第21話 熟達の冒険者ジュリアス・イサンクオンに聞いた魚類の瞳の話 中編一
ダリオの嘆き谷の深層は、非常に危険である。
迷宮と呼ばれるものは全てそうなのだが、深層に辿り付けばそこを迷宮とした何かがあるといわれている。
全てはお伽噺のようなもので、四肢断裂された魔王の身体が封印されているとか、七色の鱗を持つ偉大なる宝石竜がいるだとか、異界の侵略者を封じる封印があるとか、とにかく奥まった場所には何かがあるとされている。
仲間という訳ではないが、幾つかの顔見知りの徒党に話をつけたジュリアスは、深層までの道筋を見つけていた。
ジュリアスは専門的な何かを行う者と言うよりは、便利屋のような技術を持つ。
半端者と蔑まれることもあるが、
ギルドからの信用も厚いという評判から、話は通しやすかった。
深層の攻略に乗り出す格上の徒党には、とある魔法使いのお嬢様を深層に連れて行き箔付するのだということにしておいた。
依頼料は自腹で、溜めた財産の半分以上を吐き出すことになってしまった。
なあ、ベイルよ。
あの時の私はとんでもなく愚かだった。
明日というものが怖くてな、常に金のことばかり考えていたよ。
金があったら何かあっても生きていけると、老いた後の人生も金さえあればなんとかなると、そんなことばかり考えていた。
金を吐きだすと、その不安は不思議と消えたものさ。
そこだけは感謝していることなんだよ。
段取りがつくまで、シーナに教養というものを教わった。
ある時、酒場で女を口説いていた言葉が無茶苦茶だと教えられたためだ。花の例えにも作法があって、今の言葉だと侮辱する物言いになるのだと教えてくれた。
気は進まなかったが、空いた時間で難しい文字と読み方を習う。
シーナのおかげで本を読めるようになった。
物語というものは吟遊詩人が詠う賑やかなものだけではないと知り、貴族や魔法使いの女が読む本というものの良さが分かる。
酒場で食事を共にした時のことだ。
「ジュリアスさんは、とても覚えが速いのですね」
シーナは父親に軽口を叩くように言う。
もしも、故郷を飛び出して冒険者になどになっていなければ、これくらいの娘がいたかもしれない。
「シーナくんは、結婚はしないのか」
つい口に出してしまって、妙な勘繰りをされるかと苦い顔をしてしまう。
「いいえ、この道で一流になった後にしようと思います」
蟹人を嬲る時の妖しさは微塵も感じられない。
そこにいるのは美しい聡明な少女だ。青い髪と青い瞳は、ジュリアスのものとは違う。
「そうか、伴侶は早く見つけたまえ」
「……ジュリアスさんはどうなのですか」
「独りが好きなんだ」
シーナが膝に手を置いてきたので、ジュリアスは席を立って先に帰ると告げた。
厭な小娘だ。
その日が来た。
深層に赴くまでの冒険は趣旨から外れるために割愛させて頂く。
ダリオの嘆き谷深層は、谷底そのものである。
細い一本道には奇怪な植物が咲き乱れ、想像を絶する魔物たちがひしめいている。
極力戦わずに進み、黒竜魚の出る淵に辿り付いた。
夜の谷は危険に過ぎる。そのため、朝を待つことになった。
先人が造りだしたという強固な結界の中で野営を行う。
雇った冒険者たちはジュリアスよりも格上の者たちだ。そこには確かな自信と慎重さによってだけ造られる安心感があった。
シーナの顔は無表情で、持ち込んでいた蟹人の肉を喰らう時にも奇妙に艶めかしいあの顔を見せることはなかった。
見張りの番をつけて、交代で眠る。
シーナだけは八時間は寝ておけということになった。
仮眠を取っていたジュリアスがたたき起こされたのは、寝入ってしばらくのことだ。
「おい、起きろ」
必死の形相の冒険者である。
「どうした、敵か」
「違うっ、あのお嬢ちゃんが結界の外に行っちまった」
馬鹿なことを。
「どうして行かせたっ」
「分からん。誰も通ってねえはずなのに、そこにいねえんだ」
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
あの少女が一人で歩けるような場所ではない。この時点で手遅れだ。
「捜しに行く」
ジュリアスは言ってから馬鹿なことをしていると苦笑いを浮かべた。
「おい、死ぬぞ」
「いいんだ。朝になって戻らなかったら、ギルドに報告してくれ」
冒険者が止めるのもきかず、ジュリアスは装備を整えると結界の外に走る。
魔物の気配が薄い。
幸運なのだろう。なのに、異常な危険が先にあると分かる。
本能的な警告とでもいうのだろうか、先に進んではいけないと、どうしてか分かる。
水辺にいる魔物たちは、常ならば飛びかかってくるはずなのに襲いかかる素振りすら見せない。なのに、見ている。
谷底にある道を往くと、前方から生ぬるい風が吹いてきた。
異様な、なんともいえない風であった。なんというか、そこにあるなにかの抜け落ちたような、違和感のある風である。
「あっちか」
風の方向には薄く赤い、炎のようなぼんやりとした灯りがある。
夢中で走る。
シーナよりも、その炎が呼んでいる気がしたのだ。
どれほど走っただろうか、いつしか開けた場所に出ていた。
そこは、海岸だった。
「なんだ、これは」
ダリオの嘆き谷、谷にあろうはずもない広大な海岸である。
遠くの、海の向こうの空では赤く何かが燃えていて、その灯りが海を照らし出している。
あまりに異様なことに言葉を失っていると、後悔に襲われる。
今にも腹に刃を突き刺されようとしているような、そんな恐ろしい危機にいると、どうしてかそう感じている。
海岸を見渡せば、波打ち際でしゃがみこむシーナがいる。
走って近づけば、しゃがみこんだシーナは漂着物らしきぐちゃぐちゃしたものを杖で弄んでいる。
口元には、奇妙に艶めかしい笑みがある。
「何を、してる」
「ジュリアスさん……。これ、おとうさん」
ぐちゃぐちゃしたものは、何かの死体であるようだ。ただ、海から打ち上げられたそれは、原型がほとんどなくなっている。
「いいから、戻ろう。ここは危険だ」
「ダメよ。お母さんがくるから、もう少しで着くって」
シーナの指差す方向は海の向こうで、白波が立っていることに気付く。
「いい加減にしろ。ここは、地獄だろうが」
どうしてそんな言葉が出たのか、ジュリアスにも分からない。
言葉にして分かった。
ここは、地獄だ。
生きる者が来るところではない。
「じごく?」
「逃げるぞ」
シーナの手を取ろうとして、その音に気付いた。
一際高い波の音だ。
ざばんと、大きな水音。
それを見て、言葉を失った。
あまりにも巨大な黒竜魚であった。
黒い鱗を持つ海の魚、黒鯛と呼ばれるそれを何百倍にも大きくしたものが、楽しげに水面を跳ねる。
その大きさはまるで小山のよう。
黒竜魚は、大きくても人間の大人程度の大きさである。
「おかあさんよ、おとうさんを食べにきたのよ」
こんなことがあるはずがない。
ジュリアスには、それが魔物には見えなかった。
鱗の間には裸の人が生えていて、わあわあと手を振っている。黒竜魚はそんな人間たちを気にも止めず体を水面に打ちつける。
そうすると、幾人かの人が鱗の間から外れて、黒竜魚はそれを喰らう。
「シーナ、あんなものが母であるものかっ」
「でも、わたしの目、こんなに、こんなになってる」
振り向いたシーナの瞳は、魚類特有のまん丸い瞳に変じていた。
「いい加減にしろっ」
ジュリアスは叫んで『お父さん』である何かの残骸を踏みつけた。ブーツで何度も蹴りつけていると、形の残っている骨があったのでそれを取って海に投げた。
「子供をバケモノにする親がいるものかっ」
黒竜魚は餌に食いつく。
「ああああああああ」
シーナが叫ぶ。
その手を取って走った。
どこをどう走ったかとは覚えていない。ただ、朝方に錯乱したジュリアスと放心しているシーナは冒険者たちに保護されて、街に帰ることができたのだ。
◆
「地獄の話か。海があるというのは興味深いな」
筆者は唸った。
今までに地獄の話で海は聞いたことがない。だが、地獄を垣間見たという話に特有の要素である「風」と「遠くの炎」が揃っている。
あとは「鈴の音」などが揃えば、それは同じものと考えてもいいだろう。
「そんな感想が出るとはな。流石はベイル・マーカスだ」
褒めているようで呆れているのが分かる。
いい年齢をした男がこんなものに夢中になっているのだから、それは仕方ない反応だ。
「で、そのシーナという娘はどうなった」
「ああ、まだ続きがある」
ジュリアスは頼んでいた焼酎を呑んだ。
筆者は友人とだけ酒を飲む。それでも、多くて三杯程度だ。
「シーナは、スラムの出身じゃなかったよ」
「は、どういうことだ」
「ギルドに帰り着いてから、知らせを聞いた親が迎えにきた。とある貴族家の次女で、子供のころからスラムにお父さんと暮らしていたなんて妙な狂言を打つものだから、帝都の学院へ入れられてたんだそうだ」
何もかもが矛盾している。
だとしたら、どうしてそんなことになる。
「口止め料で多少の金はもらったよ」
過去にもシーナに騙された男は多くいたそうだ。
だいたいは可哀想な青い果実であるシーナに入れあげて、破滅した。彼女がそんな危い魅力を持っていたのは事実である。
「ジュリアス・イサンクオン、続きを早く」
「ああ。思い出すだけで混乱するような話だがな」
ジュリアスの奇妙な話はまだ続く。
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