませんか?」
柔和な笑みに、ジュリアスは負けた。
シーナとのことから、先日の馬車で見たもののことを話した。
聞き終えたアシュトンは、大きく息をついた。
「馬車で見たものは、地獄の風景ですね。牛の頭を持つのは地獄の獄卒でしょう」
「地獄が、近くなっている?」
あの日、宴席で言われたことだ。
心当たりなら、あの海である。
「嘆き谷で見た海とは地獄そのもの。魔の生まれる海なのでしょう」
海沿いに伝わる神話によれば、神も魔も海からやって来るという。
「シーナは、あの娘は」
「縁は切れていないご様子。夜のご予定は?」
「いえ、特には」
「ならば、シーナ様を呼び出してみましょうか」
アシュトンはにっこりと笑う。
道具の用意があるので隣室で待つように言われてしばし、心細いが待っているとドアがきしんだ。
「ああ、ドアを開けましょう」
道具で手が塞がっているのだろう。
ドアを開けると、シーナが立っていた。
魚類の瞳で見ている。
「あ」
驚くと、そんな声しか上げられないものだ。
金縛りになったように体が動かない。
その時、澄んだ鐘の音が響いた。
りいん。
ぱくぱくと、魚がするようにシーナは口を開け閉めしながら、ふっと最初からいなかったように消えた。
ジュリアスは後じさって、用意されていた椅子に崩れるように座り込む。
「どうしました。幽霊でもみたような顔をしていますよ」
両手にチェス盤のようなものを持ったアシュトンである。
「い、いま、シーナが、そこに」
「ほう、この部屋に入ってきましたか。何か伝えたいことでもあるのでしょう」
アシュトンはなんでもないことのように言うと、手に持った盤をテーブルに置いた。
そこには、帝都公用語の文字が、例えば『あ』『ま』といった具合に一文字ずつ描かれた奇妙な盤であった。
「これは」
「子供のころにやりませんでしたか。ウイジャ盤ですよ」
帝都ではこっくりさんとも呼ばれる遊びである。
降霊術の一つである。盤の上に銅貨をのせて、参加者たちが人さし指を乗せることによって、質問の答えを霊に導かせる。
いくらでもイカサマのできる遊びだ。
「こんなもので」
「ははは、指を乗せるのはわたしだけですよ。銅貨は使いませんけれど」
アシュトンが取り出したりのは、奇妙に歪んだヒトデを連想させられる五芒星の形をした木札である。
「シーナは、あれはなんなのですか」
「さあ? 今日はそれを聞いてみましょう」
アシュトンは柔和な笑みと共に言う。
こうして、奇妙な一夜が始まった。
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